竹内 敏晴との出会い
  〜 竹内レッスンに赴いて 〜

 
  竹内 敏晴 (たけうち としはる) ─ 1925〜2009 ─
幼少時に耳を患い、一時期、聴力をほぼ失う。少年期から青年期に薬による治療効果で徐々に 聴力を回復する過程で、幼年期に充分にできなかった言語習得を自力・独力で行う。
それは戦後、演出家への道を歩む内にも続き、そこから立ち上がってきたい くつもの問い ─ ことば(声)が本当に人に届き届けられるとは、人と人がふれあい出会うとは … ─ の追求にのめり込んで行く。演出家としての活動から、次第にその問いへの試み「一人の人間の一つの人間的可能性が劈かれる場への立ち会い」に没頭するよう になり、その場はやがて “ 竹内レッスン ”と呼ばれる。レッスンは東京から名古屋、大阪などで定期的に開かれるようになって いったが、前後して「思想の科学」に連載していた文章を まとめた自伝的著書『ことばが劈かれるとき』の発刊や、哲学者・教育者の林 竹二(はやしたけじ)氏との出会いなどから教育現場に深く関わるようになり、求められて、全国の学校・大学などでもレッスンの場を持つようになる。自身の 戦中戦後を踏まえ、日本の学校教育に強い危機感を抱き続け、“ からだとことば ”という独自の視点からなる数多くの著書、専門誌などへの寄稿を残す。
 
注1)〔聴力を回復〕完全に回復したわけではありません。詳しくは、『ことばが劈か れるとき(ことばがひらかれるとき)』を参照してください。
注2)〔竹内レッスン〕この名称はいわゆる俗称で、竹内さんがそう命名していたわけではなく、レッスンに関わる人たちの中からいわば自然発生的に生じた言 い方です。たとえば東京のレッスンは、その時々に竹内さんが付けた名称で「マグノリアの木」とか「パンと魚」などと言われていたこともありました。レッス ンの具体的解説はこちらをクリック→竹内レッスン 
注3)〔からだとことば〕「体と言葉」というように漢字を使っていないのは、竹内さ んがこの二つのことばに従来の意味と異なる深みを持たせた独特の使い方をしているからです。『ことばが劈かれるとき』ほか、竹内さんの著書を参照してくだ さい。

 
 

─ はじめに ─
出 さなかった手紙
 
  初めて今でいうところの“ ゆらし ”を体験した時、竹内さんに「どうでしたか?」と問われて「自分は今までつねに、黙っている時でも頭の中はさまざまな思念・想念が渦巻いていたけれど、初 めてボーッとするってことがわかったような気がしました」と言ったら「ハァ〜、それはよくわかります」と言われたのを今でも覚えています。それから新宿公 園でのブラインド・ウォークなどのレッスンを通して、今までまったく気づかなかった感覚がいくつも劈かれていくことがとても新鮮でした。
 
 最初の頃の仮面のレッスンの時です。中性の面をつけて≪人間の誕生≫をやりまし た。寝そべっている状態から、徐々に立ち上がっていったのですが、自分の中には連続した充実感がありました。自分ではまったく気づかなかったのですが、だ いぶ時間がかかっていたらしく、竹内さんに「 エネルギーが集まってくるのに、えらく時間がかかるね 」と言われました。
 その時、立ち上がるために、とにかくガンバルことをやめなかった自分にわかったこ とは、少年の頃、母親に他の子どもと比較されたささいな一言で全身の力が抜けていってしまった時( その時の“脱力感”は、いつでもからだの中に感じ直すことができるものでした)、次第に冷たく覚醒してきた意識の中で『そうかい、あんたはそういうふうに 他人と俺とを比べるのかい、だったら俺はあんたのためには絶対がんばらないぞ』と固く決意し、その後無意識にずっと“ガンバラナイことにガンバッテ”きた んだなぁ、ということでした。
ではどうしたら、普通に“ガンバレ”るのか。このことは実は今も自分には わからない ままです。ただ、いつも自分は何か人と違う、いつかこの自分が抱えている時限爆弾のようなものが爆発してしまうのではないのか、という惧れと、いつでもか らだの中に感じ直してみることができたあの脱力感は、レッスンに通わせてもらううちに、いつしか消えていきました。
 
 人前でやる発表会のために取り組んだ秋浜悟史の戯曲『冬眠まんざい』の 稽古中に、一度だけ、竹内さんの「ここはクラウンみたいなもんで、まぁ、言うなればひょっとこみたいなもんだ。ひょっとこだと思ってやれ」と投げかけられ たことばによって、シン、とした集中が生まれ、“ひょっとこ男”として舞台に現れることができて、みんなに大笑いされた時があります。ある一つの手応えを 持ちましたが、その後それをなぞろう、なぞろうとしてしまい、結局もう二度と自分から深い集中にたどりつくことはできませんでした。それは他のテーマや課 題、他の人がやっている出会いや砂浜などを見ている時も同じでした。レッスンに通いはじめた頃は自分の感受性に響いたものに素直に動けていたのが、あの人 はこう、この人はこう、この課題はこう、などとパターン化してしまう自分が現れ、そこからから抜け出せなくなり、にっちもさっちもいかない感じになりまし た。
 そうした感じが長い間続いたある時、詩人石原吉郎の、「花であること」をレッスン で朗読しました。
 
 
花であることでしか
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま
おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である
ひとつの花でしか
あり得ぬ日々をこえて
花でしかついにあり得ぬために
花の周辺は適確にめざめ
花の輪郭は
鋼鉄のようでなければならぬ
 
   石原吉郎『 サンチョ・パンサの帰郷 』より「 花であること 」
 
一度みんなの前で読んだわたしに、竹内さんが投げかけたことばは、「 なぜ、“花”なんだろう?」ということでした。それから、石原吉郎の経歴を皆に話されました。戦後の過酷なシベリア抑留、友人が刑務官に対して「もしあな たが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」と言ったこと、等々。
しかし、わたしはすでにそれらのことは詩集のあとがきを読んで知っていました。わた しは最初に問いかけられたことをずっと考えていました。─ なぜ、花なのか ─
竹内さんが「木であったら折られてしまう、石であったら割られてしまう」と話をしめ くくる少し前、わたしの中に、答えが閃光のようにやってきました。
 
 ─ 花は自分の弱さを知っている。そして、そこから逃げない! ─ …
 
熱いものがこみ上げてきて、声が震えるのをこらえながら、もう一度読みました。
 
 
 レッスンから話がそれますが、レッスンに通い始めた頃、手話を学んだことのあるわ たしは、聴覚障害を抱える学生たちのとある団体で、聞こえない友だちとのつき合いがありました。大学生だった彼らが卒業する時期にきたので、レッスンに 通ってしばらく会っていなかった彼らの集まる居酒屋での宴会に行きました。なかでも親しい二人がいたのですが、彼らとは席が離れていて、とくに 話をすることもできませんでした。
が、不思議なことに、離れて座っていても何かつながっている感じがしていたので、た いして残念にも思わず、時間が来たので彼らを含めた何人かに挨拶をして先に帰ろうと出口に向かいました。
と、驚いたことに、その二人が見送りに出てきてくれました。わたしはレッスンで見知 らぬ自分に出くわし、存在を脅かされるような想いをしたりしていたこともあったのですが、彼らには何も話したことはありませんでした。それなのに一人がわ たしの頰に手をのばし「 苦労したんだなぁ」と言ってくれたのです。驚きとともに自分の内にこみ上げてくるものを感じながら「 おれは …みんなと比べて … 十年くらい遅れているから」などとくだらない言い訳をしたわたしに、もう一人が黙ってかぶりを振り、手を差しのべてくれました。その手はどこまでも厚く、 たしかでした。
このとき、たしかに人に受け止めてもらえた、という生涯初めての記憶と、『 花であること 』 での気づきと、この二つがあれば、しばらく生きて行ける。
これが十数年前に思ったことです。
 その後、日常生活で何も進展せず、ただ漫然とレッスンに通っているようになった自 分への疑問と、レッスンが芝居での表現を目指す方向の話になってきたとき、これは自分のやりたいことではないな、とわかってきたのとがあって、レッスンか ら離れました。
 
 
 
T. 本 と の 出 会 い
 
本屋の教育・福祉などの棚で見つけた晶文社刊『子どものからだとこと ば』が、最初に手にした竹内さんの本だった。
親との確執 のほか、自分が受けた学校教育というものへの絶望感を抱きつづけていたわたしは、本屋に行くと、自然と教育関係の書棚を眺めることが多かった。買い求めた 本を読み進めると、最後の章「存在の仕方を知るということ」の中に、竹内さんのレッスンに参加した一人の教師の方の話が出てきた。
 
数人で子どもの頃の遊びをしてみよう、というレッスンをした時、一人が出て行って、 石蹴りとかやっている。次に出て行った人が前の人と一緒にたとえば縄跳びなどをする。ところが、三人目にその教師の人が出て行くと、その遊びをこわしてし まう。縄跳びだったら、縄をよこせ、とかなんとか言って、ケンカになる。それが一度や二度ではなく、いつもそういう激しいつっかかりになる。ある時、同じ 行動を繰り返す自分に嫌気がさし、休憩時間に隅の方でしゃくりあげているその人を見て、竹内さんがハッと気がつき、「わかったよ。あんたはね、いつも一所 懸命他人の世話ばかり焼いてるから、裏側にもうぶっこわしたくてたまらない自分があるんだ。それが出てくるんだ」と言ったところ、その人はワーッと泣きだ して、本当にそうだと思ったらしい。そこから、その人は教員生活を続ける中で色々なことが変わってきたり、見えてきたりした。その諸々はここでは省略する が、その続きで次の一節がわたしの目を引いた。
 
─ 教師というのは、教師だからちゃんと教えなくてはいけない、教師だからこうしなくちゃいけない、ということでガンジガラメになっているわけだ。それにどう こたえたらいいかということで、みんな必死になっている。ところが、よく考えてみると、教師がひとりの人間として教室へ入っていって、大勢の子どもたちの 前で、ほんとうに自分は話しかけることがあるかどうか考えたら、いったいそこに何人立っていられるか。人間として何にも話しかけることはないのに、教員と いう職業だから教えているということが、やはりほとんどでしょう。そうなると、子どものほうでは何を受けとっているか、敏感な子どもだったら、そのことに どういうふうに反応するか ─
 
人間として何にも話しかけることはないのに、教員という職業だから教えてい る
わたしが学校でずうっと感じつづけていながら、ことばにできなかった息苦しさや違和 感は、気のせいや間違いではなかった! …これはわたしにとって、大きなことだった。そしてまた、その続きの部分も胸に響いてくるものだった。
 
その教師の人(女性)の子ども時代のことをレッスンで即興劇をやってみると…
─ (前略)彼女はというと、朝まだ暗いうちに起きて、飯を炊いて、きょうだいたちに食べさせて、学校にやり、両親たちの食事を用意し、自分の弁当を詰めて学 校へ行く。学校から帰ると、掃除をし洗濯をする。夕方になると、きょうだいたちを風呂に入れて、飯を食わせて、寝かせる。そうして両親の夕食を準備する。 それらをみんな彼女ひとりでやる。
(中略)あんたは、子どものときから、おやじさんやおふくろさんにたいしてさえも、母親の役をしてきたんだなあ、ということを私は彼女に言った。ずうっ と、そういうふうに彼女は生きてきた。自分の夫にたいしてもそうだし、子どもにたいしてももちろん、生徒たちにもそういうふうに接してきた。みんな世話を 焼いてきた。だから自分がむなしくなってきて、なんのために自分が苦労しているかわからなくなってきても、そのときに元気をとりもどす方法というのは、い や、まだ、これもやらなきゃいけない、ということを見付ければいい。それしかないわけ。ガクッときている自分、落ちこんでしまっている自分のほうに行くこ とはなくて、まだ他人を世話することができるということで自分をとりもどしてゆく。だから、いくらやっても自分自身に眼が向いてゆくということにはならな い。その構造自体をこわさなきゃどうにもならないということに気づくのに、一年半の月日がかかったということですね。
 その人がいつ、そういう問題にぶつかるか、わかりません。二十歳代でぶつかる人も いれば、三十歳代、四十歳代、五十歳代でぶつかる人もいるかもしれな い。が、いつぶつかったとしても、いまお話ししたような自分を救済するシステムというものを、誰れもがすでに作ってしまっているわけですよ。危なくなった ときには、自分のことをほっぽらかしといて、他人のために頑張る。そうすると、みんなには賞められるし、自分も救われたような気になる。ところが、しばら くすると、またガタッとくる。そういうサイクルがある。そういうのを見ていると、私には「輪廻」という気がしてきます。そういうサイクルをこわすのは日常 生活のなかだけでは、なかなかできない。それに気づいて、どうにもならなくなる。どうにもならないところへ、いちど追いこまれてみるということが、自分を もうひとつ違うほうへ動かしてゆくことの出発点になるし、それを経験したことのない人というのは、ひとにたいして冷たいですね。ものすごく冷たい。─
 
この本を手にする何年か前、高校卒業後家を出て、数年ごとにアルバイトを転々として いたわたしは、どうにも継続して力を出せない自分にたどりついて行き詰まり、文字通り身動きが取れなくなってしまっていた。だが、あるきっかけで細々と手 話を習い覚え、人の紹介で聴覚障害を抱える学生たちのとある団体に通うようになり、そこに自分の居場所を見つけ、聞こえない友だちとのつき合いに少なから ず心をすくわれていた。しかしまた、何かと人の行いのほころびを指摘し、頭で考えた説を唱えるだけで具体的な行動をしない自分にしだいに疑問を持ち始めて いた。そんな時この本に出会い、自分に問いかけざるを得なかった。
あの頃、何もできなくなっていた自分、行き詰まっていた自分。あれは大事なことだっ たのではないか。手話をきっかけに新たな世界が拡がり、新たな出会いを得たことは何物にも代えがたいことだったが、あの過去の窮地からスルリと逃れ出たこ とは、果たして、ほんとうに良かったのか ─

どうにもならなくなる。どうにもならないところへ、いちど追いこまれてみるということが、自分をもうひとつ違うほうへ動かしてゆくことの出発 点になるし、それを経験したことのない人というのは、ひとにたいして冷たいですね。ものすごく冷たい

『ひとにたいして冷たいですね。ものすごく冷たい』 …この一節が刺さった。胸の奥底にある、自分の人間性への不安を指摘されたような気がした。もう一度、ひとりになって、たしかめてみなければいけない。本 の最後のページに記された晶文社の編集部へ、問い合わせの電話をかけた。
 
 
 
U. レ ッ ス ン へ
 
新宿の古ぼけたビルの地下にあったレッスン場所へ行くと、コンクリートが黒く塗り込 まれた壁に囲まれた空間で、床は板敷き、天井は高く、空調などの配管がむき出しになっていた。わりと早めに着いた(月に一回、土曜午後2時頃から夜9時か 10時頃まで、日曜は午前10時頃から午後5時頃までで、食事休憩ありの2日間というのが例会だった)ので、竹内さんに初めに顔を合わせたと思うが、もう 記憶が不確かだ。初めて来た旨を告げると「着替えて、楽にしていてください」。レッスンの事務局から言われた“ 腰をしめつけない楽な服装”に着替え、初めての場所にもわりと物怖じしないたちだったわたしは床に寝ころんでいたと思う。やがて三々五々集まってきた人た ちも、ジャージなどの楽な服装で、思い思いに座ったり、寝ころんだり、軽いストレッチや体操のような動きをしていたりしていた。年齢、性別、さまざまだ。 だいたい十五人くらいだったろうか。
やがて竹内さんが「そろそろ始めようか」と言うと、バラバラに立った皆に「それで は、大きく息を入れてぇ〜… 吐いてぇ〜」と声をかけた。「足の裏から息を入れてぇ、頭の上からぁ、吐く! 」 二、三度行った後、「では、歩いてみて」。皆が歩き始めるが、すぐにストップがかかる。「なんだかみんな、人間が歩いているんじゃなくて、箱が歩いている みたいだ。それにどうしてみんな左回りになるのかな。ただ、歩いて、と言ったんだから、もっと自由に動いてもいいんだよ。」あらためて 裸足 の足の裏や、自分のからだの重さを感じながら、自分の好きに、今度は方向もてんでに 歩き回る。「それでは、今度は後ろ向きに歩いて、誰かと背中がぶつかったら、背中と背中で話してみて。つき合ってみて、この背中はイヤだなぁ、と思ったら 離れてもかまわないよ」。偶然ぶつかった相手と、背中と背中をくっつけて、上下左右にこすりつけあったり、もたれかかりあったりして、感じ合ってみる。温 かい背中、冷たい背中、ゴツゴツした背中、柔らかい背中、いろいろだ。一人の人とずうっとではなくて、また離れては別の人の背中と話をしてみる。すべて初 めての体験だが、わたしは躊躇も違和感もなく、動いていた。しばらくすると、
「では、この背中の人とだったら、つき合ってもいいなと思えたら、その人と組んでく ださい」。あらためて正面で向き合ってみると、さすがに気恥ずかしさが出てきて、照れ笑いを浮かべたりしながら顔を合わせる。それから “ 並ぶ ” とか “ ふれる ”とか、などのレッスン をしたと思うが、省略する。もちろん、どれも初めての経験だったが、 わたしにとっては感覚的に動いて感じる、感じわけることは、そう難しいことではなかっ たし、むしろ楽しいものだった。その次に、組んだ相手と 後に “ ゆらし ” というレッスンに移っていった(その際、あまりに体格差があるペア は、竹内さんが他のペアと組み換える時もあった)。ここから、“ ゆらし”というレッスンはどんなものか、その導入を少し、解説的に述べてみることにする。


まず、二人のうち一人が床に仰向けに寝て、立っている人は外から仰向けの人のからだ を観て、仰向けに寝た人は自分のからだを感じ直し、お互いにどんな感じか少し話し合う。仰向けの人は起き上がることなく、そのままで、話し合うと言って も、感じたままを伝え合うだけで解釈はしない。
「腕が重たい」「背中が浮き上がっている感じがする」「鉛筆みたいに見える」「ゆっ たりとした感じ」「〜が固まっているみたい」などなど …各々、自分のことばで。
立っている人は、観ていて気になるところ ─ たとえば首や下半身が傾いていたり、肩がつり上がっていたり ─ があったら、曲がっているところを動かしたりして、全体的に真っ直ぐな感じになるようにしてみる。寝ている人は動かされてどう感じが変わるかを味わって みるが、動かされた姿勢を保つ必要はない。動かされた姿勢が窮屈であれば、楽な感じに戻してかまわない。
そこから(ここから立っている人 ─ つまりゆらす側の人の目線で)、各々、相手のからだを感じながら、たとえば仰向けに寝ている人の手首の下に手を入れて、ゆっくり持ち上げてみる。する と、その人のからだの重さが自然に感じられる場合もあるが、あるところまで持ち上げると、フッと軽くなり、肘から手首までが勝手に持ち上がっていったり、 逆にこちらの持ち上げる力に抵抗するかのように不自然に重くなったりする場合がある。それらの解釈については竹内さんの著書にゆずるが、力を抜いてただ横 たわっているつもりの人が、自分が無意識にどのような力を入れているか、ある身構えを持っているか、に気づくきっかけになる。これは、首を持ち上げてみた り、足を持ち上げてみたりする場合にも気づけることで、ゆらす人は、その感じ(不自然なからだの重さ・軽さ・抵抗)を横たわっている人に告げる。言われて みれば確かに、と納得する人もいれば、言われても自分ではまったくわからない、という人もいる。
不自然に力が入る、ということがわかったとしても、それをすぐ力を抜かなくては、と 焦る必要はない。あれこれ考えて解釈し、すぐ改善しようとする自分からいったん離れて、まず自分がどのようなからだで世界と向かいあっているのか、という ことに気づくこと。自分のからだをあらためて感じ直してみること。“ 感じる”ということに深く集中していく端緒になるレッスンではないかと思う。
ただ、ここで気をつけなければいけないのは、それが目的である、というふうに思うと 違ってくる。レッスンはどれもそれこそ“ 自分の存在の仕方を知る”ということへの限りない試みであって、ひとつひとつのレッスンの中に、語りきれないさまざまな気づきへの扉がふくまれているの で、何を感じ、どう受け止めるかは、レッスンする人それぞれにゆだねられているとしか言いようがない。
不自然な力の入り具合(入らない人もいる)をたしかめてみた後、寝そべっている人の からだにあらためてふれ、ゆらしてゆくのだが、 そのいちいちを述べてはいられない ので、解説的な描写はここまでとする。

初めてゆらしを体験(ゆらしてもらった)した時『 出さなかった手紙』に記したように、わたしは生まれて初めてボッーとするということが実感できたのだった。それまでわたしは“ ボッーとする”ということがどういうことなのか、わからなかった。「昨日何してた?」と友だちに訊ね「ボッーとしてた」という返事があった場合、勝手に 『何もしてなかったということか』と思っていた。なにしろ自分は常日頃「黙っている時でも頭の中はさまざまな思念・想念が渦巻いていた( 今思うと─ 雑念・妄想が渦巻いていた ─という方が正確だろうが )」のだから、頭の中で何も考えていないというような状態は想像もつかなかったのだ。
ところが、一通りからだをゆらしてもらったわたしは仰向けに横たわったそのままで、 床に沈み込むようなからだを感じながら、天井のダクト(配管)をただただ眺めていた。
『あー、ダクトだなー』そこに一切の解釈や意味づけはなかった。休憩時間になって、 ようやく起き上がって息をつき、思った『なるほど、これがボッーとするということか』。
『ボッーとする』ということを知っている人からすれば、信じられないようなささいな ことかもしれないが、わたしにとっては驚きに満ちた気づきだった。だからといって、その後のわたしが『ボッーとする』ことを体得したわけでもなく、すぐに 頭の中でぐずぐず考えてしまう性質は相変わらずだったが、ほんのひとときであっても、まったく感じたことのないからだになれた経験は今も忘れられない。他 のひとつひとつのレッスンも新鮮で、そこからわたしは月に一度のレッスンに毎回通うようになった。
 
 
注1)〔裸足〕より足の裏を感じるために裸足で行っていたが、強制ではなく、寒い人 は靴下着用でかまわなかったし、冬のゆらしの際はみな靴下を履いていました。
注2 )〔“ 並ぶ ” とか “ ふれる ”とか、などのレッスン〕『「からだ」と「ことば」のレッスン』参照
注3 )〔後に “ ゆらし ”というレッスン〕このレッスンは、以前「脱力」、当時「からだほぐし」と呼ばれていました。「脱力」という名称は、もともと野口三千三氏が創設した野口 体操をヒントに生まれたレッスンなので、そこでの名称を流用したものだと思います。
「からだほぐし」はおそらく、参加者からの自然発生的な命名ではないかと思われます が、確証はありません。このように名称が変わっていったのは、名称により“ 脱力すること ” “ からだをほぐすこと ”のみが目的とされる危険性に竹内さんが違和感を持っていたからではないかと思われます。最後の “ ゆらし ”という名称にも完全に納得していたわけではなかったようです。
『生きることのレッスン』第三章 いのちを劈くレッスン 〜変わる「レッスン」 より
→「ほぐす」といういい方は、固まってしまった「モノ」をもみほぐして、バラバラの 繊維に並びもどそうということで、結局のところ人の「からだ」を物体と して扱う発想です。実際に受けてみれば、こちらを「モノ」として扱っているな、とすぐ感じる。(後略)
注4)〔そのいちいちを述べてはいられない〕『「からだ」と「ことば」のレッスン』 参照
 
 

V. か ら だ へ の 気 づ き
 
歌のレッスンや、詩や童話・民話、小説や戯曲の一節などを声を出して読んだり、演劇 的なエチュード(即興劇)をやったり、空間をさまざまに動いてみるレッスンなど、毎回、新鮮な驚きや発見があり、レッスンは楽しかった。今までまったく無 自覚でいた自分の声やことばやからだの在り方、人との向き合い方、逃げ方などに気づかされ、ショックを受けることも多かったし、誰かが自分と向き合えるか 否かのところで深くもがいているさまにその場が重苦しい雰囲気になったりすることもあった。けれども、ことばにはされていなかったが、人間としてほんとう に生きるとは、という問いを追い続ける静かな熱気のようなものが場を支えていた。それはもちろん、真ん中に立つ竹内さんの姿勢、深い集中によるものだが、 参加者もみなそれぞれの覚悟を持って来ていたと思う。
竹内さんのことを「竹内先生」と呼ぶ人もいたが、竹内さんは決して教えようとはしな かった。
『私のレッスンは、一人一人が、自分の生き方を自分で吟味して、自分で動きはじめるための手がかりにすぎない、といえると思います(子どものからだとこと ば)』
一つのレッスンで現れてきた一人一人のからだを受け止め、気づかせ、時にはそれを変 えようとはたらきかける。けれどもそれはあくまでも一人一人が自分自身で手がかりを見つけてゆくための手助けをするだけで、その手がかりに手をかけて“自 分の生き方を自分で吟味して、自分で動きはじめる”かどうかは、本人しだい。多少話を聞くことはあっても、ああしなさい、こうしなさい、などの指示や説教めいたことは決して言わなかった。また、どのレッスンであっても評価を下すのではなく、そこ にある、そこにいる、一人の人のからだと全力で向き合う、ただそれだけだった。
『レッスンは成果を目指さない。ただ出発点になるだけだ(「からだ」と「ことば」の レッスン)』
その真摯さのもとにみなも覚悟をもって自らのからだを投げ出し、また誰かが身を賭して場に立とうとするのをたがいに見つめ、支えあっていた。

 そんなレッスンに通ううち、日常生活の中の自分の在り方にふと気づいたり、感性が 変わってきたことがあった。ある時期わたしは八百屋の配達の仕事をして いたが、配達先の中で一軒、どうも苦手なところがあった。とある料理屋さんだったが、そこの店主の方が、いかにも頑固で短気な料理人という感じで、べつに とくに怒られたわけではないのだが、開店前に荷物(野菜)を届けて中身を確認してもらい、伝票に記した金額を用意してもらう間、いつもビクビクしながら 待っていた。ある時、ふと自分の足元に目を落とすと、片足があきらかに出口の方を向いていることに気づき、ハッとした。イヤだなぁ、苦手だなぁ、と思って いる自分が、無意識にいつでも逃げ出せるように構えているからだに現れていたのだった。そこでわたしは、なぜそうしようと思ったかはわからないが、その次 から、待っている間、怖いのをこらえて、意識的に足をそろえ、店主の方に正対するようにしてみた。それを何度か続けるうちに、しだいに以前のような怖さは 感じなくなっていった。店主の方を好きになったわけでも、苦手でなくなったわけでもない。が、なんとなく、わたしがそうするようになってから、店主の方の 感じも、わたしの感じも、何かが変わっていったようだった。
いま、その時のことを振り返ると、最初わたしは店主の方に対して“半身(はんみ)” になっていたということができるかもしれない。次に足を揃えて正対したということは、相手と“向き合う”姿勢をとったということだろう。『相手とよく向き 合って』などという言い方は、よく教師や親から聞かされそうな台詞だが、“人と人が向き合う”ということは抽象的な概念などではなく、具体的なからだの在 り方を表していることに遅まきながら気がつく。対して “ 半身になる”ということは、相手や相手との関係から逃げようとしている、または相手を信用せず、いつでも反撃できるよう、油断なく身構えている在りかたで はないだろうか。
だからといって、いつでも相手と真っ直ぐ向き合うことが正しく良いことで、半身にな ることが間違っている悪いこと、というわけではない。誰だって怖いと思う相手と対峙すれば半身になったりするだろうし、表面上はやさしく話しかけられたと しても、相手の在りかた、こちらへの向かいかたに嘘を感じて警戒し、自然とそうなることもあるだろう。ただ、自分の意識がどうあれ、無意識の自分、そのか らだがどういう在りかたをしているのか、人とどういう向かい方をしているのか、それに気づくことが、それまでの自分とことなるからだの在りかた、生きかた を模索していく歩みを始めるきっかけになることはたしかだと思う。

 
かつてわたしの聞こえない友だちが、手話という“ことば”について書いた文章の中 で、ことばによって人と世界と交わり『人間としての感性を磨く』という言い方をした。それにならって言えば、レッスンに通ううちに、自分の『人間としての 感性』の一部分も変わってきたと思えることがあった。それは映画やテレビなどで映し出されることのある、注射やナイフやメスで人の肌が刺されたり傷つけら れるシーンを見られなくなったことだ。以前はまったく無感動に凝視できたそれらのシーンにぶつかると、女の人が思わず顔をしかめて目を背けるように、いつ のまにか自分も即座に目を固く閉じ、顔を背けるようになっていた。それから気づいてみると、誰かが何かにぶつかったり転んだりしてからだを打ちつける場面 なども、以前はまったくの他人事としてやはり無感動に見ていたのが、自分も思わず身をすくめ、顔をしかめ、同じ痛みを伴うかのように感じるからだに変わっ ていった。それは言い方を変えれば、欠けてしまった、あるいは失われていた人間という動物・生き物としての共 感の感性が目覚めてきたということなのかもしれない。レッスンに通い続けるうちにからだが裸になっていくようで、ちょっとした折にふれ気持 ちもぐらぐらと動揺する自分に気づいた頃、ふと自分の中にある疑問が湧いてきて、竹内さんに訊ねた。
─ 医者という職業がある。患者からすると、患者をモノ扱いすることなく、いつでも患者の身になって、つまり患者の痛みに共感してくれるような医者が理想だろ う。しかし、医者が本当に患者に共感し、同じ痛みを感じていたら、たとえば腹が痛い患者を診察して、いちいち医者も腹が痛くなっていたら、治療ができなく なるだろう。この矛盾はどうしたらいいのか ─
答えは一言だった。「 それはね、背負う(しょう)んだよ。 」
さすがの鈍いわたしも、その一言で得心がいった。

 
 ある日のレッスンで、わたしは立ったまま両足を肩幅ほどに開いて少し膝をゆるめ、 頭を下にして上半身を床に向けて前にだらりとたらす、通称“ ぶらさがり ”という姿勢で「ララララァー」という発声をしながら竹内さんにからだを揺さぶられていた。わたしの詰まった喉や胸を解きほぐすようにさまざまにはたらき かけてもらっていたのだ。何度か発声をくりかえしたあと、竹内さんに「さっきの声と、今の声と、違うのわかりますか。」と訊ねられたのだが、よくわからな かったので、そのまま「わかりません。」と言うと、めずらしく強い調子で「もっと、自分のからだに敏感にならないとダメだ!」と言われた。自分のからだの 変化を自分で感じ取ることができなかったわたしは、レッスンの場でだけでは何か足りないものがあると悟り、ふだんの自分の生活で、自分のからだとあらため て向き合ってみることにした。

 まず、レッスンで二人一組でやっているゆらしを自分ひとりでできるだけ再現してみ た。
仰向けに床に横たわり、できるだけ最小限の力で、手首の中、肘の中、膝の中、足首の 中をゆするように動かしたり、肩や股関節を大きく回す動きをこころみた。レッスンでからだの中の流れのようなものを感じるようになっていたので、それを大 切にしながらやると一人でもからだがほぐれ、息が通り、時にはあくびとともに気持ち良く涙がにじむようになった。また、学校の体育の授業などでやっていた ような屈伸や腕を振ってからだを捩じるような運動も、からだの中の流れを感じながらやるとまるで別のことをしているように新しく感じられて、気持ち良かっ た。
そうしたことを徐々に行う中で、わたしは“歩く”ということをあらためてやってみよ うと思い立った。というのは、わたしはとくに病弱というほどでもなかったが、いつからか立ったり歩いたりすることが苦痛で仕方なくなっていたからだ。遊び でもなんでも、何か夢中になってやっている時や人と一緒にいる時はいい。が、自分一人で立って歩いてどこか別のところへ行くのが苦痛で仕方なかった。わた しにとって歩くことはA地点からB地点にたんに移動することに過ぎず、途中の道はできるだけ効率よく早く通過するためだけのものだった。乗り物に乗れば、 すぐに席に座ってグッタリと休む。人といる時は人からエネルギーをもらえるので、よく笑い、元気だったので、べつに隠していたわけではないのだが、一人の 時や家に帰ってグッタリしているわたしには誰も気づかなかった。
今から思えば、生きて立つ、座るという姿勢を維持できないからだだったのだろう。そ のようないつも疲労感に覆われたからだであれば、かろうじて生き残るために、頭の中がああしなければ、こうしなければと、あれこれ休みなく回ってしまうの も致し方のないことだったのかもしれない。しかし、いくら焦って『こんなことではダメだ!』と自分を叱咤激励してみても、どうにもならないからだだった (「だった」と言い切れるかどうかは、実のところまだ不安が残るのだが )。
とにかくそんなわけで、外に出て、一歩ずつゆっくりと“歩く”ということを、自分で あらためてやってみた。ふつうに歩けば三十分くらいで着く駅近くの公園まで、たぶん一時間半か二時間くらいかけて、ゆっくりゆっくり小さな歩幅で歩いて 行った。ふと気がつくと、かなりのお年寄りが追い抜いてゆくくらいの速さで。何日かくり返すうちにまず、一歩一歩踏みしめる足の上に乗る自分のからだに重 さがあることを感じるようになってきた。肩から腕がぶら下がっていること、その腕にも重さがあることも感じるようになる。
つぎに、その発見した重 さを大事にしながら、少し歩幅を広げて足を踏み出してみた。すると踏み出した足の裏から、重さが膝、腰、上半身へと流れ、その重さのバランスをまた片方に 崩して返してゆくことで歩ける、ということに気がついた。そうやって、少しずつ少しずつ、まるで生まれて初めて歩くかのように、“歩く練習 ” をしていったある日、からだが上気して『歩くって、楽しい!』と思えた時があった。と、同時に『ふつうの人たちはこんなに楽しく歩いていたのか─』とい う、ため息とも羨望とも怒りともつかない想いが湧いた。もしかしたら自分は今までずうっと、いわば「足を棒にして」歩いてきたのかもしれない…。

歩くことでからだのうちにリズムを感じ、閉ざされていた感覚が劈かれると、今までま るで見えていなかった周りの世界も見渡せるようになり、道や川や、家並み、街並み、公園の木々などが目に入るようになってきた。“歩く”ということが、た んなる移動の手段であった時は、いかにして早く目標地点に到達して休むかということで頭が一杯だったので、まだ幼い頃は見たり感じたりしていたはずの周り の景色をほとんど見なくなっていた自分にあらためて気づいた。周りの世界が見え、感じられてくると、時にはたとえば公園の木々、草花とも交歓できるような 不思議な感覚が芽生えてきたりすることもあった。
そうしてからだの閉じこもりから開放されていく中で、ある日、配達の仕事でバイクに 乗っていると、突然、風がからだに入ってくるのを感じた。胸から、脇の下から、腰から、ありとあらゆるところから風がからだに入ってくる、としかいいよう のない感覚で、風でお腹が一杯になるような感じがした。それまでバイクで走る時、風はからだに当たる抵抗のようなものにすぎなかったのが、まったく抵抗が 無くなって、風とからだの境が消えてゆくような自由さ。それはその時しばらく感じただけで、くり返されることはなかったが、からだの奥行きを深く実感する 出来事だった。
 
 
注1)〔指示や説教めいたことは決して言わなかった〕具体的なアドバイスをすることはありました。『子どものからだとことば』ふれあえぬからだ より→「私はかの女にサングラスをかけてみたらどうかとすすめてみた。」
注2)〔共感〕ここでいう共感とは同じ感情を抱く、といったことではない。あくびや、咳払い、赤ちゃん同士が一緒に泣き始めるなど、ほかの人のからだの動 き(と仮に言っておく)がこちらにも移ってくる、共に感じられてくる、ということを指している。竹内さんが 『子どものからだとことば』の中で述べている“共生態としてのから だ”が目覚めてきた、と言えるかもしれない。
 
 

W. 光 と 影
 
 レッスンで立ち現れてくるひとりひとりの思わぬからだの在り方に出会うとき、本人 も周りの者も、驚きとともに、人間という生き物の多様さに思わず笑いがあふれることが多かった。竹内さんにレッスンその時々の場面で 自分のからだを真似される のは、鏡で自分の姿を見せられるよりもギョッとすることもあったが、ことばでの指摘 より説得力があり、また、真似することによって内側からこちらを感じ、受け止めようとしてくれていることが伝わってきた。レッスンでは全員で同時に行うも のと、何人かが出て、それをほかのみなで見ている(見守るというか、見ながら支えるということもレッスンだが)形のものとがあったが、場に出て何かする人 がいつも同じ型にはまった行動をするときなど、本人はそこから抜け出ようともがくのだが、見ている者にはそれがいかにもその人らしく見えることがあり、人 間っておもしろいなぁ、と、なかば感嘆し、みなの間に笑みが拡がることもしばしばだった。
 しかし、場に出て何かをした人を見て感想をいう時 などに、「見ていてとても嫌だった」とか「気持ち悪かった」というようなことばが出されることもあった。それは場に出た人の人格を責めたりけなしたりする ことばではなく、レッスンの一つの場で現れたその人のからだを言っているだけなのだが、人はやはり厳しいことばには弱いもので、言われた人が受け止めきれ ずにケンカのような言い合いになることもあった。また、感想をいう人の側にも投影のようなことが 起こり、必要以上にきつい言い方をしている場合もあったと思う。だが、日常の職場や家庭での立場や役割から離れ、それぞれが自分の存在のしかたと向き合っ ていくためには、裸の人と人として生々しくじかにぶつかりあい、混沌とする場面をみなでくぐってゆくことも、大切なレッスンのひとつだったのかもしれな い。
 
レッスンを経験するなかで、からだの身構えがほどけていったとき『(前略)固着した 緊張がとれていくことはそれを支えている心構えを同時にほどいていくことですから、だんだん他人目から強制されている礼儀とか恐怖から解き放たれて、自分 のからだと心の感じることに正直になってくる。すると、職場などにおける他人との対応のしかたが変わってくるから、人間関係がひどく好転する場合もある が、軋轢が起こる場合もかなり多い。(子どものからだとことば)』というようなことも起こる。
後年、竹内さんはレッスンでの営みをソクラテスのドクサの吟味になぞらえているが、 その中で『ドクサとはその人が個人で持つのではないわけですね。育って きた社会生活の中で身についてくる。だから、世間の人々と共通の思いこみでありまして、その思いこみの組み合わせの上に、社会生活というものが成り立って いる。だから、ドクサをひっくり返してしまうということは、その人の社会生活の根底をひっくり返してしまうことになりかねない(「出会う」ということ)』 と述べている。竹内レッスンの “ からだによるドクサの吟味”をくぐった人が自分のドクサに直面し、世間の人々と共通の思いこみから外れ、社会生活がひっくり返らざるを得ないようなこと も、また時には起こる。
 
 人はレッスンで見知らぬ自分に出くわし、今までの自分の目がいかに曇っていたかを 思い知らされることがある。それはあたかも自分が裸にされ、小さくなって、恥ずかしさのあまり消えてしまいたくなるような想いを抱かせる。
また、レッスンは当然非日常の場であるから、人は日常に帰って行かなければならな い。レッスンで今まで出なかった声が出たり、初めて人と真っ直ぐ向かいあえた、とか、その人にとって心躍るような出来事があったとしても『そこで発見し た、あるいは新しく生まれた自分と、管理社会における部品としての自己の機能をどう統合するかあるいは拒否するかはもっと先の、各自の課題だ(子どものか らだとことば)』と竹内さんは言い切る。
この厳しさを踏み越えてゆく力となるのは『人がここで自分をさらけだして試してみる ための場を、私は私自身の責任で全力を挙げて支える(子どものからだとことば)』という竹内さんの真摯な態度と、レッスンという場をともに支える人たちの 集中の深さだが、もう一つは、誰もが自分で選んでレッスンという場に来ているということだろ う。一時的に離れまた来るのも、去るのも自由。もがくか、やめてしまうか、それも一人一人が自分で選ぶことになる。
 
レッスン参加者には、数回来てもう来なくなる人、一度きりしか来ない人、何年も通い 続けて来る人など、さまざまな人がいたが、基本的に竹内さんの姿勢は、来る者拒まず、去る者追わずで、レッスン参加・不参加に関してとくに何かしらの理由 をきいたりすることも無かった。また、身の上話を聞いたり、職業を訊ねたり、いわゆる自己紹介することも無かった。
『わたしは一つの場を開いて、そこに人を招く。ここでは学識も身分も年齢も意味をも たない。名も問われない。からだひとつがそこにある(「出会う」ということ) 』
 
決まった答えなどない。“ からだひとつ ”を無限に問いつづけて行く。
問うのは竹内さんではなく、レッスンという場に来たりし人たち、ひとりひとりだっ た。
 
 
注1 )〔自分のからだを真似される〕『ことばが劈かれるとき』〜引き裂かれたからだ ─ Nの場合 参照
注2)〔感想をいう〕竹内さんは誰かが場に出て何かをやったとき、周りで見ていた人に「何か感想はありますか?感じたことはありますか?」と問いかけた。
注3)〔投影のようなこと〕『投影』というのは心理学の用語でさまざまな意味を含むが、ここで言うのはたとえば、自分の目の前にいる人がふだん自分の嫌い な別のある人に似ているように見えて同じく嫌うとか、自分に対してあることをしてはいけない、と禁じている人が平気でそれをしているように見える人を見て 腹を立てるとか、自分の“ある想い”を何の関係もない他者に被せるように見てしまうことを指す。ただ、他者に対して投影をしてしまうというのも、その人の 今の他者への存在の仕方、向かい方が正直に現れているとも言えるので、それを頭から否定したり戒めたりするようなことはなかったと思う。
とはいえ、後年竹内さんはそれらの問題を見てレッスンのやり方を変えていったようだ。
『「出会いのレッスン」のやり方を新しくした。場に立つ人のことではない。立ち会って見ている人のことだ。今までも、意見を述べるのではなく、そこに起 こったことを見えたままに語ることを原則としてきたのだが、去年あるところで行ったとき、場に立った人の振る舞いに、まず嫌悪感を持ったり好みが先立つこ とから離れられない人があることを見てから、やり方を一歩進めてみたのである。(後略)』 『竹内レッスン』 V ことばが絶えるところ 持続 より
注4)〔誰もが自分で選んでレッスンという場に来ている〕これはあくまでわたしが通っていた東京のレッスンの話で、学校・大学といった場所で授業や講義の 一環などで行われたレッスンや、その他の場所で行われていたレッスンについては知りません。
 
 
 
X. 独 り 立 つ 人
 
わたしの亡父は奇しくも竹内さんとほぼ同じ年生まれで、戦争には行っていないが爆撃機の搭乗員として訓練を受けていて、終戦間近には危うくその爆撃機で特攻に 行かされる寸前だったらしい。たまたま仲良くなった特攻隊の人たちが乗った移動のための飛行機が目の前で墜落し、全員亡くなったとか、いくつか当時のこと を話してくれたことがある。また亡母も、提灯行列に駆り出されたとか、空襲で焼け出された、などの思い出を話してくれたことがある。ただ、父母をふくめ、 わたしが育ってくる中で聞かされた戦争の話は、すべて嫌だった、大変だった、だまされた、仕方なかったという話ばかりで、なぜ戦争をしたのか、誰に責任が あったのか、どう反省したのか、という話は一度も聞いたことがない。敗戦日や大規模な空襲や原爆投下が行われた日が近づくとテレビやラジオで特集される戦 争についての番組で話されることも、愚かな過ちを二度とくりかえしてはいけない、というスローガンばかりで、いったい誰がどう愚かで、どう過ちを犯したの か、それをどう反省しいま生きているのか、という発言を聞いたことがなかった。それはもちろん、わたしの勉強不足でもあるだろうし、そんなにたくさんの人 と出会ってきたわけでもないのだから、経験不足でもあるかもしれない。だから、わたし個人の世間の範囲にしかすぎないが、少なくとも高校までの学校教育、 周りの大人たち、ふれてきたメディアからは、誰に戦争の責任があるのか、という話は一度も聞いたことがない。
わたしにとって竹内さんは、面と向かった人の中で、自分に責任がある、ということを 態度で示した初めての大人だった。
 
『ことばが劈かれるとき』─ ことばとの出会い 敗戦 より
「(前略)私は中国が列強に征服された半植民地であったことを知った。(中略)日本 が、ヨーロッパ近代を真似た以上、おくればせの中国の侵略者加害者たらざるをえなかったことを知った。かつて中学以来教えこまれたように、「アジアは一 つ」ではない!第一高等学校には特別高等科があり、中国の留学生が学んでいたが、常ににこやかだったかれらの心の裏側にいかなる屈辱感と憤怒とが秘められ ていたか、私は歯がみして思いみた。(中略)日本人が、そしてその一人である私が、加害者であったこと(後略)」
 
敗戦時、竹内さんは学生だった。ほかの多くの日本人のように、だまされていた、仕方 なかった、と自分に言うこともできただろう。けれども彼はそうしなかった。できなかった。「軍国少年だったわたしがアイヒマンにならなかったのは歴史の偶然に過ぎない(思想する「からだ」)」と自分を見据え、 対峙した。
 
1958年に放映された『私は貝になりたい』というテレビドラマがある。
─ 招集され内地の部隊で訓練の日々を送っていた主人公、清水豊松はある日、撃墜され降下した米軍の飛行機の搭乗員を隊長から刺殺するよう命じられる。終戦 後、捕虜を殺害した戦犯として逮捕され、裁判で死刑を宣告される。処刑の日が迫るなか「今度生まれ変わるなら、人間になんかなりたくない。牛か馬か。いや それでも人間にひどい目にあわされる。いっそ、深い海の底の貝にでも…。(略)どうしても生まれ代わらなければならないのなら、私は貝になりたい …」と、
豊松はつぶやく ─

このドラマを見た竹内さんの文章
─『私は貝になりたい』を私はテレビで見た。そして、大変感動している周 囲の人たちの顔を見ながら、何かひどくもどかしい、複雑な感じをもった。それは怒りに近いものだったが。主人公清水豊松は自分は何の罪もないと確信してい る。それが不合理な裁判で殺されてしまう。かれは運が悪かったんだ、実際あんな目にあわせるのだから戦争はよくないよ、というのが、見た人たちの感想だっ た。それじゃあ、殺されたアメリカ人の方はどうなるんだと私は思った。(略)どんなにためらい、反対したにせよ、殺したものの仲間は殺したものの仲間で あって、それ以外のものにはなりえない。命令だから、上官の命令は天皇陛下の命令だから、従わなければ殺されただろうから、ということで殺人は正当化さ れ、ゆるされうるものではないのである。銃をかまえて、立木にくくられた敵兵につっかからねば自分が殺される。その時つっかかる方をえらばざるを得なかっ たのは、それは判る。オレだってそうしたろう。しかし、そこで人殺しに加担したということは決定的な事実なのだ。この人間的責任は、罰せられるべきものが 本来上官であるということとはまるで別に、厳密にとわれねばならぬ。清水豊松はそんなことを気づきもしない。(略)ここでは責任はすべて他人のことであ り、自分は被害者である、という前提に立っている。ということは、人間行動が「他人の血」にかかわることとして自覚されていないことであり、責任が個人的 事情に解消され、相対的なものになっているということである。(後略)─
 
日本人が、そしてその一人である私が、加害者であったこと』を、
深く自覚する竹内さんの視線がここにある。
 
もうどんな集会だったか詳細は覚えていないのだが、ある教育に関するシンポジウムの ような場で冒頭、竹内さんが立ち上がって話したのは「教育が今のようなことになってしまっていることを、大変恥ずかしく思っております」ということばだっ た。いろいろな教育問題を分析し、指摘し、解説する人は掃いて捨てるほど見てきたが、自分の責任である、と発言した人をわたしは初めて見た。その一人の立 ち姿が、今も強く目に焼きついている。そうした竹内さんの姿から、以前、意味がわからなかった石原吉郎のことばが腑に落ちてきたのだった。
 
─(前略)被害者は〈集団としての存在〉でしかない。被害においてついに 自立することのないものの連帯。連帯において被害を平均化しようとする衝動。被害の名における加害的発想。集団であるゆえに、被害者は潜在的に攻撃的であ り、加害的であるだろう。(略)そしてついに一人の加害者が、加害者の位置から進んで脱落する。そのとき、加害者と被害者という非人間的な対峙のなかか ら、はじめて一人の人間が生まれる。〈人間〉はつねに加害者のなかから生まれる。被害者のなかからは生まれない。(略)私が無限に関心をもつのは、加害と 被害の流動のなかで、確固たる加害者を自己に発見して衝撃を受け、ただ一人集団を立ち去って行くその〈うしろ姿〉である。(後略)─
 『望郷と海』 ペシミストの勇気について より
 
〈人間〉はつねに加害者のなかから生まれる。被害者のなかからは生まれな い。
読んだ当初皆目わからなかった石原のこの強烈な断定を、わたしはやがてレッスンの場でしばしば歯噛みしながら独り立つ竹内さんの姿に見るようになっていっ た。
 
 
注1)〔戦争〕第二次世界大戦
注2)〔特攻(とっこう)〕特別攻撃隊 = 特攻隊(とっこうたい)が行なう特別攻撃 =自爆攻撃の略称。ここでは航空機に爆弾を積み、乗組員もろとも敵艦船に体当たりする攻撃のことを指して言っている。
注3)〔アイヒマン〕アドルフ・オットー・アイヒマン(1906〜1962)
第二次大戦時ドイツのヒットラー親衛隊員で、ユダヤ人の大虐殺(ホロコースト)に関与し、ユダヤ人を強制収容所に送る指導的役割を果たした。戦後アルゼン チンに逃亡し身を潜めていたが、後に逮捕されてイスラエルに連行され、裁判の結果、死刑に処された。
注4)〔私は貝になりたい〕このテレビドラマは加藤哲太郎という元戦犯の 方が発表した『狂える戦犯死刑囚』という文章、またその他の戦犯の方が発表した作品等を、ある脚本家が何の断りもなく勝手に脚色・創作してドラマ化したも ので、元となった文章に書かれていることは、テレビドラマのニュアンスとはかなりかけ離れたものである。詳しくは、加藤哲太郎著『 私は貝になりたい ─ あるBC級戦犯の叫び─ 』春秋社(1994年)を参照されたい。
注5)〔竹内さんの文章〕手元にあるのはコピーしたもので、記憶が薄れてしまい、古い演劇系の雑誌からとしか言えないのですが、タイトルは『演出志望者の 悩み─演出部或は演出志望者の集団について─』とされた連載の〈覚え書・完〉という文章の中からです。
 
 
 
─ おわりに ─
あとがきのようなもの
 
 ここまででわたしの手記のような文章は終わりです。以下は断片的に、竹内さんの文 章や竹内レッスンについての参考文・想い出、私の拙文、などの項目の羅列になります。
竹内さんや竹内レッスンについて後世に伝え残して行くためにホーム・ペー ジを作ろうと思い立ったとき、レッスンの一参加者として、レッスンの模様や竹内さんについてできるだけ客観的に描写しようと試みたのですがすぐに行き詰ま り、たとえ限られた狭い描きかたになったとしても、自分の主観的な視点で書いていくしかないことに気づきました。
冒頭の「出さなかった手紙」や、それに続く文章の多くはほんとうに個人的なことで、 他の方からすれば「フ〜ン、そんなこともあったんだねぇ」という程度のことだと思いますが、わたしにとっては生きる上で大変な出来事でした。不特定多数の 人の前に提示するのは己のはらわたをさらすようで、正直なところとても恐ろしい思いがします。けれども、あえて最初にそれをすることで、覚悟を決めて以下 の文章もなんとか書き進めて行くことができました。全体を通して、自分の未熟さ、小ささから、大げさであったり、格好をつけた言い方であったり、ことばの 間違った使い方なり、さまざまな至らない部分があるかとは思いますが、これが今のわたしの限界ですので、どうかご容赦ください。
竹内さんが亡くなり、どんどん年月が過ぎて行きます。竹内さんが残した著書も、そのいくつかはすでに廃刊となり、古本屋ですら入手するのが困難になってい ます。
竹内さんのことも、竹内レッスンのことも、未だ知らない人がほとんどである中、 このホームページをきっかけに、みなさんが竹内さんの本を読んだり、考えたり、動いたりしてくだされば幸いです。
 
「一つの人間的可能性が劈かれることは、他人から見ればどんなにつまらぬ出来事でも、当人にとっては
生きることの意味が変わってしまうような、大きな意味を持つことがある」

─ 竹内 敏晴『ことばが劈かれるとき』より ─
 


★ レッスンとは
 
 『レッスンとは日常生活のなかで固着している、パターン化しているといってもよ い、自分の存在のしかたをもう一度吟味しなおすスタートの場である』 ─ 竹内 敏晴 ─
 
『自分の存在のしかたを問い直す』というが、まず“ 自分の存在のしかた ”ということばがなかなか判りづらいのではないかと思う。
たとえば、何かというと胸の前で腕を組んでいる人がいるとする。ふつうにただ見てい ると何か考えているのかな、などと思ったりもするが、その腕組みのしかたを周りの者が細かく真似してみたら、自分で自分を抱きしめているようである(注: すべての腕組みがそうだと言っているわけではない。あくまで一例として)ことが感じられてきたりする。
「どんな感じがする?」「なんか、自分を守っているみたい … 」
本人はいつもの ─ 固着している、パターン化している ─姿勢をとっているだけだから、かえって何も感じていない。ところが、人に真似されてその(自分の)姿を外側から見たり、あらためて自分の腕組みをひとつ ひとつやり直して感じ直してみると、自分でも、「なんだ、これは?」ということが起こってくる。
 あるいは、歌のレッスンをするなかで、ある人の声がどうも真っ直ぐこちらに向かってこない。ふと足元を見ると、わたしが自身の話で取り上げた時のように “ 半身になっている ”ということがあったり(注:これもすべての場合がそういうわけではない)もする。本人は懸命に声を届けようとしても、からだが逃げていては声がくるはず もない。つまり、『懸命』という意識を、『半身』という無意識のからだが裏切っているわけだ。
 その人がなぜ『半身』なのかはわからない。相手が怖い、人が怖いのかもしれないし、いつも次のこと、次のことと気を取られてからだがそこにいることがで きず、つねに別の場所に駆けだそうとしているのかもしれない。ただ、レッスンはそうした理由についての解釈を目的としてはいない。それは当人がいろいろな レッスンで自分の無意識のからだ ─ 存在のしかた ─に気づき、自分で感じ、考えて行くことだ。

沢村貞子さんの著書「老いの楽しみ(岩波現代文庫)」の巻末に河合隼雄さんとの対談があり、河合さんが『人間は他の声を聴き過ぎて、自分の声を聴き忘れて いるのがものすごく多いんじゃないでしょうかね』と話している。─ 存在のしかたを問い直す ─ ということは、ないがしろにしている“ 自分のからだの声”を聴く試みといえるかもしれない。
 
 
 
★ からだとことば ─ 竹内 敏晴 ─
 
─私は、いまのところ、心とか精神とかいうことばをごくまれに、譬喩的(ひゆてき)にしか用いない。こころとからだは私にとって一つのものであり、からだ が反応し、からだが行動し、からだが考え、からだが語るとしか言いようがない。
私は、「身体」という字を使わない。原義で言うと「身」は孕んだ女の形であり、「体」は切りはなされた肢体の一つ一つを言うのであって、主体として私の言 い現すことばとしては、語感がピッタリこないからだ。─
 
─「からだ」とは、意識(精神)に指揮使役される肉体ということではない。からだとは世界内存在としての自己そのもの、一個の人間全体であり、意識とはか らだ全体の働きの一部の謂いにすぎない。からだとは行動する主体であり、同時に働きかけられる客体である両義的な存在である。心とか精神を肉体と分けて考 える二元論は批判され、越えられねばならぬ。─
 
─ことばとは、発する前にまずからだの中に、ある動くものがある。それが 体の動きとして外へ現れ、あるいはこえとしても発する。それを分けることはできない。「ばか!」とどなる場合には、からだ全体が「じだんだを踏む」とか、 「ぶんなぐろうとする」とか、「走りよる」とか、さまざまなアクションを起こす。こえ、叫び、ことばなどというものは、からだの起こすアクションの一部に すぎない。─
 
─ことばが意味伝達のための道具であるとする考え方は、言語表現より思考 が先行しており、それが本質であるという判定が前提になっている。だが人間は考えたことをことばに移すのではない。考えるという行為はことばをもってす る。つまりことばが見出されたとき思考は成立するのだ。新しいことばの組み合わせが生まれたときに人は考えたということになる。─
 
いずれも『ことばが劈かれるとき』より
 
 
 
★ からだから問われるもの ─ 竹内 敏晴 ─
 
数年前に何 かの理由で登校ができなくなった高校三年の女子生徒に出会いました。彼女は高校に通っているうちに少しずつ精神が不安定になり、病院に通院するようになっ て、その女の子の親戚の方が相談に来られたのです。私のような素人が口を出すことではないといったんは断りましたけど、結局、会うことになりました。
 その女子生徒というのは、中学二年まではいわゆるいい子でした。姉と二 人姉妹で、姉の方は両親には反抗的で自分を主張する子でしたが、妹は言いつけをよくきくいい子で、親としては安心できる子だった。ところが、高校に入って から自分の生き方を考え始めるようになりました。高校三年の時、両親からよい大学を受験するよう勧められ、塾へ行き始めた。またその頃、好きな人ができ て、その彼に「好きです」と告白したところ、「受験勉強の最中で、付きあえない」とヒジ鉄をくらわされるようなこともあったそうです。
 そうして自分のなかで、ことばにならない思いを持って通学しているうちに、ある日、突然乗換駅のホームでわめき出して、それで保護されるという事件が起 こったのです。それからは学校にも行けず、精神神経科に通い投薬を受けました。周囲の人は大学受験に差し支えると大へん心配していたそうです。私は相談に 来られた人の家で彼女と会うことにしました。
 部屋に入ると、紹介者といっしょに健康そうな女の子がニコニコして立っていました。私はその子が話に聞いていたイメージと全然違うので、姉さんかと思っ たくらいです。後で紹介者に聞きますと、私と会ったときからニコニコしだしたということですが、本当にそうなのかどうか分かりません。
 その女の子と向かいあい、今どんな気持ちでいるのかとか、あなた自身としては、どんなことから、どういう状態になったのかということを訊きました。話を しているうちに、気になることがでてきたんですね。話が一区切りつくたびに、「私一人がしっかりして、我慢すればいいと思うんですけれど、私が少し異常な ものだから、どうしても発作を我慢できない」とくり返して言う。それで私は、「ちょっと待って、あなた、自分が異常だ、異常だ、と言っているが、それはど ういうことか、一つでいいから話してほしい」と言ったんです。すると、彼女はこういう話をしたわけです。
 「夜、寝ようとするが寝られない。そのうちからだが震えてきて、真夜中に“ワァー”と叫んで、雨戸を開けて外に飛び出してしまう」と。すると近くに親戚 の目ざといお年寄りが住んでいて「あれはおかしい、なんとかしろ」ということで、病院へつれて行かれる。そのくり返しだったというのです。私はその子の話 を聞いているうちにからだが熱くなって、怒りみたいなものがわいてきて、こう言いました。「乱暴な言い方だが、あなたは異常でも何でもない。実に健全なか らだだよ。今、これでは生きられないということを、あなたぐらい全身で表現しているこんな健全なからだは見たことないぐらいだ … 」と。
 今まではいい子で、おとなしくて、きちっとした家庭生活のなかで、ある役割を担っていた。それが、いわゆる思春期となって、その生き方がもうできない、 生きられないということにぶつかる。そういうことを全身で言っている。私はそう思ったので、率直に言いました。彼女の意識は、からだがそれだけ表現してい ることを認めていない。父母や先生に教えこまれた価値観で、自分のからだの動きを判断して、それを異常だと思いこんでしまっている。こころとからだが二つ に分裂しているから、大へんつらかっただろう、と言いました。すると女の子はスーと顔色が変わり、静かになって、心がほぐれていっているのがよくわかりま した。
 その日私に電話があって、私が帰った後、紹介者が「今、どんな感じ」と女の子に訊くと、「手を拡げて、鳥になって飛んでいるような感じ」と言ったそうで す。
 次の日、その子の家に行ってお父さんとお母さんに話をしたことはこういうことです。
 私も子どもを持つ親の一人ですが、子どもたちが少し生活のルールからはみ出すと異常だと思い、一つの症状として見て情緒不安定だと判断しがちだが、その 前にその子の存在全体で何を語っているか見ていくことが大事だと私は考えていると。
 
 ところで十年以上前のことですが、言語障害の子どもたちの教育をしている先生と話したことがあります。私自身難聴で、ことばがうまくしゃべれなかった時 期があり、そういう人たちとの関わりから仕事を拡げていったのですが、そのとき、つぎのような話をしました。
 ある先生が自分の教えている子どもたちは、どうもからだが弱いという。どんなふうに弱いのかと聞くと、家に帰ると自家中毒を起こすという。つまり、すぐ 吐いてしまうと。これを聞いて、私は、からだが熱くなってきたんですね。「吐くという症状だけをとらえてすぐに自家中毒(周期性嘔吐症)と決めつけてしま うのは、ちょっとおかしいのではないか」そう言うと「よく分からないが、 家で医者に連れて行くと“自家中毒”と診断書に書かれて、それを持ってきて次の日は休むということをくり返す」という先生のお話でしたが、自家中毒はいろ いろな原因で起こりうると思います。吐くということを一つの病気として考えてみると、自家中毒も診断の一つといえるかもしれないが、この場合、それで事足 れりとして終わってよいのかどうか、非常に疑問を感じたのです。
スイスの有名な精神医学者であるビンスワンガーの臨床研究に、ある若い女性がしゃっくりによる呼吸困難を引き起こして、彼のもとに運ばれたのを治療すると いう記録がある。彼は治療をとおして、嘔吐とか、しゃっくりとかは、人間的にいうと、今生きている状況を受け入れることができないという表現だと考察して います。
 また、日本語にも「のみこむ」ということばがありますが、「その話をのもう」とか「のみこめない」と言う表現と同じで、吐くということは、自分のなかに 受け入れられないから吐いてしまう。軽いのは咳ばらい、あくびなどであったり…。つまり、吐くとはからだとこころを持つ人間としての一種の反応であって、 単に自家中毒という一つの症状だと診断してもらって、これは病気だから周囲の人間とは関係ないものだから、といって安心していられるものではないわけで す。その子は「吐く」という行為より以外に、現実に我慢できない自分を表現するすべを持たないのではないかということを、その時私はその先生に言ったんで す。
 
 数年前、幼稚園の全国大会でご一緒した方で、保母の指導をなさっている女性が話されたことが胸に残っています。その人がある幼稚園に見学に行ったとき、 園児の男の子と女の子がケンカをしだして、女の子が泣き出してしまうということがあった。どうするかな、と見ていたら、保母さんがとんできて、男の子に 「だめじゃない、女の子をどうして泣かすの」と注意しはじめた。ところが、その男の子は「だって、あいつが悪いんだもん」と反論する。「とにかく、泣かし ちゃだめ。あの子、泣いているんだから」と保母さんは言う。男の子は、「だって、あっちが悪いんだから、あやまりたくない」と。
「なんでもいいから、とにかく『ごめんなさい』って言いなさい」。そして、男の子がふくれてくるのを見た保母さんは、もう一度、「なんでもいいから、とに かく『ごめんなさい』って言いなさい」と、しつこくくり返す。すると男の子は、とうとう「じゃあ、ごめんなさい」と言ったそうです。
 その人は、“ごめんなさい”という和解がいちおう成り立ったところで、保母さんと男の子のあいだでどういうことをするのか、見ておられた。しかし、その 保母さんは男の子が「ごめんなさい」と言ったとたん、「あっ、『ごめんなさい』と言ったわね。はい、じゃあよろしい、向こうへ行って、みんなと遊びましょ う」と言いながら女の子を連れて行ってしまった。その男の子は一人そこに 残ったまま、何ともいいようがない、うなっているような状態だった。
 その人は、どうも気になったので、後で子どもたちに質問したそうです。
「ここに二人の子どもがいます。一人はいたずらか何か悪いことをしてしかられた。そのとき、ごめんなさいと謝ったが、すぐまた同じようなことをします。 とっちめられると、また、ごめんなさいと言いますが、許すとまた同じことをします。百回ごめんなさいを言う子がいます。もう一人はなかなかごめんなさいが 言えません。しかし、二度と同じことをしないとしたら、この二人のうち、どちらがいい子ですか。」
 子どもたちは即座に手をあげて、百回ごめんなさいを言う子がいい子だ、という答えが返ってきたそうです。
 この話を聞いた時、ショックでしたが、その女性も非常にショックを受けておられた。それでこのことをどう考えればいいのかということですが、まず最初に 考えるのは、“ごめんなさい”ということばをそういうふうに使うものだろうかということ。ごめんなさいを言うとき、自分の内には、相手に対して、すまな い、悪かったという気持ちがあるとか、また相手にそういうことを言って許してもらおうとする気持ちもあるかもしれないし、また、本当はごめんなさいと言い たくないのだけれど、やっぱり相手を傷つけたという負い目があるから、そう言わないといけないな、ということもあるでしょう。これはつまり、相手に対して あやまることで、ある人間関係をつくる決心をする。言いかえれば、その気持ちをことばに託して相手に手渡すときに「ごめんなさい」と言って、相手に話しか けるということです。ところが先の“百回ごめんなさい”はそうではない。一種の符号というか、たとえばアリババの“開けゴマ”ではないが、ごめんなさいを 言えばパッと罪が消えてしまう免罪符のようなものにすり変わっていると言ってもいいと思います。
 
 ことばは、人が人とつながり、ふれあうために必要なものの一つだと思います。この場合、人と人がふれあうためでなく、反対に、人と人がふれないために、 ある枠のなかに閉じこめる役割しかしていない。こういうように、ごめんなさいを言ったらすぐに許してもらえるという形でのルールをマスターした子どもたち は、行儀がいいとか頭がいい、集団行動ができると評価されるかもしれない けれど、ことばが組織され拡大されると、人と人がふれあうということは一体どうなっていくのか ─ 。
もう一つ気になるのは残された男の子のことです。その子がウーッとうなったのは、どうにもしゃべりようがないからだと思う。そうでなければみんなと一緒に ついていったはずです。ここで二つのタイプの子どもが出てくる。一人はごめんなさい、百回ごめんなさいが言える子。こういう子はコンプレックスがたまると ころがないので、たぶん、一見、非常にのびのびとやっているように見える。私も子をもつ親ですから、子どもがのびのびと育ってほしいことはわかります。し かし、一見のびのびしていることが、実は本当は危ないんじゃないか、そういう時代に来ているのではないかという気が非常にします。
 ウッーとうなっているのは、今流に言うと、暗い、閉じこもっているということになるでしょうが、一体どちらのからだが本当に人間的なのか問い直していか なくてはならない。
 
 たとえば、ここに四十人ほどの子どもがいて、なかに二、三人がみんなと一緒にはうまく動けず、どうしたらいいのかよくわからなくてモタモタして、みんな に迷惑をかけている子がいる。そうすると、「何をぐずぐずしているのよ。ごめんなさいとさっさっと言えばいいじゃないの」というふうになってきたならば、 これは一つの差別の始まりであって、非常に恐ろしい。
のびのびしている子どもから言えば、それは当たり前のことで、差別しているとか、いじめているという意識はないかもしれない。ところが、うまく自分の気持 ちをことばにしたいけれどできない、受け入れてくれる人がいないとすれば、その子にとって非常につらい攻撃であるわけです。
ここ二、三年、児童の自殺が増えていますが、その場合、いつもいじめが問題になります。その時に出てくることばは、「そんなにあの子が苦しんでいるとは思 わなかった」とか「いじめた覚えなんてほとんどない」と、いじめた側が知らないわけです。これは、違う言い方をすれば、のびのびといじめているわけです。 のびのびと、自分たちは行儀よく、自分たちの価値観の中で、先の話を引用しますと、「ごめんなさーい」ですんでしまうということになる。
今のいじめがすべてそうだとは思いませんが、基本的な状況だと言えると思う。ですから、いじめをなくすために、いじめる子どもが反省するとか、いじめられ る子どもが強くなるということで片づく問題ではないんですね。
 
近代国家というものの始まりはどういうものであったかと言いますと、近代国家が成り立ったときに、その秩序を、成り立った社会を持続し、発展させていくた めに、あるいは働き手を養成するために作ったのが学校であると。そのために、現状を維持し、強固にするシステムを子どもたちに与えるわけです。一人ひとり が今のシステムとは別のところへ出ていく、生きていくためにはどうすればいいかを考える場では本質的にない。
しかしそのなかで、親や教師なりが、子どもたちのからだをどういうふうに見て、どうやって一緒に生きていけばいいのかを探っていきたいと考えたときにどう なるか、何ができるのか −
私にはこれといった処方箋はないわけですが、ただ二つ考えていることがある。一つは先ほど言った“ ことば”です。本当に人が人にことばをかける。つまり“ ふれあう”ということですが、自分のことばを本当に人に届ける、そしてまた、他の人のことばが、自分の身に本当に受け入れられる。そういうじかに話しかけ るなかで、人と人とがつながっていく喜び、あるいは苦しみももちろんありますが、そういう人間的な感触を取り戻したいということですね。
 
 
《 お 断 り 》 …上記の文章は、以前竹内さんからワープロ原稿のようなものをいただいて、それをわたしが打ち直したものです。冒頭の高校三年の女子生徒の話は『思想する 「からだ」』の「表現すること生きること」という章に、より詳しい話として書かれています。多少内容が違うところもありますが。何かに掲載された文のよう ですが、掲載誌は不明です。
後半の幼稚園での話は、ちくま学芸文庫『 教師のためのからだとことば考 』の
─ 断章一つ(「からだから見た教育」より)」─ に、書き直されて掲載されています。
  岩波書店『岩波講座 教育の方法〈8〉からだと教育』(1987年)に寄稿したもののようです。

 
 
付記: ─ 人が人にことばをかける ─
 
『からだから問われるもの』の最後に、竹内さんが「本当に人が人にことばをかける」 という言い方をされていることに関して一つ、わたしの記憶に残る新聞記事の話を記しておきたいと思います。(残念ながらいつ、何新聞の記事だったのかは憶 えていません)
 
ある幼い女の子が家に帰ってくるなりお母さんに「お母さん、今日はお兄ちゃん、こんにちは、って言ったよ。バカって言わなかったよ!」と嬉しそうに話しか けた。
 そのお母さんによれば、女の子が道でいつも会うお兄ちゃんに「こんにちは!」と挨拶しても、ずうっと「バカ!」という返事しかなかったという。それが初 めて「こんにちは」ということばが返ってきたので、彼女は喜んでお母さんに話したのだという。
 「バカ!」という返事しかしなかったというその人は、何かに閉ざされ、周りを敵だとしか思えない存在のしかただったのだろう。ところが、毎回、毎回、女 の子に「こんにちは!」ということばをかけられているうちに、彼の中で何かが変わった。ただの挨拶ではなく、女の子がかける人として人にふれる「じか」な ことばが、人としての彼に本当に届いたということではないだろう か。
 毎回「バカ!」と言われてくる娘を黙って見守るお母さんの懐の大きさと、ことばをかけることをやめなかった女の子の生き生きとはたらきかける力と、わた しにはいつまでも忘れられない話だ。竹内さんのことばを心に留め、実践するためにも、女の子を見習って生きたい。
 
 
 
★「からだ」へのいじめ ─ 竹内 敏晴 ─
 
  ここ何年間か、私がくり返し言ってきたことは、学校教育において表現に関して、いやむしろ子どものからだあるいは存在の仕方に関してと言った方がよいだろ うが、「三角坐り」を廃止しませんかということだ。三角坐りとは、地域によって体育坐り、体育館坐り、お山坐り、トンネル坐りなどさまざまな名で呼ばれて いるが、子どもに尻を床につけさせ、揃えた膝を両手で抱え込んで指を組み合わさせるものだ。もともと日本にはなかった坐り方で、1960年代の始め頃まで に小学校に在学した人々、つまり現在(引用者注:この本の初版は2001年5月)四十五歳くらい以上の人々にとってはほとんど経験がない姿勢なのだ。それ がいまでは二十歳台を中心とする若い人々が集まると、とくに若い女性においてはそのほとんどがこの姿勢で坐り込む。結局背を丸め、時には揃えた膝の上に顎 をのせて一人に閉じこもる、といった形になる。
 この姿勢が学校に取り入れられたのは、1958年に文部省が、児童を戸外で坐らせる場合はこのやり方がよろしかろうと通達したのが初めらしい。まだ体育 館なども少なく、体育といえば運動場で行っていた時代のことだ。ところが、1970年になってみると、この坐り方は全国の公立小学校に広がっていた。戸外 でも床の上でも時と場所を問わず、子どもが集合する場所にはすべてこの坐り方が適用される、と言っていいほどになった。
 わずか十年間に何が起こったのか。いったいなぜ教員たちはこうも急いでこの坐り方を取り入れたのか。私が尋ねてみて驚いたのは、なんのためということは 思ったことがない、という答えがいつの場合にもほぼ三分の二だったことである。若い教員は自分自身小学生の時にその訓練のなかで育ってきているので、もは や単なる慣習として吟味の外に置いてしまっているらしい。押して尋ねるとぽつぽつと答えが返ってくる。その第一は、手遊びをさせない、で、第二は、位置を 移動させない、である。私があっけにとられたのは、教員の話に集中させるため、という返事がかなりの数の人から出た時だった。どういうことか私には一瞬わ けが判らなかった。子どもが無言で不動でいさえすれば集中していると見なしてやっと安心する、ということなのだろうか?
 結局尋ね廻って知ったことの第一は、この姿勢は、子どもにとってよいものだ、という視点はなにひとつない、ということだった。すべて教員が子どもを静粛 にその場に釘付けにするために、つまり管理のために利用している、ということで、これば、最初の文部省の通達の意図をも超えて、管理強化の切り札にされて しまっている、と言ってよいように私には見える。
 古くから日本語の用法で言えば、これは子どもを「手も足も出せない」有様に縛りつけている、ということになる。子ども自身の手で自分を文字通り縛らせて いるわけだ。さらに、自分でこの姿勢を取ってみればすぐ気づく。息をたっぷり吸うことができない。つまりこれは「息を殺している」姿勢である。手も足も出 せずに息も殺している状態に子どもを追い込んでおいて、やっと教員は安心する、ということなのだろうか。これは教員による無自覚な、子どものからだへのい じめなのだ。
 ここまでくればわかるように「からだ」とは肉体のことではない。特定の条件下で短い時間この姿勢を取らせるのでなく、いつもいつもこの形を強制すること は、教員にたいする、ひいては学校、いや外界にたいする一つの身構えを恒常化することを強いることだ。即ち、人間存在としての子どもの身心全体にたいして の「いじめ」なのである。
 
( 竹内敏晴著 − 思想する「からだ」− 晶文社 より抜粋/ 初出『教育』1995年6月 NO.588 )
 
 
 
★ からだが語ることば ─ 竹内敏晴レッスン記録「劈く」より
 
 以下は以前、評論社から発売されていた竹内さんのレッスンを記録したビデオのなかで、松井洋子さんが聞き手となって竹内さんがレッスンについて話してい る部分を聞き書きしたものの一部である。後日、竹内さんにその部分の原稿もいただいたが、ことばがきれいに整理され過ぎて、話し手の生々しい想いが損なわ れている感じがしたので、わたしが逐一書き起こしたものを下敷きに、甚だしいくり返しは省いたが、あのー、とか、まあ、とかなどの話しことばの雰囲気は残 し、その他の部分を一部略してここに提示する。
 
聞き手:松井 洋子 氏 …1947年、大阪府堺市生まれ。大学卒業後、竹内敏晴氏のレッスン、野口三千三氏の体操に出会い、からだ・こころ・こえに対する新しい感覚に目覚める。 「大阪からだとこころの出会いの会」主宰。(松井氏著書「女のエロス 男のエロス」より)
 
松井洋子(以 下、松井)/「立つ」、「歩く」、「並ぶ」レッスンが終わりました。参加者の一人一人が何を体験したのかを振り返り、竹内さんからコメントをいただきたい と思います。まずわりと多かったものですけれども(略)自分が歩いている実感がない、自分の足で立っている実感がない。それとか手とか足とか胴体がバラバ ラだという感想があるんですね。それについていかがですか。
竹内敏晴(以 下、竹内)/ふだん、そういうことを感じながら生活してるって人はあんまりいないと思うんですね。ただ、人を、たとえば人から見てるとね、あの人は足が地 に着いてない、っていうようなことばがよくある。なんかヒョコタカヒョコタカ歩いてるとかね、やたら手ばっかり振り回しててね、こっちが向かい合って生活 してると息苦しくなるみたいな人とかってのが、色々いるわけだけども、当人はなかなか気がつかない。そのことが自分で自然になってますからね。それをレッ スンの場でやってみるとあらためて、アレッていうんで気がついてみると、まずそれが第一だと思うんですね。
 自分っていうものが、いつも生活の中で気がつかなかった自分に気がついてみると。だから必ずしもプラスのものばっかりじゃなくて、ふつうで言う意味の ね、なんか、ひどい自分だなっていうふうに気がつく場合もある。けれども、そのことが出発点だと思うんですね。
松井 /そうしたら自分っていうのね、(略)何を感じているかとか、どう思っているかとか、そういうことをわからないってことも、レッスンの中で気づく、ってい うことが大事だということが言えるんでしょうか。
竹内 /そうですね。「どういうふうに感じているんでしょうかね。今どんな感じ?」って言われても「アレェ?」とかね。
 たとえば人の顔をこう、見るでしょ。あなたとこう向かい合っててね、どんな感じだ、ああ、ええ感じの人やな、とこういうふうにならないでね、あ、この人 はなかなか学がある、聡明そうな人です、ってなことに、たとえばまあなる。
松井 / ええ、多いですね、そういうのね。
竹内 /そうすっとね、いかにも自分が感じてることみたい、そりゃたしかに何か感じてるからそういう判断をするわけだけども、そりゃ自分とは関係のないところ で、その人がこういう、社会的な、価値観念から言うと、こういうことである、という判断をしてるわけやな。
 で、自分にとってね、あの、この人がどういう感じかと。えらい聡明な人の前だと私は身が縮んでね、とてもちゃんと息ができないとかいうならね、そ のことが自 分が感じてることであって、というふうなことが、まああるわけで、その一つ手前のところでね、こう判断してると。そうすっと、こういう「何を感じてます か?」って言われて、今みたいなことを一応言ってみる。「そりゃ感じてるってことと、ちょっとずれてるんじゃないですか」、と言われた時に、自分の中で、 ハァ、いつも自分はこういう気づきまでね、戻ってないなあ、ということに気づいてくる。そこへ一遍戻らないとね、何を感じてるか、自分はど ういうところで、人を、世界を(自分を)感じて生きてるかってことがこう、出会わない、ってことは言えるんだと思いますね。
松井 /あのー自分の中にね、ちょっとこうイライラしたりとか、あるいは人前に出すのが恥ずかしいなあ、っていうか、恥だなあ、っていうか、さらしたくないって いうことを、感じてるってことに関してはどうですか。そういうものをこう気づいて表現していくってことは …
竹内 / あのーそれは …。ある意味で言うと、非常につらいことだと思うんですね。私も子どもの頃は耳がよく聞こえなくて、ことばがしゃべれなかったから、人が自分に対してどう いう目を向けてるかってことについてはね、物凄くまあ過敏だったと思うんです。
 それでまあ、ついこの間、病院に行ってね、フッと気がついたけれども、本当にこう、病院のアナウンスがよくわからないとね、非常に緊張してね、他の人の 顔を見ね、俺の番はまだだろうか、あの人は俺より前だった、いや、そうではなかった、っていうようなことでね、物凄い緊張してる自分に気がついたら、あ あ、子どもの頃はこうだったな、って思ったのね。
 でまあ、たとえばそういう自分ってのがあるでしょ。そうすっとそういうのは人に見せたくないから、できるだけ隠しておきたい。しかしその隠 しておきたいと いうことが、自分のある非常につらさになってるってことも、気がついてる人もいれば、気がついてない人もいる。それがレッスンの場なんかで、ああ、そうか 自分は本当はこういうことをね、人に見せたくないからね、こうやって頑張ってね、こういい顔してるんやな、と、人にはいい顔見せるんやな、と気がついてき たということがあるとすりゃ、それはとても大事なことだと思うんですね。
 たとえばそれから先で、それじゃあね、それじゃいい顔捨ててしまお う、っていうふうになるのはちょっと大変なことだろうと思う。大変なことだろうと思うけれども、とにかく、ここのたとえばレッスンの場というのが何の意味 があるかと言えば、そういうことを、この場だったら、何をしてもいいと。いっぺんワァーっと出してみてね、ハァッー恥ずかしいと思っても、それはこの場だ けのことであってね、他にいた人がね、そのことを根に持って何かするわけでもないし、この場だけはとにかくやってみると、ここで自分にぶつかってみるとい う、そういうことだけはみんなが了解しあって、お互いに支え合うと。ここんところまであの、出て行きたくなると。出て行きたいけども、こっから先は恥ずか しい〜っていう時にね、「出したらええんやろ」っというのをね、みんながこうね、向かってくれる時に、初めて自分に出会えるという、そういう場がね、ここ にできるといいなあ、と思うんですね。
 
─ 中略 ─
 
松井 /感想の中に「人に近づきたいけれども、拒否されるんじゃないかっていう想いでビクビクいつもしてて動けない」(略)そういう感想があるんですけれども。
(中略)
竹内 /拒否されるんじゃないかっていう想いで自分の中へ閉じこもってしまう。
松井 / ええ。
竹内 /それは私が実際に耳が聞こえなかった時期にね、ずうっとこう、同じことばでね、言い表せるような体験してきたから物凄くよくわかるんだけれども、そこか ら目を相手に開くというね、そこの、それは一つのなんて言うかな、跳躍、というかね、決断と言うかね、そういうとオーバーだけど、それしかないのね。
 こうスッと相手を見てみる。見てみた途端に(略)ほんのちょっと横目で見たみたいな見方なんだけども、それを相手の人がフッと受け止めた途端にね、相手 の人がパッと変わる、ということがあるわけですね。
松井 / ええ。
竹内 /そういう、ある踏み切りをした時に、相手の人がそれに対してどう返してくれるかってことでしかね、それ破れない。
松井 / ああ、そうですねー。
竹内 /だからその中へ閉じこもるっていうのは、ずいぶん、今多くの人が苦しんでいることだと思うんですけども、ただ一つ言いたいのはね、僕は、とにかく(略) こう真っ直ぐにね、まず向かい合ってみるってことを言いたいのね。そのときに、ああ、あの人にね、嫌いだ嫌いだって言われるんじゃないだろうかと思って目 が こう閉じたり、目がこう下に動いたりするでしょ、ということは力が入ってくる、ってことなのね。
自分の中に力が入ってくるってことに気がついたならば、それを、ハァーって息とともに力を抜くことだけはできる。そうすると自分は、中の自分はね、逃げた い、あっちも来たい、ワァ怖がってる、ってのわかっていても、自分をね、真っ直ぐに相手に向けたまま、ハァーって、とにかく息をして、こう向かい合って るってことだけはできるわけですね。
自分の中で ね、逃げちゃいけないとかね、こう、頑張らなきゃいけない、と思い始めると大変だと思う。そうではなくて、私は、逃げたい自分には自分で気がついてればい いし、怖がってる自分も自分で知ってればいいし、しかし、そのまんまね、相手にね、力を抜いて、ワァっと逃げたくなるからだが起こってきた時にその力を抜 いて向かい合ってみると、いうことはね、やってみてもいいんじゃないかなぁ、と。そういうことで僕は、少しずつ、こう、向かい合えるようになってきた、っ ていう気持ちがあるんですね。
 
松井 / (略)感想の中でね、相手の反応を窺ってしまうとかね、でそれを観察してしまうっていうか、これ現代人の特徴だと思うんですけれども、(略)そのことで、 人と並ぶとか、あるいは人にふれるとかいうことで、何かありますか。
竹内 / それは …一口に言うと相手と距離を置いておきたいっていうことですよね。
松井 / ええ、一線を引くとかね。
竹内 /そいで、ある距離を置いて、自分は安全地帯にして、相手を観察し、判断したいということですね。えーそれを自分で気がつくのは難しいけども、そういうふ うに、たとえば相手からされた時にね、自分はどうなるかというと、それは、なんていうかなあ、あの、いわば、判断材料、実験材料みたいなものであって、ど うも人間として向かわれてないってことになりますね、相手から言うとね。
 で、ということに、つまりレッスンの中でたとえば交代してやってみる内に、まず自分の立ち方、自分の向かい方が人にとってどういうものかってことを逆に こうやってみてね、自分が気がついて感じてみるってことが一番大事なんだろうと思うんですけれども(略)
 今の学校教育ってのはね。そういうふうに、人に向かうことしか訓練していないってことなんですね。全部そう。そいで、相手なり物なりをある距離を置い て、自分は物とは直接の関わりのないところにいて、観察し、整理し、それをたとえばことばにするとかね、で、これこれこうこうこういう人です、というふう になるなり、こう、全部そういうふうに客観的に物を観察するという訓練しか受けてない。
 だからそれは自分のからだについても言えるわけで、体育やなんかでからだを動かすと言ってもね、この手をこっちへ、この手をこっちへやる、こうやって、 ああやって、全部意識で自分のからだを操作するというふうになるわけですね。
 ところが人と向かい合っている自分、それから人に惹きつけられてね、フゥッと手が伸びてく自分てのはたとえば、まあ、日本語で言えば大変いいことばがあ るんですけども、こう、意識してこう手を出す、これは「手を出す」ですね、こうやって手を出す、握手する。(実際に松井氏と握手をする)
松井 / ええ。
竹内 /これはよく日本人にあるんだけどね、こう握手するってのは、親しくなってね、ヤアヤアヤアって、こうなる(身を乗り出し、相手に近づく)かと思うとそう じゃなくてね、(腕を棒のようにしてからだを遠ざけ)ヤアヤアハア、これ以上近づかないで下さい、とは、言わないけれども、そうなってる、っていうのはあ るでしょ。
松井 / 固くなりますね。そうされるとね。
竹内 /そうね、こうやってね、お尻を後ろに引いてね、手だけ前にあるわけだね。これが「手を出す」って言う。意識して。だけども、ああ、なつかしいなぁ、と思 う時には、フッとこう手が行くでしょ。これは日本語で言うと「手が出る」と言うわけだね。
 その、思わず知らず自分の中から動いて、本当に相手とね、一つになってふれるっていうふうに動く時っていうのは「手が出る」という動き方なのであって、 「手を出す」ではない。その「手が出る」という動き方というのは、予測もできないし、コントロールするってことは非常に難しい。むしろ、自分の中から沸き 起こってきたまんまに動くわけですから、あるこう、なんていうか、集団的な訓練の場っていったらね、そういうのは邪魔になるから全部切り捨てられてきてる わけですね。ところが、人と人とがふれあうって時にはそれがもう一番根源的な動き。
 そうすっとね、向こうがニコニコ、ニコニコして来てもね、僕はテレビのキャスターでね、一人嫌いな人がいるんだけどね、いつもニコニコ、ニコニコしてん だけどね、本当は中はちっとも笑ってないのにね、顔だけ笑ってて、その人の顔が出てくると、テレビの前から逃げたくなるわけですね。
 そういうふうにいくら向こうがね、こう行儀作法で来ちゃって、こっちのからだはとてもそれじゃあね、駄目だというふうに逃げ出すからだがある。そういう ふうなからだというのは自分が計算してやれるわけでもなんでもないわけですよね。そちらの、根源的なからだっていうものをね、どっかで気がついてみた い、っていうことが一番、僕にとっては大きなことで … 。
 でまあー強いて言えばね、そういう想いってのはみなさん全部背負ってるとは思うんです。で特にそういうことが強く出てくるのはね、たとえば障害を持って いる子どもとか、それから、なんかまあ閉じこもってる人とか、ねえ、さっき言った、つまり人にこう悪く思われるんじゃないかと思ってねえ、人の顔が見れな いっていうのも、ある意味で言えばそういう意味では非常に正直な、ね、
松井 / うん、そうですねー。
竹内 /だからそれは、今の、社会の、その管理の、仕方に対する、正直なからだのあり方なんであって、だけどそういうふうにやって閉じこめられて来たっぱなし じゃどうしようもないだろうと、そこをどうやったらね、その中で深く息をついて、生き生きとできるかっていう時にね、
松井 / 打ち破って行けないですね。
竹内 /そこで、ちょっと目を開いてみましょう、ということを言いたい、という、そういう感じ。
 
 
 
松井 /「ふれる」というレッスン、そして「脱力」のレッスンの中で参加者の一人ずつが体験したことを手がかりにしながら、竹内さんに伺いたいと思います。 (略)竹内さんはどんなふうに「ふれる」っていうレッスンを考えていらっしゃるんですか。
竹内 /基本的に言うとつまり、こうやって二人がいるでしょ。こう二人の世界ができるでしょ。それはもうふれてるんだよね。それをね、具体的になるってことだけ だと思ってるわけ。今あることを、そこであるアクションを起こした時にそれが具体的になってくる。
ところが、 その場合に、そういうふうにしたくない、あるいは相手を警戒してちょっと距離をとって、相手を調べて、あるいは見つめていたいっていう動きだって当然ある わけですね。今の世の中ってのは、管理の仕方ってのは、いつもある距離を置いて、相手を客観的なモノとして判断して、それと自分が何か利害関係なり、ある 一つの事柄を遂行するために、その部分でだけふれていくという訓練が非常に行われていて、
松井 / うまくなっている。
竹内 / うん、うまくなってる。
 だから向かった時にパッとまず距離をとってみるっていうとこから始まってしまう癖がついてると思うのね。で、そういうことが社会生活の中にありうること も当然だと私は思いますし、そういうことができないと、自分がね、生活できない部分ていうのはあると思う。だけども、そのことだけになってしまうとね、人 として生きて行けないというところは、ある。(略)
 だからあのー、なんていうのかなあ、えーふれようとした途端に、いつも、こうアレッて手が出ない自分とか、引っこんでしまう自分ってのに気がついてるっ ていうのは、あのいつもは、そういうふうにある社会的な規制の中でね、そのことに自分を合わせよう合わせようとしていて、見えなかった部分が、ここへ来た 時に気がついてくるっていう部分であって、それは人間の生きている、というね、あるもうちょっと根源的な部分が目を覚ましてくることだというふうに思うん です。
 だからあの、レッスンの中でうまくふれられなくてもね、僕はいいと思うし、そのことで、どっか自分のからだの中で生き生きとしてくるものがある、あるい は気がついてきたものがあれば、僕はそれでいいと思ってるんですね。
 
松井 /ふれる、とか、ふれられるっていうことに抵抗感があるというか、あるいは、ふれようとした時に、手が思わずすくんでしまうっていうか、出ないっていう か、そういったことは、ふれることによって相手を傷つけてしまうんじゃないか、あるいはふれられることによって他人から傷つけられてしまうんじゃないかっ ていう恐怖、そういうものに非常に支配されてるように思うんですけれども …。 その傷つくとか、傷つけてしまうんじゃないかっていうことについては、どんなふうに考えていらっしゃいますか。
竹内 /あのー、相手を傷つけてしまうんじゃないか、っていうふうに感じてるっていうのは、どうなんだろう、本当は傷つけてしまうんじゃないだろうか、っていう ことばでね、本当は自分が傷つくのが怖いんじゃないか、っていう気が非常にしますけどね。それは、もうちょっと考えてみないとわかりませんが … 。
 大変 … なんか言いにくい言い方をすると、あの …人がね、人と交わって生きてるってことは、非常に素晴らしい悦びの場合もあるけれども、傷つけあって生きてくっていうことがあるわけですね。これはどう しようもなくあると思う、僕は。
 で、自分は傷つけられるのは怖いけれども、実は人を知らないで傷つけてることがどのくらいあるかわからへん。で、自分が自分で、本当にこういうふうに生 きたいと思ったら、否応なしにね、周囲の人を傷つける、って場合だってあるわけですね。
 で、僕は、非常に断定的な言い方をしますとね、傷ついたり、傷つけられたりして痛む、“ 痛み”ってのがありますね。で、それはね、背負うよりしょうがない、と。それは背負うよりしょうがないし、それはそのまんま自分の中でね、こう何かになっ て行く、その人になって行くものだと思うんです。
 ただそれよりもね、傷つけられるのが怖い、と思って、一生懸命うろうろ、うろうろすることのエネルギーの方がはるかに大きい。そいで、それによって自分 が閉じこもってしまったり、こう無理やりね、何かの方へ自分を追いやってしまったり、そういうこと怖いから逃げまわることの方がはるかに大変で、そのこと を捨てることが大変なんだと思うんです。
 それでまあ、私もそういう体験があるわけだけれども、その、自分が傷つけられたり、傷つけたりすることだけはね、こう、その傷だけは仕方がない。しかし そのことを後悔したり、先取りしたりしてね、バタバタしない、というふうにどこかで向かい合えるってことが、人に、真っ直ぐに向かい合えるってことだし、 人を受け入れるってことだし、人にふれるってことだと思うんですね。ま あ、私にとっては、そういうことだと思うんです。
 だから色々ね、こういうレッスンをやって、みなさん、いろんな気づきをされるわけだけども、その多くはね、そのふれる以前の、自分の逃げ方、に気がつい て、それをこう、捨てて行く、ていうか、こう、脇へ置いてくというか、そういうことのような気がするんですね。
松井 / はい、なるほど、はい … 。
 
松井 /それじゃ次に「脱力」に移りたいと思うんですけど、(略)やはりあのー気持ちがいいとかね、(略)そういうこともあるんですけど、同時にね、やはり、自 分が自分のからだでないっていうか、そういう感覚を持つっていうか、そういう体験の人が非常に多いっていうか、自分では力を抜いてるつもりなんだけど、こ う知らず知らずの内に上がってくるとか、あの特に肘なんかにこう力が入ってしまうっていう、そういうことに気づくことが多いんですけども、やはり竹内さ ん、レッスンの中でそういう人多いですか。
竹内 /非常にこの頃多くなってきたんじゃないかしら。あの特にね、なんていいますか、教師とかね、それからまあ、管理職とまでは言わないけども、たとえばあ のーかなりハードなね、責任ある仕事をやってる人たちっていうのは、こう、自分は自分の仕事を一生懸命やっているというふうになって、自分なりに生きがい を感じてるっていうふうに主観的には思ってる人もかなりいるわけですけども、それはこう上から管理されてて、ある枠を与えられてね、それを必死にこなそう としてるって部分があるわけですね。
 でーちょっと余談になりますけどね、僕はある経済評論家が書いてる評論を見て、非常に感心したことがある。それはアメリカと日本の管理の仕組みがまるで 違う、って話なんですね。
 アメリカの場合には、自分がこういうアイデアを持った、と、これをこう上司のとこへ持ってくとね、これはどうだ、つってね、ぜひこれをやってもらいた い、おーそれはいいじゃないかっていうんで、それが実現した時にね、その人が力を認められる。と、その人がまあ出世するっていうか、他のところへ代われて 行くとか、いろんな動きがある。ところが日本の場合には、そういうことしたら絶対ダメやというのね。
 そいでね、どういうふうにするのが一番いいかつったらね、これはね、今はもうホントに財界のトップクラスの人なんだけど、その人がどういうふうに出世し てきたかっていうのを、自分で書いてるのがあるっていう。
それはどういうのかっていうとね、あなたが上司だとしますね、そうすっとね、上司がこういうことを狙ってるなあ、ということをね、自分がね、先に考える、 と。そいでね、上司より先にそのプランニングを作るっていうね。そいでね、こういうことをしたらどうでしょうか、ってのを持ってくんだってね。すると上司 がうん、よしよし、そりゃあね、やろう、言うてね、それでやる、と。そうするとね、その失敗した場合には自分のミスになる、成功した場合には上司の手柄に なる、と。そういう形で全部やってきたっていうの。そういう人がトップになってるわけですよ。
松井 / ん〜教室の中でもねぇ …教師がねぇ、子どもたちに、先生が次に何しようかってことを察知しなさい、っていう形で授業が行われてますけどねぇ … 。
竹内 /だからそれはね、僕は、こう非常に日本的な現象だと思うんですね。でそのー、怖いと思うのは、教育なら教育という現場で、教育のためのね、ほんとうに子 どもが育つための論理で現場の授業が行われてんじゃなくて、そういう企業なり、非常に日本的な、ある出世というか、ま、管理というか、あるいは能率主義で もなんでもいいですけれども、そういうものの論理がね、こう直接、教育の現場まで、支配するように入りこんでるってことが、非常に怖い、と。
 だからその、そういうね、からだ、に、いつのまにか、みんな、追いこまれてるわけですね。そのことを、どこでね、気がついて、どこで生き直すかと、とい うことが、物凄く僕は今、大変なことやろ、というふうに思ってますね。
松井 /それじゃ脱力をやるっていうことはそういう社会構造までをこう改革するような、そういうことになるんですか。
竹内 /えー僕はある意味ではそうだと思いますね。まあ、直接にはその個人が、ですけども。つまり、相手に向かっていつも身構えてる、というからだをね、どこで 気がついて、自分のからだを取り戻すか、と。
 というとね、あるところでは、つまり、非常に単純に言えば、NOとね、言わなければならない時があるかも知れない。だけどもNOということばを、ある、 このことだけは自分にはね、こう人間としてしたくないという時に、NOと言える時に初めてからだ取り戻せるわけね。自分のからだ。
 で、そこまでのパースペクティブを持って考えてみると、初めて、自分のからだがある自由さを持てる、ということであって、いつも必ずNOと言わなきゃい けない、とかね、そう身構えてなきゃいけない、ってことになるとまた、全然話は別だと思いますけども。
松井 /現代人の状況というか、あるはその、現代人のからだっていうのが、どういうとこにいるかっていうのはとってもよくわかったんですけども、それでは、今、 何ができるのか、あるいは何が必要なのか、っていうことについては、いかがですか。
竹内 /あんまり偉そうなことは言えないんだけども、私は教育大学の教授なんてやったでしょ、と、現職の教師とつきあうことがかなり多いわけね。で、そういう目 もあるし、それからこういうレッスンをしてたりなんかして、一番感じるのは、こう、からだがね、後ろから追い立てられていてね、非常にこう、疲れてるっい う感じなんですね。
 そいで疲れてるっていうのは、あーくたびれたっていう顔をしてるとは限らないんでね、息せき切って、自分は頑張ってるつもりでも、くたびれてるっていう 場合もあるわけで、それを一口で言うとね、やすらぎがない、っていう感じが非常に大きい。やすらぐ、ということをね、一体からだのどこでね、見つけたらい いかなぁ、ってことが、ここ数年ね、レッスンするたんびに一番考えることなんですね。
 で、やすらぐっていうのは、その手がかりとして僕は、実はあるさっきの力を抜くっていうのをやっているわけです。で、どっかでファーっとあったかくなっ たりね、ファーっとどっかで息が抜けたり、それから、まあそれと反対に、あ、どこまで行っても私そういうふうにならないわ、っていうふうに気がつくってこ ともあるけれど、そうすると、その先が、ならない先が見えてきてるってことですし、で、そういうふうにしてフワァーっと息が抜けてね、ああ、そうか、あた しはこういうふうにしてればね、ゆったりと息ができるんだぁーってことを見つけるということが、こう、やすらぐということの出発点だか原点だかわかりませ んが、そういうことだろう、というふうに思う。
 で、やすらぐ、ということは別に、こう横になってね、寝てて、静かにしてるのがやすらぐじゃなくて、本当に真っ直ぐに、たとえば教師なら子どもと向かい 合って、力いっぱいやってる時に、からだの中にあるやすらぎがなければいけないし、その、ある力をたたえていて、やすらいでいる、ってことが必要だし、そ うでなかったならば、その教師の前で子どもがやすらげるわけがないわけですよね。
松井 / う〜ん、そうですねー。
竹内 /だから、そういう意味で自分のからだの中の、ある、やすらぎというものをね、見つけるという原点として、この力を抜くということをやってみたいんです。
 つい日本人はやすらぐって言うと、静かーにしてね、えーこうなんていうかなあ、こうそれこそ佗び三昧(わびざんまい)みたいに思うけど、僕はそういうこ ととしてやすらぎは考えない。
松井 / 動きの中にもそういうやすらぎがあるんだ、っていうね。
竹内 / そうですね。
松井 /むしろその動きの中にやすらぎを持たないと、その動きは生きてこないっていうことなんでしょうか。
竹内 /ええ、それに、常に、人に追い立てられ、人のからだの中へ、こうね、どんどん、どんどん服従してくっていうか、入ってってしまうというふうに、なるん じゃないかと。
 自分というものを見つけるってことと、やすらぎが自分の中にあるってこととは、ほぼ同じことだと思ってますね。
 
 
 
─ 前略 ─
 
松井 /今、非常に社会が生きにくくなっているっていうか、その中で、なんていうかなあ、安全に、ていうか、まああのー無理をしないでこう生きるっていうことで ね、反対に、決して安全でも、楽でもないっていうか、むしろこういうところへ来ると、しんどい自分に出会ったりとか、つらい経験に、自分の過去のね、経験 に出会ったりとか、自分が一体どういう存在なのかっていうことに出会う、あるいは、自分で立ちたいけど、立つっていうのは …やっぱりしんどいですよねえ。そういうことにこう、出会うっていうことがね、あたしはレッスンを通して見ていて、ある意味では非常に、あのー、救いのよ うなものを感じるんですね。
 でー、その安全だっていうところにいてね、多くの人が、非常に、あの、からだの方は物凄く苦しんでて、それを気づかないようにこう、うまくこう、スルリ と抜けて行きながら、でも、もうダメだ、というところで病気になっていったり、本当に閉じこもってしまうっていう結果が多い、っていうことを思った時に、 本当に、そういう感じを持つんですけども、いかがですか。
竹内 / あのー …。言われる通りだと思うんですね。それでー、自分に出会う、っていうことばが正確であるかどうかわかりませんけれども、あー、生きてるっていうことは、 こういうふうに息をし、こういうふうに立ち、こういうふうに人を見ることだ、人から働きかけられた時にね、ああ、こういうふうに受け止めてね、こういうふ うに返すことなんやなあ、という、何かをね、こう … はっきりどっかで … 感じたいし、感じてほしい、というね。ただそういうふうに言いたいのね。
 でー、その、つまりそれが、悦びである場合もあるし、苦しみである場合 もあるけど、それが、生きてる、というある手応えであって、そういうものを、今度はね、つらくってもたとえば、普段の生活の中で、こう、今まで顔が見れな かった人を、初めて顔を真っ直ぐに上げて見て、苦しかったけれども、その時に、ああ、こういうふうにして人と向かい合えたんだ、というふうに思った時に ね、何かが変わってく、というふうな、非常に小さなことしか言えないけれどもね。そういうふうに思うんですね。
 
 でー、あのー、こうこうこういうレッスンがあるからね、生きる喜びが見つかるとか、そういうふうに売り言葉でね、言うレッスンもあるだろうし、まあ、宗 教的な集いもあるだろうし、たっくさんあると思うんですね。それがどれどの …あのーなんていうかな、方法でね、自分が、そういうものに出会えるかってのは、その人その人の、こう、なんていうかなあ、機縁、だろうと思いますけれど も、そのー自分が、こう、ああええ気持ちや、とかね、こう、なんか“ 陶酔する”という形でね、こう救われるというかねえ、そういうことだけはね、私はどっかでね、自分に絶対許すまい、ということがあるんですね。
 そういう、これはちょっと自分の若い頃からのね、気持ちになりますけども、戦争ってものがあったわけでしょ。その前に、こうまあね、大日本帝国万歳でこ う、スルッと社会が全部、実を言えばこう全部一色ではなかったけれども、しかしそういうふうになってきた。その中でそういう、天皇陛下万歳って言って死ね ばええんやっ、というふうにね、こう持っていくような、さまざまなこう、 動きってえのはあるわけですね。そういうものがなかったらだってその次に苦しくて生きていられないわけやから。だから戦争行く時に(略)こう、誰のために 死ぬのかってことを自分に成り立たせるためにね、実にみんな、少なくとも僕の友だちはね、苦しんだ。天皇陛下のためにというふうに行き着いた人は、僕の周 りにはいませんでしたね。だけど、母親とか、妹とか …そういう者のために自分が死ぬんや、というふうにね、たとえば、思い込もうとして必死になっていくというようなこともある。
 と、そういうことへね、全部こうなっていく何かね、手がかりがなければつらいから生きて行けないということはたくさんあると思うから、今の時代だって ね、そういう意味で言えばね、戦争中よりもあるいはもっとね、管理は綿密だしね、もっと息苦しいし、たとえば、何十年か経って振り返ってみたら、よくも自 分たちはあんなふうにね、周りじゅうから規制されてるのを気がつかずに生きてきたもんや、と。今の人が戦争中を思い浮かべるみたいに見えるかも知れへん と。
 そん中で、こうー …そういう意味で言うとある陶酔とかなんとかで自分を麻痺させるのではなくてね、こう真っ直ぐに見て、何か自分にとって本当にこれはあの、はっきりと手応 えのある、“ 生きてる ”ということや、ということをね、一つ一つ、積み重ねて行って、こう何かが、他の人と、つながりながらひらいて行けるっていうふうに、なりたい、と思うの ね。
松井 /なんかあのー、人間になるっていうのは、自分の苦しさとか痛みとか、あるいは自分が、傷つけたことも傷つけられたこともふくめて、そういうものに腹をく くって向き合うっていうか、それを避けないで生きて行く。そこにしか本当に生きて行く実感がないし、それこそが本当に、あのー …生き生きと、喜びとしてのなんかあるって … 。
竹内 /そうね、あのー「人間になる」いうことばを使われるとね、ひどく僕には重くてね。まだ僕は「人間である」ことにね、気づいていくっていう、範囲しか自分 にはわかっとらんというように思う。
 人間になっていく、ということはね、まだ僕にははっきり言えないけども、今のあなたが言われたことで言えば、そういうふうに、こう人間であることに気づ いてくっていうことが、人間になっていくっていうことかも知れへん、というふうには思いますが … もう一つね、こういうレッスンをみなさんとしながらね、こう、ふれあいながら、一つ先へね、行けたらなあ、というふうに思うんですね。
松井 / んー。もう一つ先、というのは。
竹内 / ………さっき言ったね、芝居の相手(仲間)がそこに現れるってことは芝居だけの問題じゃないと思うんですね。ひょっとすると非常に日本人に色濃くある、習 性というふうにも、なるかもしれないけども、たとえばここでレッスンで、僕と松井さんがいると。一緒の共同のスタッフでやってる。っていうことでね、こ う、なんか、馴れ合うっていうこともあるかもしれへんし、それから夫婦というものの中で、こう、夫婦なんてな一番多いかも知れないけども、そこに支えても らってることにね、いつのまにか甘えててね、向こうが大変な負担を感じてるのに気づかないで勝手に生きてて、それで自分は一人で生きとる、というふうに 思ってるかも知れへんと。そういう何かみたいなものをね、こうスッと破棄して、お互いに傷つけ合ったりすることもあるけれども、しかしそれを越えてね、何 かへ向かって動くという形で行けるような … 何と言ってもいいですけども、そういうものがね、見えてくることがあるのか、ないのか。
 今の社会っていうのは、こっちの方へ行くのがええことですよー、みたいなことたっくさんくれるわけですわ。そのーまあ、デモクラシーだとかねえ、二十一 世紀に向かってとかね、まあた〜くさんそういうのがあるから、こう簡単にね、そういうことを言いたくはない。あのー「人間である」、っていうことに、どう いうふうにその醜さもね、温かさとか嬉しさもふくめて気づいて行くというところに、確実に足を据えていたいと。しかしその先へね、行ける道が、やっぱりこ う、見つけたい、というかねえ、そういうことが自分の中のある緊張関係としてね、常に、ある、というところまでしか言えないんですけど。
 
 
 
★ 拠って立つところ ─ 人間である , 人間になる / 竹内敏晴 と 林竹二 ─
 
 竹内レッスンはこれといった目的を設定してその達成を目指すものではなく、また、何らかの成果を問うものでもない。参加者各々が自分の存在のしかたに気 づき、自分で新たな出発点を見つけるための、終わりのない問いかけの場とでもいえるだろうか。ならば、その拠って立つところはどこにあるのか。それが『人 間である , 人間になる』という二つのことばに集約されているようにわたしは思う。そのことについて話すためには、まず、林 竹二さんについて語らなければならない。
 
林 竹二(はやし たけじ)─ 1906〜1985 ─
東北大学哲学科教授(ソクラテスの「パイデイア」研究)。宮城教育大学創設時学長就任。
学長在任中に小中学校へ授業に入り、その経験から学校教育に強い危機感を抱き、授業の根本的な見直しを提唱して全国を行脚した。(竹内敏晴著「からだ=魂 のドラマ」より)
 
林さんは独自の授業を持ち、各学校を回った。そこで見たものは、子どもたちの学ぶことへの深い飢えと、その飢えがないがしろにされている学校教育の現状 だった。後に林さんは『教育亡国』という本で「いま日本にほんとうに教育はあるんだろうか」という問いを出す。講演では「日本の学校教育には生命への畏敬 なんていうのはかけらもありませんね。子どもというのは、ただ規則をつくって規則に従わせれば、それが教育だと思っているわけです。」と辛辣に述べた。こ れだけのことを述べた背景には林さんが行った授業で子どもたちが見せた深く美しい集中の顔や、授業後に 書かれた生徒たちの感想文の深い内容がある。
 その林さんの授業の一つに「人間について」がある。これは後に国土社より『授業・人間について』という本で出版され、また、グループ現代というところが 記録映画として撮影・上映などもした。その内容をわたしの記憶に頼って簡潔に書き記してみる。
 
 林さんはまず、子どもたちに「“ 蛙の子は蛙”という諺を知っていますか?」と、話しかける。オタマジャクシという、親のカエルとは似ても似つかない姿かたち、呼吸の仕方などをしていて も、成長していく内に誰に教えられたわけでもないのに、いつのまにか親と同じ姿かたちになり、生き方も同じになる。では、と林さんは子どもたちに問いかけ る。「それと同じ意味で、“ 人間の子は人間 ”と言えますか?」
 子どもたちは、その問いに向かい、ざわざわとしはじめる。いくつかの会話がなされた後、林さんは子どもたちに一つの写真を見せる。地面に平たいお皿のよ うなものが置いてあり、その前に何かがうずくまり、犬や猫のように皿に口を寄せて液体か何かを飲もうとしているように見える。『狼に育てられた子―カマラとアマラの養育日記』 巻頭に掲げられている有名な写真だ。そこから、林さんはカマラとアマラの話を子どもたちにしてゆき、最後にもう一度、「“ 人間の子は人間”と言えますか?」と、子どもたちに問いかける。林さんは決して一つの答えを子どもたちに教えこもうとするのではない。子どもたちが深く考 えたことのなかった問題を、上辺の知識からではなく、自分一人の力で深く考えることを求める授業だ。いわゆる活発な生徒が意見を言っても、林さんに「それ はどうしてそう思うの?」「それは本当にそうかな?」と問いかけられて行く内に、ウ〜ン、と唸り、考えこんでしまう。皆が自分の思考の中へ、つまり自分自 身と向き合うことになるので、教室は静かになって行く。それを見学している先生たちは、意見の発表が少なくて良くない授業だという人もいたが、子どもたち は違っていた。「こんなに先生と授業をしたのは初めてです(「からだ=魂のドラマ」)」という感想が書かれる。林さんが決まった答えを持ってそれを押しつ けようとしているのではなく、林さん自身が考え抜いた問題を自分たちに問いかけてきている、と感じている感想も書かれる。「そのことがらが先生の心の中か ら出てくるので、そのことが通じるのである(同上書)」
 
 こうした林さんの授業にふれた竹内さんはその生徒たちの深い集中に接し、学問というものに対する自分の偏見 ─『(前略)学問は権威で人をおそれ入らせたり、論理で人を縛ることしかしていないじゃないか。戦争中だって今だって、時代の支配体制の提灯もちしかして いないさ(略)現代の学問は人を殺すものだとしか感じられない(からだ=魂のドラマ)』─ を考え直し始める。
『私のレッ スンの写真を見ますと、子どもたちがみんな笑っていますね。あれはすてきだと思うんですけれども、一方で先生の授業では(略)生徒はものすごい顔をしてい るでしょう。その写真の違いが、私にとって最初の問題としてあるんですね。どっちがいいとか悪いとかということではない。片方で、こうばーっと開かれると いうことがある。これはわかる。だが、こういう集中の仕方、これは何なんだ、この力はどういうところで出てくるのかということが、一番最初の問題だったの だと思います。(同上書)』
そして林さんとの対話を続けるうちに『(前略)世間の通念や自分の思いこみをきびしい吟味にかける力としての学問、という先生のことばがある。これは私な どが持っていた学問の概念とまるで違うものですね。私は、そういう力は学校教育とか学問とかとは別の世界で発見できるものだと思っていた。(同上書)』 と、いわばドクサを剥がされ、「学ぶ」ということが、「人間になる」道筋にあることに気づいて行く。
 
 こうした林さんとの過去の出会いが、松井洋子さんとの話しの中で出てくる『「人間になる」いうことばを使われるとね、ひどく僕には重くてね。まだ僕は 「人間である」ことにね、気づいていくっていう、範囲しか自分にはわかっとらんというように思う。』という竹内さんの発言につながっているのだろう。
 
「人間になる」ということばは、実は竹内さんが演出家修行をしていた頃の師、岡倉士朗氏がある舞台の演出をした時の話に出てくるものだ。
 
─(略)長塚節の『土』を脚色して上演した。(略)この台本をはじめて読んだとき岡倉先生はつまらないと思ったという。「どうしてですか」と私がたずねる と(略)この脚色は地主と小作人の階級的な対立に焦点を当てているのだけれども、ただそれを客観的に並べてみたところでおもしろくも、なんともない、と言 う。(略)ではその「つまらない」台本のどこを手掛かりに先生は「土」を演出したか。岡倉先生の言い方によると
─小作人の勘次は人間じゃない。まるで「土くれ」だ。ただ土に這いずり、どんなことがあろうと口もきかない。ところが、それが、地主の「おかみさん」の強 要に対して、はじめて怒りを発する。その瞬間、自分でも知らずに土くれがはじめて人間性を宿す。
人間になる。自分はそれを描き出したいと思った。─ こうであった。
「これならやれる」という感じが閃光のようにからだを貫いたのを私は感じた。「死んだもの」が生きることができるか、人間は変わることができるか、どこか ら変われるのか、変われたと思うのは錯覚なのではないか、そういうことを扱えるのが演劇ならば、私も演劇をやれるかもしれない。演劇をやることによって 「生き」られるかもしれない ─ (略)
『ことばが劈かれるとき』より
 
 敗戦時のショックで自らを「死んだもの」として感じていた竹内さんが、大きな転回を迎えた瞬間だった。その時からたぶん、竹内さんの中に「人間になる」 ということばは、ずうっとあったのだろう。それが林さんとの出会いで、あらためて重いことばとして受け止め直されたのではないだろうか。
 
レッスンの場でとくに竹内さんがそうしたことばを語っていたわけではない。けれども、「人間である ,人間になる」という答えのない無限の問いかけが、その拠って立つところにあったのではないかと、わたしには思われる。
 
 
注1 )〔深く美しい集中の顔〕径(こみち)書房『問いつづけて ─教育とは何だろうか』・『教育の根底にあるもの』などに掲載されているカメラマン小野成視さんの写真参照。
注2)〔狼に育てられた子―カマラとアマラの養育日記〕J・A・L・シング著、中野善達・清水知子訳 福村出版 野性児の記録 1(1977年)。この本の記録には現在多くの疑義が出されていますが、林さんが教材として用いた意図の限りでは、問題があるものだとわたしは思っていま せん。
 
 
 
★ 二つの出来事
 
琵琶湖のほとりで合宿レッスンをした時だった。何かことばについてのレッスンをした後、休憩時間に入っていたが、竹内さんとわたしをふくめ数名が、立った まま今しがたのレッスンのことばの問題について話し合っていた。どのような内容だったのかは記憶にない。話が進む内、ある女性が「ことばって、虚しいね」 と言った。ところが、それを聞き違えた竹内さんは「うん、難しい」、と応えた。
どちらがいいわるいではなく、ことばを見放す女、ことばを見捨てない男、それぞれの姿を見た気がして、今でも強く印象に残っている。
 
同じ合宿時、昼食後、開け放たれた窓から気持のいい陽差しが降り注ぐ部屋で、みなが思い思いに床に寝そべったり、からだを動かしたりしていた中、それは突 然聞こえてきた。

「 山羊に引かれぇ〜てぇー 行きたいのぉー 遠くの町までぇー行きたいのぉー 」
 一人の女性が自然に歌い始めていた。
「 幸せそれともー 不幸せー 山の向こうにー 何があぁ〜るぅー 」
みなが顔を上げ、驚きながら彼女に惹きつけられて行く。
「 愛する人もー 別れた人も 」
彼女は部屋の奥から歌いながら、踊るように動いて窓辺にいたわたしの方へ。
「 大草原にー」両腕を水平に上げ十字になって目の前でくるくるっと回り、声が拡がる
「 吹く風ぇ〜まー かー せー」その瞬間、彼女から風がサァーっと吹いてきた!

やぶけた笑顔を見せる彼女に、わたしも、みんなも、夢中になって拍手した。
 
歌うことばの持つ力、歌は風を吹かすことさえできる、ということを体験した、唯一希有な、忘れられない出来事だった。
 

 

★ コンクリートの棺桶

『ことばが劈(ひら)かれるとき』に「コンクリート棺桶公害」ということばが出てくる。
─気がつき始めてみると、こえの状態が悪い人があまりにも多いので、私は不安になってきた。なぜ私たちは、これほど声が出ないのか。なぜ私たちはこれほど からだが歪んでいるのだろう?(略)今、私は、人間のからだとこえの上に現代という怪物が爪を立てた傷あとを、刻印を、まざまざと見るような気がしてき た。─

そして「コンクリート棺桶公害」によるものではないかとして

─呼吸が浅い。横隔膜をほとんど動かさず胸と肩だけで息をしている。したがってこえは小さい。高い音は出るが、低い落ち着いたこえはあまり出ない。声量の 変化が少ない。激しい感情の現れに伴うこえの爆発をできるだけコントロールしている。(後略)─
と、その症状を列挙している。

また、『 教師のためのからだとことば考 』に「学校という建物は誰のためにあるか?」という章がある。

─事の始めは、東京の下町のある小学校に行ったときのことです。スリッパを受け取って廊下へ上がったわたしは、とたんにツルリとすべった。危うく片手をつ いただけですみましたが、見てみると、コンクリートの床がつるつるになって、うす黒く光っています。天井も壁も冷たく光っています。
  わたしは恐る恐る歩いていきました。今にもころびそうで危なくてしようがない。子どもが(略)ツーイと半ばスケートで滑るみたいにして近づいてきました。 アブナイ!と言いたくなるが、子どもは慣れたものでスイスイ行ってしまう。しかし、もし転んだらひどい怪我をするのじゃないか、と身が固くなるような思い で見ていました。(後略)─

  わたしが通っていた小学校は、三年生頃まで木造校舎だった。ところが突然、鉄筋コンクリートに建て替えられた(建て替えの間、一年くらいプレハブの建物に 押し込められた)。適度に声が吸収され、走って転んでも柔らかく受け止めてくれる弾力のある木の床(同じ木でも体育館のような固い床ではない)の校舎はと ても心地よかったのに、コンクリートの固く冷たい校舎になったとき、いかに嫌だったかをハッキリと憶えている。転んだとき石にからだが叩きつけられ痛めつ けられる嫌な感触は今でもからだの内にある。
校舎だけではない。それまでの木の机・椅子も、スチール製の冷たいものに変わってしまった。木の机・椅子は長年使われている内に穴だらけになっていて、机 などは下敷きを使わないとノートに鉛筆を走らせると穴があいてしまうものだった。しかし、手触りになんとも言えないぬくもりがあり、椅子も適度に釘が緩ん で軋みがあるために、却ってからだにやさしかった。スチール製のものは固く、冷たく、いつもお尻が痛くなる、掛け心地のすこぶる悪いものだった。いったい 誰がこんなふうにしてしまったのだろう、と、わたしは子ども心にいつも思っていたが、もはや中学も高校も同じだった。
  中学生くらいになったときだったろうか。テレビのニュースで、都内の学校のいくつかは校庭もコンクリート製になっていると聞いて、驚愕した。体育などで走 ることが当然多いはずの校庭をコンクリートにするとはどういうことなのだろう。転んだときのことは考えていないのだろうか、と。(「学校という建物は誰の ためにあるか?」によると ─ コンクリートの運動場が、子どもたちの怪我のもとになるので、掘り返して土の表面を出したという話です。その後、他の学校にも波及したと聞きました。─と いうことだが、コンクリート製にする前に、なぜそんな当り前のことに気がつかないのだろう )

  今になって思うことは、いつも竹内さんがいうように、そこには「子どものからだのためによいものであるか」という視点が一つも含まれていない、ということ だ。耐久性、経済性ばかりが優先され、何を一番大切にしなければならないのかが置き去りにされている。そのために子どもの息が細く、声が小さくなったり、 出なくなったり、ほかにもからだがさまざまな形で傷つけられ、痛めつけられていることに大人は気づかない。それはもはや、間接的な“からだへのいじめ”だ と言っていいと思う。

「学校という建物は誰のためにあるか?」という章の最後に〈補〉として「現在では学校建築にオープンスペースやフリースペースなどさまざまな試みが見られ る。わたしはそこに希望を見たい。」とあるが、わたしがテレビで見たそのような実験的な教室(教室の廊下側の壁が下方部しかなく、廊下から教室まで上の空 間はつながっている)の中で子どもたちが向かい、腰掛けていたのは相変わらずのスチール製の冷たい机と椅子だった。また、床は木でできてはいたが、ただコ ンクリートを覆っただけの、弾力性のない、体育館のような堅い床だった。続けて竹内さんが述べている「それはまだ散発的な実験であって、学校は子どもたち のためのものだという思考が根を張って来たとは言えないでしょう。」ということば通りで、極端な言い方をすれば、子どものからだ、人のからだをじかに感じ ようとしていない建築家の、ただの夢想の箱としかわたしには思えなかった。

  せめて、これから学校建築や環境構築に携わる方は、「それが本当に子どものからだにとってよいものであるかどうか」ということを、頭だけで考えるのではな く、からだでよく感じてみてほしい。建物だけでなく、わたしが大きな苦痛を感じていた机や椅子、校庭のあり方なども含めて。
でなければ、学校も家庭も、それこそコンクリートの棺桶にしかならず、その棺桶から生まれてくるものは、人間の形をした人間でないものになるだろう。人間 でないものが、周りの人間をどう見るか、扱うか、誰もが想像してみるべきことではないかと思う。

   
 
 
★ 世間という制度
 
─わたしは「ことばが劈かれたとき」、わたしには今まで不十分にしか発語できなかった言語が自在に発音でき、他人に届けることができるようになったのだか ら、社会生活に自由に参入できるようになったのだ、と思い込んだのだが、これは大きな錯覚だったと言わねばならない。(中略)霧がはれるように見えてきた ことがある。世間一般の人は、他の人と、ことばによってふれあおうなどとしてはいないのだ、ということだ。世間の人は、むしろ他人と距離をおき、自分が傷 つかないようにかくすためにことばを使う。(略)
   「ことばはコミュニケーションの道具だと? ウソつきやがれ、かくれみのじゃないか!」
ことばの不自由なものが必死に発する声とことばは礼儀正しく受けとめられ、防壁外で処理されて相手のからだには届かない。その壁を突破して「じか」に相手 にふれようと身もだえして叫べば冷静に身をかわされ無視され、あるいは押し止められる。健常者にとってことばとは情報処理のゲームであって、からだの芯に うずくものとは回路がつながっていないのだということを、ことばの未熟者は理解できないで立ちつくす。─
『「出会う」ということ』 世間という制度への無知 より
 
わたしは健常者だが、今も「ことばの未熟者」であると思う。
そうした者は皆から何と呼ばれるか ─ “ 世間知らず ” だ。

子どもの頃、母から近所の人に会ったらちゃんとご挨拶しなさい、と言われた。言われた通りに元気よく「こんにちは!」とか「おはようございます!」と挨拶 すると、皆が笑顔で同じように応えてくれた。それが嬉しくて、わたしは人に「じか」にことばをかけることに何の躊躇もなく大きくなった。今思えば、小さい 子どもが元気よく挨拶してくる姿が周りの大人の目に可愛らしく映り、それで皆が応えてくれていたのだろうが、わたしは人にことばをかければ、かけただけの 「じか」のことばが返ってくるものだと思いこんでしまった。ところが高校生活の中でまず、小さな世間らしきもの( それが“ 世間”というものであることを発見するには後々長い時間を必要としたが )にぶつかる。
自分の思っていることを大勢の前でも忌憚(きたん)なく話すと、返ってくるのは沈黙ばかり。では誰も何も意見がないのかと思って後で一人一人に訊いてみる と、ちゃんと意見はある。そして他のみんなも同じだと思う、と言うので『俺以外の他のみんなは、話さなくてもお互い分かり合えているのか!』と驚いて他の 人にも訊いてみると、なんのことはない、違う意見を言う。何人かの人に訊いてみても同じ応えが返ってきたとき、わたしは馬鹿馬鹿しくなって訊くのをやめ た。誰も「じか」にことばを交わすことなく、勝手に分かり合っているつもりになっていることが明白だったからだ。その奇妙な察し合い、俗に言う “空気を読む ” ことができなかったわたしは、集団の中でおかしな奴として、疎外されていった。

働くようになってもわたしは空気を読むことができない人間だったが、一人で配送をする仕事が多く、そんなに長い時間、職場の人とことばを交わす必要もな かったので、自分のことばで話したいことを話したいように話していても、とくに問題はなかった。
しかし、歳を重ねてから勤めたある小さな施設で、他の職員と長時間顔を合わす中、わたしは何でも本音で話す自分のことばがある膜のようなものに跳ね返さ れ、怪訝な顔をされ、まさに「防壁外で処理されて相手のからだには届かない」奇妙な感じ(それは今振り返ればすでに高校生の時にぶつかったことなのだが) をあらためて経験する。そのうちにようやく飲み込めてきたことは、職場では礼儀として誰もが職場用の仮面を被り、仮面人としてのことばしか話さない、本音 で話すことなど失礼であるらしい、ということだった。それは性格や、意見、意向の合わないかもしれない人の集まりが、それでも協力して仕事を遂行してゆく ため、ケンカや衝突などのトラブルで仕事が滞ることを避ける知恵のようなものらしかった。

わたしはサラリーマンの人たちが仕事帰りに居酒屋などに立ち寄り、二日酔いで翌日の仕事に差し支える事態になったりしてまでも、なぜ遅くまでお酒を飲んだ りするのかを、やっと理解できた。仕事中に被り続けている息苦しい仮面をそうした場所で一度脱いで、いわば人間に戻る、自分に戻る作業なのだと。

会社や役所や学校などで働いている多くの方々は、お前はいまさら何を言っているんだ、と呆れられているだろう。そうした仮面は会社や企業、さらには資本主 義社会を効率よく「スムーズに」運営するために、どうしても必要なものなのかもしれない。けれどもその職場の中で、たとえば教育・福祉などの場面で子ども やお年寄り、病気の人、障害を持つ人に対して、そうした仮面をつけたまま、仮面のことばで話しかけてしまうことが、相手をどれだけ深く傷つけてしまうか、 やはり一度考えてみなければいけないのではないだろうか。会社や役所、商店・飲食店などでも、外からやってきた人にとって、そこで働く人たちからかけられ ることばが「じか」なものであるのか、ないのか、敏感な人にはすぐに伝わる。その一言によって人が救われることもあれば、一言で人の気力を(大げさに言え ば生きる力を)削(そ)ぐことも起きる。

 
─ある時、わたしは中年の女性の講演を聞きに行った。(略)かの女はある大銀行の支店長に女性として初めてなったことで著名な人らしかった。(略)聞き手 は主に就職を目指す若い大学生だったようだ。話が始まって五分も経たぬうちに、わたしはいたたまれなくなった。話の内容よりむしろ声を聞くのに耐えられな かったのである。
かの女の物腰口調は、若い人たちに人間として話しかけるというよりは、新入社員に心得をさとす人事課長を思わせた。胸を張り、口許をゆるめてにこやかさを 作ってはいるが、目は忙しく動いている。木質の棒を思わせる単調でゆるみのない声は、語句を明確に際立たせるために語尾を拡大し撥(は)ね上げるように強 調する。この声は営業場面で利害の計算を明確にして相手を説得するには役立つかもしれない。が、いかにも硬くあたたかさが乏しい。(中略)銀行の営業の仕 事と役職とがかの女に課した役割が、すでにかの女そのものになっている。かの女の声は役割の仮面、即ちペルソナそのものになっていた。(略)
古くから「肉づきの面」ということばがある。古い学校教員にはしばしば、家庭でも知人関係でも役職教員の物腰物言い以外でのつきあいはできなくなってし まった人があったものだが。
─ 竹内敏晴著『日本語のレッスン』ペルソナとしての声
 

さまざまな難しい交渉事があり、相手につけこまれる隙を与えないよう、油断なく身構えていなければならない仕事をなさっている方もたくさんいらっしゃると 思う。が、少なくとも、自分のそういう身構えや、今話している自分のことばがたんなる「情報処理」のことばなのか、人に「じか」にふれることばなのか、と いうことに自覚的でいてほしい。そうでなければ、知らず知らずのうちに「人間である」ことから足を踏み外し、そのまま「人間になる」ためにもがいている子 どもたちが見えなくなり、むしろそれを阻止・阻害する大人になってしまうかもしれない。林竹二さんが指摘する「子どもというのは、ただ規則をつくって規則 に従わせればいい、という学校教育の在り方」を支え続けているのは、実は人間としてのからだを押し殺し、息苦しい仮面を被り続ける大人たちの、子どもへの 無意識の嫉妬なのではないだろうか。

それこそ世間知らずの夢想にすぎないのかもしれないが、願わくは世間という制度が、少しずつでも、人と人とがふれあうこと、「じか」にことばをかけあいな がら、交わしあいながら仕事をしていくことが許されるものに変わっていくことを、わたしは望みたい。


 
《 付 記 》

     ─ 半障害者としての想い 〜 同じ人間、違う人間 〜 ─

この章で『わたしは健常者だが、今も「ことばの未熟者」であると思う。』とわたし自身について記したが、ある教育現場での経験や読書体験から、あらためて 自分は「健常者」ではなく、ある種の「発達障害者」であるのだろうという自覚を得た。

一口に「発達障害」と言っても、さまざまなものが含まれるが、わたし自身についての特徴(自覚できる範囲で)をいくつか述べさせてもらうと、

・  人のことばを(基本的には)すべて額面通りに受け取る
・  したがって、ことばの裏が読めず、また(これも基本的にだが)嘘がつけない
・  場の空気が読めない
・  したがって場違いな発言・行動をすることが多々起きる
・  人の気持を読んだり、相手の立場や状況を察したりすることが不得手
・  したがって、他人に対する思いやりの気持はあっても的外れな解釈をすることがあり、おせっかいだったり、冷淡だったりすることがある
・  本人なりの行動規範はあるが、周りの人とズレているため、どうしても自己中心的になる

わたしの場合、公的医療機関などで 障害者 ≠ニ認定されるほどではないにせよ、世間に 適応 ≠キるに当たっては、大きな「障害」となる上記のような特徴を備えている。必然的につねに周囲との軋轢を抱えて生きてきたわけだが、少数な がらも幸いにも 受けとめてくれる友人らがいてくれたおかげで、何とかここまで生き延びてきた。また、失敗をくり返す中で少しは学習し、わずかずつではあるが自分の言動を 修正するようこころがけてきた。が、依然として状況にそぐわない言動をしてしまうことがあり、そのため人の眉をそびやかす結果を招くことを恐れ、加齢も 伴って次第に人付き合い及び活動・行動範囲を新たに広げるのを躊躇するようになってきている。

竹内さんも自分自身を「半障害者」と規定していたようだが、考えてみると幼い頃に聴力を失い、後から自力で言語獲得を行なわざるを得なかったという経歴そ のものがまぎれもない「発達障害」であり、竹内さんの教育や世間に対するさまざまな指摘、警告、訴えは、まさに 発達障害者からの告発 ≠ナあることがわかる。

─ わたしは四〇歳台の半ばになってやっと、まあ人並みに声が出、話せるようになった。その時からわたしは、声が相手にふれると、相手のからだが動き、ことば が生まれてこっちへやって来る。その有様を刻一刻体験するよろこびで生きて来た。人と人とがことばを交わせるということはなんとすばらしいことだろう。
だが、十年ばかりたった頃、わたしは目が覚めるように気づき始めた。人は、他の人と、ことばによってふれ合おうなどとはしていないのだ、ということを。人 は自分を守るために、人と距離を置くために、ことばで柵を作り煙幕を張り、生活の便利のための計算をやりとりし、感じたことを見せないためにしゃべる、こ とばはウソを吐く、いやウソを吐くためにこそあるらしい、ということを。─
《 竹内敏晴 著『癒える力』 》より

─ カンタンに言えば、ことばはウソである。ウソという煉瓦で築き上げた壮麗な大建築、それが「世間」と呼ばれる社会なのだ。─
《 竹内敏晴 著『「出会う」ということ』 》より

  「ことばはウソ」、あるいは「ウソがことば」であることなど、「世間」で生きている大人の健常者からすれば、常識中の常識であり、今さら言うまでもないこ となのだろう。

  ─ (前略)私達は毎日 / 小さな嘘をつきながらいつの間にか大人になって / 大人になったらその嘘の量は2倍にも3倍にも増えて / 毎日毎日色んな人に気を遣い / 色んな人に気を遣わせ / もう何が本当で何が嘘なのか分からない世界を生きていて(後略)─
《 東村アキコ 作  漫画『かくかくしかじか』より 》

  これが「世間」の中で忙しく立ち働き生活する人の誰もが抱える実感であろうこと、しかしそうした実感の中で、辻褄を合わせられるところは何とか合わせよう としながら、人々が日々暮し生きていることに、発達障害者であるわたしは近ごろようやくにして気づいた。その気づきの遅さが、発達障害者であるという自覚 をも同時にもたらした。奇しくも竹内さんが『「世間」と呼ばれる社会はウソによる壮大な大建築である』ことに気づいたのと同じ年頃である。ただ、その気づ きに至るまでに辿った道のりが違うのは言うまでもない。わたしも「世間」にことばが通じない、という胸苦しさをいつもどこかで覚えていたとはいえ、竹内さ んほどの苦悶を抱えた青春をおくったわけではない。


  健常者の方のために、わたしのような発達障害者にとって、ことばが嘘である、ということがどのように受け入れ難いのかをひとつお話ししてみる。たとえば、 「ウソをついてはいけません」というしつけを親が子どもにする。ところがそう言っている大人はしばしばウソをつく。子どもからすると大きな矛盾だが、たい ていの子どもは様々な場面に遭遇することで、「ウソをついてはいけません」という基本命題には「ウソをついてはいけません(でも、時と場合によってはウソ をついてもいい、またはウソをついた方がいい)」という付帯条件があることに気づき、自分のことばでも「ウソとホント」を使い分けるようになって行く。

ところが、わたしのような発達障害者はこの( )内の付帯条件を読み取る力が弱い、または欠けている。したがって、彼または彼女に話す際には( )内を省かずに「基本的にはウソをついてはいけません。でも、時と場合によってはウソをついてもいい、またはウソをついた方がいいこともあります。」と話 さなければならない。そう話されれば充分に理解できるのだが、日本の「世間」の暗黙のルールとして「それぐらい、言わなくてもわかるでしょ」という大人の 基本姿勢があり、場を読む、空気を読む、察するのが当り前の慣習になっていて、往々にして子どもの教育にもそれが適用されるので、発達障害のある子ども (大人も)は理解不能に陥る。この場合では「ウソをつくな、と言っているアンタこそが一番のウソつきじゃないか!」と発達障害者が怒りだし、周りの健常者 が世間の常識≠知らない彼または彼女への理解不能に陥り、相互に不信感を持つ結果になりがちである。


  ここで問題となってくるのが、「同じ人間なんだから」という人間理解への前提の立て方だ。声を大にして言っておきたいのだが、健常者と障害者は 同じ人間 ≠ネどではない。障害の有無によって、そもそも生きている感覚世界が違うのだ。わたしが竹内レッスンの中で体験したブラインド・ウォークのことをお話しよ う。これは二人一組になり、一人が全く視力を使えない状態になるよう、タオルか何かで目隠しをする。もう一人はその目隠しした人が歩く際に危険がないよう 見守り、また、たとえば公園の樹々にふれられるよう、そっと手をその方向に伸ばさせたりする。目隠しされた方の人は、目で見ていた時にすでに知っているも のを思い浮かべながら歩くのではなく、まったく新しく世界に、モノにふれていく、出会っていくよう、集中する。わたしの場合は公園で裸足になって行なっ た。まず驚いたのは、目隠しをして感覚が聴覚に集中されると、それまで自分の前方からしか聞こえていなかった音の世界が一気に自分の周り全体360度に拡 がること、そしていつもなら聞こえていなかった音が聞こえて来ることだった。後ろから近づいてまた遠ざかる自転車のサァーっという音、子どものはしゃぎ 声、風の音、遠くの車のざわめき…。ただの雑音として聞き流していた音が、聞こえてくる方向、大きさ、音色など、一つ一つ鮮やかに浮き上がってくる。ま た、頬に感じる陽の光や、踏みしめる土の感触、目を閉じることでそれらが感じ直され、歩くということの意味が変わってくる。これはあくまでも特殊な状況を わざと創り出しているのだが、これだけの体験でも、目の見えない人がふだんいる世界が目の見える人とはまったく違うということが体感できるはずだ。

生きている世界が違うということは、生きている感覚から何から違うということで、いうなれば、文化が違うのと同じことになる。 ことば ≠ニいうものに対する感覚も、健常者と障害者とでは大きく異なっている場合があるのだが、あまり注意・注目がなされていない。

わたしたちは、人種や宗教や見た目が違う外国人を見ればまず、違う文化の中に育った違う人間であって当り前だろう、どうしたら通じ合えるだろう、という前 提・心構えから接し始める。ところが障害者に対しては、同じ日本人ということに安心してしまっていて、気軽に「同じ人間なんだから」ということを言う人が 多い。もちろん、それは悪気があって言っているのではなく、『障害者も同じ人間なんだから、差別や区別をしたり、見下したりするのは間違いだ。仲良くしよ う』という善意からの発言であるのだろう。しかし、この 同じ人間 ≠ニいう、誤った認識を呼び起こすことばが気軽に用いられ、どうしたら通じ合えるだろう、という気持が忘れられることこそ、障害者理解を遠ざけるいわば大 きな基石になっているとわたしは考える。

  目が見えない人や、耳が聞こえない人など、健常者が仮に疑似体験を試みることができる障害と異なり、発達障害に関してはそうした体験はほぼできないので、 より理解が難しいのではないだろうか。それにも関わらず、同じ人間、ということばによって一括りにされてしまい、異なる存在であることへの心構えが忘れら れ、相互理解への努力・探求が損なわれている気がしてならない。いわゆる障害者運動と呼ばれる障害者の側からの活動でも、「わたしたちも健常者と同じ人間 なのだから、同じ権利を保障せよ」ということが中心におかれる。それは権利においては正しい事柄であり、とても大切なことではあると思うが、人間的な相互 理解を進める上でより強調するべきなのは、むしろ 違う人間 ≠ナあるということで、「障害者という違う人間に対する理解と共存」を大きく訴えるべきなのではないだろうか。そしてさらに言うならば、いわゆる健常者も 一人一人が実はまったく違う人間であり、違う世界に生きていることを認める ─ 孤独と向き合う ─ こと、だからこそ、障害者も健常者もふれあい、確かめ合いながら世界を創って行こう、と訴えて行くことが障害者運動の基幹にならなくてはいけないのではな いだろうか。そこでこそ初めて 同じ人間 ≠ニいうことばが生きてくるのだとわたしは思う。

竹内さんの初期の著書の一つ、『子どものからだとことば』の最後の文章に、「障害者が社会的存在としの自己を確立する」ことの難しさについて書かれてい る。詳しくは本を直接参照してもらいたいが、この問題は今日、必ずしも 障害者 ≠ニ規定されてはいないふつうの人々にも大きな課題の一つになっているのではないかと思われる。少しことばが難しいが、そこに最後に記された文を紹介し て、この付記の終わりとさせていただく。

─ 内なる人間的欲求の真実さによる社会的慣習の批判と他者との社会関係の場にひろがる「からだ」の獲得とをどう統合し、成熟して行くか。障害者が一般社会の なかで生きてゆくためには、いわゆる健常者の側からの、差別感をもたずにいっしょに仲良くやってゆこう、という善意だけでは、ことはかたづかない。─
《 竹内敏晴 著 「子どものからだとことば」より 》

注1)〔世間に 適応 ≠キる〕日本の世間においては、空気を読み、察することができ、言わずともわかることが求められる。この独特の文化がどのように形成されてきたのか、ま た、その得失(世間不適応者のわたしは世間を悪しざまに言ってしまうことが多いが、世間には良い面も多々あり、それを享受している面も多々あると思う)は 何かについては、その文化に齟齬を来しているわたしにとって、生涯追求して行かざるをえない課題となっている。




★ さまざまな“ からだ ”たち  ─ 竹内 敏晴 ─

いわゆるエリート大学の学生のからだは、激しい受験戦争から予想されるギラついた緊張を、意外なほど示していない。奇妙に明るくのびやかである。(中略) ところが、たとえば、レッスンの場で、力をぬいて横たわった青年の手を私が持ち上げようとして近づく、と、スッと下から先に手が持ち上がってくるのだ。何 度試みても同じである。そんなことをする必要はない、と指摘してもからだはピクピク動いている。指示者の意図の結果を先取りして素早く反応しようと身構え ているからだが露われてくるのだと言ってよいだろう。(中略)


未組織の青年労働者たちの多くは、ゴツゴツした、しかし奔放な身ぶりと、素早く、警戒する眼差しを持っている。(中略)かれらは凄まじい感受性の敏感さと 頭の回転の早さを示す。たとえば芝居の稽古で、私がひとつのもの言いについて助言をする。十のうち、六か七まで語れば、かれらはパッと理解する。わかった な、と私が気がつけば、とたんにかれのからだは暖かくなり、作業に没頭する。(中略)だが、もしこちらがかれの気づいたことを見すごし、あるいは信じきれ ずに、七、八、九とことばを重ねて押そうとすれば、とたんにかれはパッとしらけ、プイとそっぽを向く。もはや見捨てたのだ。その嗅ぎ分けと愛着の鋭敏さ。 それは多くの障害者、子どもそして動物たちと共通のものだ。(中略)

そしてこの両者のあいだに多くのからだがうごめいている。過剰反応への馴化(じゅんか)を期待されながら、反発しようとし、あるいは不器用に追随しようと して、もがいているからだたちである。そして、もがくのに疲れたとき、からだは自らを閉じて石と化してゆく。ことばは失われ、眼差しは伏せられ、腕はちぢ み、脚は動かなくなる。考えてみるとここ数年、私はこの、ゆっくりと死に追いやられている、弱い正直なからだたちと取り組んできたようだ。それは、かつて ことばを失っていた私自身の姿でもあった。
─ 晶文社『子どものからだとことば』 ふれあえぬからだ・出会うからだ より

 『エリート大学の学生のからだ』を他の言い方をしている竹内さんのことばがある。
─二十数年間この(受験)競争の中で作り上げられ て来たからだを一口で言えば、これは「他人のためのからだ」、官僚にもっとも適合したからだである。主体としての自分の欲求は閉じこめられ忘れ去られてい る。こういう人たちの話し方は、文章としては正確だが声に情念の動きがなく、明快で大きいか、かぼそく鋭いか、どちらにせよ機械的で、シンがツメタイので す。─ 国土社『話すということ』より  (受験)は引用者補足

 『エリート大学の学生のからだ』が「他人のためのからだ」ならば、『未組織の青年労働者たちのからだ』は「自分のためのからだ」と言えるだろ うか。わたし自身はそのどちらでもなく、『過剰反応への馴化を期待されながら、反発しようとし、あるいは不器用に追随しようとして、もがいているからだ』 ゆっくりと死においやられている「弱い正直なからだ」だったと思う。「だった」と過去形にするのにはまだ早いのかもしれないが。

  そして「他人のためのからだ」は、最終的に人間より機械(マシン)に近づいて行くらしい。

─(前略)三日間のレッスンを終わって、さて、さよならの挨拶にと立ったとたんに、わたしの口から思いもかけないことばが飛び出した。「わたしが三日間戦 い続けてきたのは」言い出したわたしが驚いていた。「どんな体験もみんな情報化して、自分の、今感じているからだから引き離し、知識としてペーパー化し貯 蔵していこうとする『からだ』、そのように長年仕込まれてきた慣性のかたまりとしての『からだ』でした」(後略)─
春風社『 竹内レッスン ─ ライブ・アット大阪 』より

  情報収集の後、彼らは情報を共有できるということで繋がっている、触れ合っていると安心し、集団の中へ自覚なく閉じこもる。さながら「群れるからだ」とで も言おうか。

─(前略)時々質問をしながら話を始めていると、妙だなと気がついたのは、いつのまにか六、七人のグループごとに集まっていることである。その中の一人に 質問をすると(略)「わかりません」という。「うん、じゃ、いま考えろよ」とわたしは言う。やっと返事をする。「なるほどあなたはそうか。じゃ、ほかの人 はどう思う」と、同じグループ内の人に聞くと、(略)まず「同じです」と答える。「同じでもいい。自分の言葉で言えよ」と言うと「はあ…」と言って困って いる。やっと答えると、さっきの子のことばをそのままくり返す。(略)別のグループでやってみてもほぼ同じことが起こる。(略)今度は立ってレッスンを始 めた。ひとりひとりばらばらに立ってからだのまわりにスペースをもって、と言うのだけれど、すぐにグループにより集まってしまう。こちらから見ているとゼ ラチンか何かの薄い膜の中にひと塊で固まっている、蛙か、よく言えば人魚の卵みたいなのがずっとあっちこっちに移動して行くというだけ。(略)わたしのア シスタントは「近よって行くと、すっとカベができる。入っていけない」という。(後略)─
藤原書店『「出会う」ということ』より

 「他人のためのからだ」も「群れるからだ」も、たぶん、わたしの中にある。それに搦め捕られることなく独り立ち、人と出会い、ふれあうために は、いったいどれだけのものを捨てなければならないだろう。残された時間は短い。

 

 
★  擬 械 化 社 会 と か ら だ

擬械化(ぎかいか)とは、擬人化に倣ってわたしが考えてみた造語だ。ある進学塾のテレビ・コマーシャル(以下、CM)を見ていて思いついた。そのCMで は、子どもの首の後ろあたりに電気製品に付いているようなON・OFFのスイッチがあり、“ やる気スイッチ ”と呼ばれていた。そして、「当塾では(子どもの)どこかにあるやる気スイッチを探し出し、(受験勉強を)やる気にさせます!」というようなうたい文句が アピールされていたと思う。『ハァ〜、恐ろしい時代になってきたなぁ』と感じたのはわたしだけだろうか。
行動を起こす時に「よし、スイッチを入れる!」とか、やる気が出ない時に「なんだかスイッチが入らないなぁ〜」などという言い回しは、もしかするとわたし も使ったことがあるかもしれない。機械のようにはなかなか区切りがつかない自分の気分の切り換えを、逆に部品のスイッチということばにパロディ化して、こ とばの遊びとして使っていた。
しかしこの“ やる気スイッチ”ということばは、似ているもののようで、まったく違う。まず、CM上の表現とはいえ「スイッチ」という部品が、人間のからだの外側に備え つけられている点である。次に「やる気」というものが、目に見えるそのスイッチを他人が押すことで、コントロールできるように言われている。
「よし、スイッチを入れる!」とか「なんだかスイッチが入らない」とかの「スイッチ」は自分の中にあり、あくまで自分で自分の気分・やる気をコントロール しようとする、また逆にコントロールできないことを言っていたのに、このCMでは他人が外にあるスイッチを押してコントロールできるとし、そのコントロー ル・スイッチを見つけるのは当塾なら必ず可能ですよ、と訴えている。これを人間を他人が操作できる機械とみなす、つまり擬械化(ぎかいか)と言わずして何 と言うのだろう。

 ちまたでは脳科学者と名乗る人たちが、脳が人間のからだのすべてを支配しているかのような言説をしきりに流布しているが、これもある面、人の からだをどんどん文節化し、からだの各部分が上から指令を出す脳の支配下にあり、こういうスイッチが押されれば、こういう結果が生まれますよ、というよう な擬械化(ぎかいか)のお先棒を担いでいるようにわたしには見えてならない。
 また、自動車保険の分野では、車に運転者の運転の仕方を探知・記録する機械が取り付けられ、それによってたとえば、急発進、急ブレーキが少な い運転者は保険料金が安くなるといったサービスが始まっているらしい。実は商品輸送のトラックなどの一部には、燃料費節約の管理のためにとうにこれらの機 能が装備されていて、記録されるのみならず、燃費に悪いと思われる急発進、急ブレーキなどをすると、機械の音声で運転手が即座に注意されるらしい。もちろ ん、「歩行者が急に飛び出してきたから仕方なく急ブレーキを踏んだんです。」などという言い訳は受け付けてくれない … 。
とうとう人間が機械の良し悪しを見るのではなく、機械が人間の良し悪しを判定し、注意(指示)まですることになってきているのだが、誰も恐怖を感じないの だろうか。人間を粗悪品として排除・殲滅しようとする機械との戦いを描いた映画『ターミネーター』の世界、または、人間はバーチャル・リアリティ(仮想現 実)の世界に閉じこめられ、コンピューターの動力源として培養されているだけという映画『マトリックス』の世界まで、(どちらももう大分古い映画だが)あ ともう少しのような気がわたしはするのだが … 。

すでにアニメーションの分野では擬械化(ぎかいか)どころか、インターネットに脳から直接つながるために生身のからだを捨て機械化している人間(現在の “人間”の定義やイメージとはもはやかけ離れているかもしれないが)の姿が描かれていて、将来、「人間のからだ」というもの自体がどこまで保持されるのか はわからない。そうした中、“ からだ ”をつきつめ、たしかめるレッスンに何があるのか ─
容易ならざる時代になってきたわけだが、こういう時代だからこそ、深く息をし、自らのからだを感じ、人と真っ直ぐに向かい合い、人とふれあうという出会い を探して、一人一人が、一足一足、歩いて行くほかはないように思われる。そうした歩みを忽(ゆるが)せにしないことこそが、知らぬ間に忍び寄り、人を操作 し、管理し、支配し、服従させようとする擬械化(ぎかいか)に抗し、「人間である」ことを貫いて行く手だてではないだろうか。


   

 
★  実 感 に 閉 じ こ も る

わたしたちは、自分が真剣に話したつもりのことばが人に受け入れられないと、すぐに怒りだし、相手を憎んだり、恨んだりしてしまうことが多いのではないだ ろうか。しかし、そこには自分の実感に閉じこもり、ことばが相手に向かっていない、届いていないという落とし穴があるかもしれない。話しかけのレッスンに ついての話の中で、竹内さんは以下のように指摘している。

竹内/(略)自分が話しかける時に、自分の中に本当にそういう気 持がないとダメだとか、それからリアリティが有るとか無いとかっていう言い方をする人がいるわけですけども、その “ リアリティ ”っていうのは何だ、ということをね、吟味するっていうことにもなるんですね、話しかけのレッスンっ ていうのは。
  つまりしばしば私たちは話す時にね、自分はこういうことを思ってる、う〜ん、っていうふうにね、自分の中で、ガッーとこう、自分の中に、ある実感を持とう とする。
実感を持つことが本当に人に話しかけられる基だ、というふうに思いこみ過ぎるんですね。
 そうするとねえ、実はそれはねえ、一生懸命、たとえば、あー、あたしは自分に閉じこもっていて、こんなに苦しい、というようなね、あるところ へね、自分を持っていくことでね、実感を強める、っていうふうにね、なりやすい。と、そのことはね、いっくら人にね、そのリアリティを伝えようとしても ね、自分の中へ初めっから閉じこもって自分の方向へ、中の方へこう、方向が向いてるわけやから、これをわかってほしい、いくら言うてもね、人の方へ真っ直 ぐに行くはずがないのですね。(後略)
─ 竹内敏晴レッスン記録「劈く」より ─

  自分の実感に閉じこもることの一つに、感情に浸る、感情をこめる、といったことも含まれるだろう。

─(前略)二流の役者がセリフに取り組むと、ほとんど必ず、まずそのセリフを主人公に吐かせている感情の状態を推測し、その感情を自分の中にかき立て、そ れに浸ろうと努力する。(中略)もっと通俗的なパターンで言うと、学校で教員たちがよく使う「もっと感情をこめて読みなさい」というきまり文句になる。 「へえ、感情ってのは、こめたり外したりできる鉄砲のタマみたいなものかねえ」というのが私の皮肉であった。(後略)
『思想する「からだ」』より

 ことばを話す、話しかけるということは、自分の実感や感情に閉じこもることではない。抽象的な言い方だが、相手と自分とのあいだに架橋すると いうことだろう。そのための手がかりが、竹内さんが座禅をした時の話にあると思う。

竹内 /(略)僕は座禅をやって一番最初にわかったことなんだけども僕は内面的に集中することだとどっかで思いこんでたらしいのね、座禅っていうものを。で、こ うずうっ〜とやっててみるとね、いつのまにかからだが(略)前へ前へこう…。
松井 / 閉じこもって行く…。
竹内 /うん、こうね、湾曲してくるんで、ハッと気がついてみるとね、駄目なのね。
それでこれはあかんと思ってパッとこう真っ直ぐになって向こうを見るでしょ、ところがそうすると外を見てるんだよね。
 と、外へ向かってるんでもない、中へ閉じてるんでもない、そのどちらでもないところへ自分がスウッと立つ、ってことが一番大事なんだな、って いうのを(略)わかったのはそういうことなんですね。
 それで相手に向かう時も僕はそうだと思うね。相手を一生懸命観察してて、観察しよう、観察しようとしている時には(略)自分を感じることがない。自分は 何を感じているんでしょうか、ということを自分に問い返したら、もう人は見ていない。
そのどちらでもないところへスッと立って、相手からくるものと、自分がそれによってフッと動き始めるところへ(略)立てるっていうふうになったらいいな あ、というふうに思ってるんですけど。
─ 竹内敏晴レッスン記録「劈く」より ─

 以上は人と向かい合うときの話だが、人に話しかけるときも、同じことが求められるのではないだろうか。そこから、実感や感情をこめることを捨て、ことば そのものにふれてゆくことが大切なのだが、“ ことばにふれる ”というのはどういうことかについては竹内さんの多くの著作を当たっていただきたい。最後に、もう一つだけ手がかりを以下に。

─ 表現するという行為は内的に「感じとる」ことではない。声に よって、外に、他者と共有するこの目の前の空間にくっきりと、存在しないものを創り出すことを言うのだ。─
『日本語のレッスン』より


注1 )〔話しかけのレッスン〕後に「呼びかけのレッスン」と呼ばれるもの。この名称の変遷については、『生きることのレッスン』 第三章 いのちを劈くレッス ン 〜 変わる「レッスン」を参照されたし。

 
 

★  イ メ ー ジ と は 何 か     ─ 佐伯  胖 ─


以下の文章は、認知心理学者の佐伯 胖(さえき・ゆたか)さんが、「現代のエスプリ」275号(1990年6月)に書かれた「イメージと認知 ─ ギブソン心理学からのイメージ論」という文章を、友人を通してご本人から許可をいただき、掲載させていただいたものです。
この論文をわたしに紹介し、佐伯 さんに掲載承認のための連絡を取ってくれた友人、そして、快く掲載を承諾してくださった佐伯 胖さんに、あらためて御礼申し上げます。



イメージと認知 ─ ギブソン心理学からのイメージ論     佐伯  胖

  昨年の夏、「国語教育を学ぶ会」という現場の国語の先生たちの研究会 に招かれた。そ こで、木下順二の「木竜うるし」(脚本)の授業実践の報告があり、促さ れて二人の先生が権八と藤六になって、ある場面でのそれぞれのせりふを読んだ。私には、なかなか感じがでているな、と思ったのだが、傍らにおられた演出家 の竹内敏晴氏は不満を示され、

(権八)「た、た、大変だ。りゅ、竜が生きとったあ。」

という部分だけ、もう一度読んでみてほしいと注文した。権八役の先生が再びよく通る声で感じを出して読むと、竹内氏はやっぱり不満顔。「どうも変だ。何度 聞いても、竜が見えてこない」という。そしてやおら立ち上がると、傍らの私にも立つように促し、「たとえば、この三メートル先に本当に竜があらわれたとし よう。」といって、三メートルばかり先の架空の竜を指さすや、

「わっ、りゅ、竜だ!」

と叫んで私の腕をわしづかみにして、一瞬にしてわたしのうしろにまわりこんで身をちぢめ、さっきの竜のところを凝視してふるえていた。

  そのあと竹内氏は、朗読者がそれぞれの場面をしっかり具体的にイメージし、まさに「そこにそれがある」ことを意識して、全身でそれに反応することの重要さ を強調された。

  私には竹内氏のその話はまさに衝撃的だった。長年、「イメージとは何か」について悩んでいたことが、突然ぱっと解消したような実感を得て、おもわず「わ かった、わかった」と叫んでしまった。私が感動したことは竹内氏に直ちに伝わり、氏は、「佐伯さんがショックを感じたことがたいへん興味深い。ぜひくわし い話をきかせてほしい」と言われたので、その夜、氏の宿泊されている部屋でゆっくり語り合うことになった。

  その晩、私が竹内氏に話したのは、こういうことである。

  近年の認知心理学では、人間の知覚や認識を、頭の中の「知識構造」を想定することによって説明しようとする考え方(「表象主義」と呼ばれている)が主流で あった。つまり、人間は外界から入ってくる刺激を、すでに頭の中に貯蔵されている知識(さまざまな特徴や特徴の相互関係の知識)に照合させて、分析し、カ テゴライズした上で、それらを統合して「意味」を解釈していくのだ、というわけである。そこで、研究者の関心は、それでは「頭の中」にはそもそもどのよう な知識がどのような形式で貯蔵されていると仮定することが、知覚や認識に関する実験データを説明するのに必要かつ十分か、ということになり、頭の中の「知 識構造」に関するさまざまな仮説が提起されて、実験的に検証されてきた。さらに、最近では、その「知識構造」をコンピュータのプログラムとして組み込むこ とによって、コンピュータに「知的な情報処理」をさせ、それが心理学的実験データとうまく照合すれば、人間の頭の中もこうなっているにちがいない、とする 研究が盛んに行われてきた。

 このような「表象主義」の立場からすれば、「イメージ」というのも、「頭の中の知識構造」の一種とされる。ただ、そこでは、イメージは文章や単語の意味 構造と本質的には同じような、命題や記号の関係構造として表象されているという説と、言語的な知識とは本質的に異なる、むしろ「絵」や「図」のような、ア ナログ的な表象構造をもっているはずだとする説が対立し、大いに論争になったということもある。

 ところが最近になって、このような表象主義ではどうにも説明がつかない問題があることに人々が気づきはじめた。

 なんといっても、一番大きな問題は、知覚や認識が状況に依存する、ということである。同じ刺激が与えられる文脈や状況によって異なって認識される、とい うことなら、かつてゲシュタルト心理 たちがさかんに主張してきたことであって、別段新しいことではない。それらのかなりの問題は、「状況」(あるいは「文脈」)ということ自体を「知識」とみ なし、そういう知識が、個別的な事物の情報処理の前にあらかじめ呼び出されて、個別の情報の解釈機構を大きく規定するのだ、とすれば、たいていの問題は解 決する。ところがそのような「文脈情報処理機構」なるものを想定しても、なかなかうまくいかない問題がいろいろある。まず、この「文脈」そのものが、どう やって認識されるのか、と追求していくと、その文脈の文脈が問題になる。さらに追求すれば、「文脈の文脈の文脈の……」というきりのない話になってしま い、どこかで打ち切らないと、コトが始まらない、つまり、個別情報の処理方式が決定できない。さらに、この「文脈」によって異なる情報処理をする能力とい うのは、さきにあげた表象主義的な考え方からすれば、たいへん「高度な」情報処理機構であるはずなのに、実は発達のきわめて初期から見られることであり、 しかも「瞬時に」、「適切に」実行されることなのである。

 さらに大きな問題は、外界から「入力される」情報というのは、実験室を離れた現実世界では、とてつもなく多様だ、ということである。私たちは絶えず動き 回る。また、事物を動かしてもいる。さまざまな目的をもって行動すると同時に、行動しながら新しい目的を「発見」したりもする。このような多様かつ変化し つつある外界情報に対して、いちいち個別的に獲得された過去の「知識」を呼び出して「解釈」しているというのは、いかに人間の脳が高度の情報処理機構を備 えているとしても、ちょっと無理ではないか。たとえばここにある灰皿を右に二十センチメートルほど移動させたとする。そのときに新しく「可能」となる事態 に関する命題、あるいはそれによって「不可能」となる事態に関する命題をすべて列挙せよといわれると、これはもうたちまち膨大なことになり、いかに大きな コンピュータでもパンクしてしまう。ところが、人間にとっては、いちいちそんな命題を列挙しないでも、有り得ることと有り得ないことの区別は瞬時にでき る。

 このような考え方から人々が認知心理学における表象主義的前提に疑いの目をなげかけるようになってきたときに、あらためて注目されてきたのが、ギブソンの心理学であった。

 ギブソンは、知識は「頭の中」にあるのではなく「外界」にあるとした。もっとも、こういう言い方はたいへん誤解をまねく。「知識」というのはそもそも人 間が頭の中につくりだすもののはずで、この世から人類が滅亡すれば「知識」も存在しなくなるはずだ、と誰でも信じているだろう。ところがギブソンは、そも そも「外界」とは何か、と問う。

 たとえば、世の中に「酢」という物質が存在するだろう。ところでそれが何かと問われたならば、多くの人は、「酸っぱいもの」と答えるだろう。然り、酢の 「酸っぱさ」がその人にとっての「外界」である。さてここで、酢の「酸っぱさ」は、あくまで人間にとって、しかも、それを「味わう」という行為でかかわり あう中で立ち現れる性質である。人間以外の、たとえば酢の中の酵母菌にとっては、酢が「酸っぱい」などという性質はもともと存在しない。つまりギブソンに とって、「外界」というのは、生物の生活している生態系のなかで、生物の活動と環境との相互作用として「そこにある」ものだとする。さらに、ちょうど 「酸っぱいもの」が唾液を分泌させるように、外界の事物は、「それに対して(生体が)どうすると(外界は)どうなる」という、生体の「働きかけ」に対応し て変化状況の情報を潜在的にもっていて、生体はそのような「変化情報」を通しての不変項(ギブソンはそれを「アフォーダンス」特性と呼んだ)を抽出する能 力をもっているのだ、と想定した。

 つまり、「知覚」というのは、生体が外界に働きかけたときに生体の「いきざま」に関係して一貫して「働きかけられる」情報、すなわち、アフォーダンスの 抽出であり、生体は全身でそのアフォーダンスを抽出し、アフォーダンスに応える形で、外界とかかわりあっているのだ、とした。さらに、このような「変化の 中の不変構造」というのは、生体があらかじめ所有している「知識」ではなく、もともと「外界」に含まれている情報から抽出されるもの、とした。

 このようなギブソンの考え方が、さきの表象主義と異なるのはつぎのような点である。

 第一に、まず、「知覚」というのを、静止した物体を実験室で注視したときの「判断内容」とするのではなく、人が外界に多様に「働きかけていく」活動の流 れの中で、それに応じて外界が「働きかけてくる」ことの受容であるとしたこと。したがって、知覚を研究するとは、「頭の中がどうなっていて、それが刺激を どう受容するか」の研究ではなく、あるいは「そこに置かれたモノがどう見えるか」の研究でもなく、「外界がどうなっていて、それに人がどう働きかけ、さら にそれに対して外界がどう人に働きかけ返すか」、つまり、「人はそのモノにどう働きかけ、何をしようとするのか」の研究になる。したがって、外界にあるモ ノの形態、そのモノの生態学的な意味、それへの人間の全身的なかかわりが注目される。

 第二に、見るということは、目に刺激を受容することというより、視線で「触れる」ことになる。あるいは、見ることと触れることとは、「同じ」ことにな る。もっといえば、見ることは、全身がそれに「向かう」ことであり、それに全身で「応じる」ことである。

 第三に、認識や知覚は、「そこにあるモノ」によって引き起こされているのであって、頭の中で外界と独立に(勝手に)創り出して、それを頭の中で操作して いる対象ではない、ということである。さらに、それは「次なる行為」へのつながりとなるべきものであって、それへの身構え(「志向性」)を形作るものであ る。

 このように考えると、知覚や認知が状況に依存することは、むしろ当たり前である。それは人間が状況のなかで適切な活動を志向しており、その活動の流れの なかで適切なアフォーダンスが抽出されるからである。

さて、ここまでの話は、たとえばここにある「テーブル」を見たときに、それが「(花瓶などを)置くところ」として見えたり、「(切れた電球を交換するため に)立ち上がるところ」と見えたり、あるいは、「(大きな地図などを)広げてみるところ」と見える、という現象の説明までならうまくいく。

 しかし、対応する実在がない「イメージ」はどうなる。イメージはやはり「頭の中」に人が創り出すものではないのか。

 私がずっと悩んでいた問題は、このことであった。つまり、ギブソン心理学の立場から「イメージ」というものをどう考えたらいいのか、ということであっ た。

 さて、そこで、さきの「木竜うるし」の朗読を思い返してみよう。

 権八のせりふを一生懸命「それらしく」読んだ先生は、彼女の「朗読の知識」を最大限に援用して、「声の出し方」を工夫し、「驚きの表現」の一般的な特徴 に即して、ことばに強弱と抑揚をつけて読み上げた。これは、さきに述べた表象主義的知識観からすれば、完ぺきなパフォーマンスのはずであった。それまでの 国語の知識、朗読指導の知識のすべてを結集した成果であった。表象主義が扱ってきた「文脈」の情報処理を行い、前後の文脈から、「ここはこういう文脈だか ら、こういう声でこういういい方をするのが適切だ」という前処理のもとに、個々の単語の発声を決定していたのである。

 ところが、竹内氏は、それがダメだという。「竜はどこにいるのか」と問う。そして私を傍らに立たせて、ちょうど三メートル先にはっきりと竜を「そこに置 いて」それに対して全身で、さらに傍らの私を巻き込んで、「反応」してみせた。

 それでは、竹内氏がそれに「反応」した「竜」は、どこにいるのか。それは竹内氏の「頭の中」か。それとも「外」か。

 それが竹内氏の「頭の中」とはいえない。なぜなら、傍らで見ている私たちにも、それが竹内氏の前の三メートル先にちゃんと「いる」のが「見える」から だ。しかしもちろん、それは現実の「外」には実在していない。そこへ行って手をのばしても触れることはできないからだ。

 そこで私がそのとき「発見」したのは、まさしく「竜」が、竹内氏のしぐさ、声、傍らにいる私、三メートル先の「空間」、まわりに見ている人々、それらす べてが相互に相呼応しあう関係として、その「場」が全体としてアフォードするところとして、「そこ」に創り出されている、ということである。竹内氏はそれ ら全体を「演出」した。そこにあるのは、すべての相互関係である。あらゆるモノや人の有りようが、互いに「応じあう」関係にある。それは、当初、竹内氏が 明確に「三メートル先のソコ」に竜を設定したことからはじまる。それに応じて、竹内氏のからだだけでなく、周辺の私たちが「ソコ」に向かう、それがまた、 竹内氏の竜が克明に描き出されることに作用する。さらにそれが竹内氏や周辺の人々の反応を、より的確に焦点化させる……。こういうことの相互作用が瞬時に 行き来して、全体を創り出している。

 実在物の「知覚」とその「イメージ化」は、結局のところ同じことである。つまり、ふつうの「知覚」の場合、最初は外界の事物が認識者に「それに向かう行 為」を誘発(アフォード)する。それで認識者がそれに「向かう」べくからだを構え直す。それが外界情報のアフォーダンスをより適切に、より純粋に抽出さ せ、自然にからだがそれにもっと確実に「向かう」ようにしむける。そのことが外界のアフォーダンスをよりはっきりと抽出させる……。一方、「イメージ」の 場合は、まず、認識者の側からの「向かう」姿勢をつくることからはじまる。それが、外界の時・空間にはっきりした存在を想定される「モノ」のイメージをつ くる。そのイメージが今度は、認識者の全身の姿勢を身構えさせ、さらにはその周辺の人や事物を、それに一層的確に「向かわせる」(attuneす る)ように仕向けていく。したがって、私たちが実在の認識から、「あたらしいコト」を発見したり、学んだりするのとまったく同様に、イメージを明確にして いくプロセスを通して、私たちはやはり「あたらしいコト」を、それらの周辺の事物や人の「動き」に助けられて、発見し、学ぶのである。この点こそ、従来の 表象主義には説明のできなかった「イメージの創造的作用」である。(従来の表象主義で説明できるのは、高々既有知識の「組代え」か、新奇な「連合」にすぎ ない。)私たちは「事物に向かう」プロセスのなかで、無意識のなかに潜んでいた外界のアフォーダンスを抽出する能力が覚醒し、焦点化するために、外界の事 物の認識がより的確になり、私たちの認識が、対象のみならずその周辺の「状況」に対しても「ひらかれた」ものになる。

かくして、「演じること」が「認識すること」であり、さらに「イメージすること」が外界に「向かう」ことであり、さらに、それがまた、外界の実在(リアリ ティ)を的確に、また新たに「知る」ことになる。

 私が竹内氏の短い「レッスン」を通して、衝撃的に学んだのはこのようなことであった。そのことを説明したとき、氏は、私の説明した、認識に対するギブソ ン流の考え方は、氏が学んだ後期スタニスラフスキーの演劇論に共通していること、さ らに、そこから氏は人間のからだを外界に「ひらく」レッスンを思いつかれ、実践してきておられることを語られた。そのあとの話は、氏がいかにして後期スタ ニスラフスキーの思想と出会ったかについての個人的経験談が中心であった が、その話はここでは省略する。


 その後、私がふと考えたことがある。それは、そもそもなぜ竹内氏の「レッスン」が必要だったのかということである。もしも、知覚というもの、認識という ものが、もともとギブソンのいうようなものであれば、人はごく自然に「外界にひらかれた」認識ができるはずである。ところが、多くの人々にとって、それは 至難のわざになっている。かの熱心で経験豊富な国語教師の朗読が、竹内氏に「竜はどこにいるのか」と問わしめたのはなぜか。

 この問いに対する一つの仮の答えはこうである。表象主義的な考え方というのは、実は、伝統的な「学校教育」でつくられる考え方と共通しており、それがい つのまにか教師の知識観、理解観に浸透しているし、また、それを通して育った私たちにも浸透している、ということである。さらに、私たちは「映像」メディ アにかこまれて、イメージをつくる以前に、視覚だけの疑似イメージを外界の実在と切り離して享受することに慣れ親しんできている。したがって、外界の「本 当にそこにアルもの」に全身を向かわせ、そこからアフォーダンスを的確に抽出するという能力を殺しているか退化させている。「頭の中だけで」表象をいじく りまわし、「それらしい」世界をつくって満足するように仕向けられてきている。つまり、私たちは擬似的表象の操作という活動に焦点化し、そういう情報の抽 出に「向かわされて」いる。

 竹内氏が挑戦してきたのは、このことに対して、本来の認識の回復ではなかったのか。そしてこれこそ、今日の私たちに最も必要なことだ、と共感しないでは いられない。



※ 転載元の印刷に散見された明らかな誤植・脱字等は補完・修正させていただきました。

※ 以下の(注)は、引用者(当ホームページ作成者)が補足させていただくものです。



注1 )〔国語教育を学ぶ会〕当ホーム・ページ「竹内敏晴著作紹介」の『子どもが生きる ことばが生きる 詩の授業』および『「にほんご」の授業』の紹介文参照。
注2 )〔木竜うるし〕(もくりゅううるし)劇作家の木下順二(1914〜2006)が、各地(宮崎など)にある民話(「米良の上漆」など)を元に創作したと思 われる劇。
あらすじ : きこりの権八と藤六とが山で木を切っている内に、あやまってノコギリをふち(淵)へ落としてしまう。取りに入ってみると、そこには山から流れてきたらしい 上等のうるしが溜まっていた。権八は人のいい藤六に他の誰にも言うな、と口止めをすると同時に、なんとかうるしを一人占めできないかと思案し、藤六が怖 がって二度とふちに入らないようにと、木でつくった竜をふちへ沈める。権八のもくろみ通り、それを見た藤六は驚いて逃げるが、その後権八が一人でふちへ入 ると、作り物のはずの竜が動いて権八を飛び上がらせる…(以下省略)。佐伯さんが立ち会った朗読は、その場面の権八の台詞。
注3 )〔ゲシュタルト心理学〕ゲシュタルトとはドイツ語で“gestalt(形態)”を意味する。
「精神現象を個々の感覚の要素的集まりとする要素心理学に反対し、精神や意識を単なる要素の総和に解消されない形態(ゲシュタルト)としてみる立場。形態 心理学。」─ 大辞林より ─
注4 )〔ギブソン〕ジェームズ・ジェローム・ギブソン(James Jerome Gibson / 1904〜1979)知覚研究を専門とするアメリカの心理学者。アフォーダンス(affordance)とは、「与える、提供する」という意味の affordを基に彼がつくった造語。
注5 )〔attune〕同調・調和させる。適合させる。/〔楽器などを〕調音・調律する
注6 )〔スタニフラフスキー〕コンスタンチン・スタニスラフスキー(1863〜1938)
ロシアの俳優・演出家。モスクワ芸術座創立者の一人。スタニスラフスキー・システムと呼ばれる演技理論・俳優養成訓練法を残したことで演劇の世界では有 名。
注7 )〔いかにして後期スタニフラフスキーの思想と出会ったかについての個人的経験談〕
竹内敏晴著『ことばが劈かれるとき』からだとの出会い 解体することば より
「(略)私の課題は、戦後新劇が、そして自分もその一員として築き上げようと努力してきた近代的なリアリズムの演劇、とくに演技を、どのように批判し、超 えたらいいか、ということであった(後略)」

「後期スタニフラフスキーの思想」については、以下の著書参照。
竹内敏晴著『生きることのレッスン』第一章 ことばとからだに出会うまで
スタニフラフスキーのアクション
竹内敏晴著『レッスンする人』第四章 「感じるからだ」と「考えるからだ」
スタニフラフスキーの「身体的行動の芸術」



《 付  記 》  イメージに向かう ─ 佐伯さんの発見とレッスン「ことばにふれる」こと ─

わたしが佐伯さんのこの論文を掲載させていただいたのは、前章「実感に閉じこもる」の終わりに取り上げた竹内さんのことば

─ 表現するという行為 は内的に「感じとる」ことではない。声によって、外に、他者と共有するこの目の前の空間にくっきりと、存在しないものを創り出すことを言うのだ。─
『日本語のレッスン』より

が、認知心理学の観点からきわめて具体的に述べられているからだ。

竹内さんが否定する『内的に「感じとる」』とは、前章でもふれたが、よく教師や二流の演出家が言う「(台詞に)もっと感情をこめていいなさい」ということ ばに表れている。

これは佐伯さんが指摘するように、「ここはこういう文脈だから、こういう声でこういういい方をするのが適切だ」という「判断内容」を基に発せられる「声の 出し方」、「感情の表現」を求める「表象主義的知識観」に支えられた指導のことばだ。しかし、こうした「静止した物体を実験室で注視」するように人のから だ(自らのからだ)を客観的に眺め、それを「それらしく」適切に操作し、それが表現である、とする見方・考え方に竹内さんは異議を唱える。「竜はどこにい るのか」。

─ 表現するという行為 は(略)声によって、外に、他者と共有するこの目の前の空間にくっきりと、存在しないものを創り出すことを言うのだ。─

佐伯さんが目の当たりにしたように、竹内さんは権八の台詞で上記のことばを実現する。それはまず「たとえば、この三メートル先に本当に竜があらわれたとし よう。」ということばによって、皆がその空間を「見る」ことから始まる。佐伯さんが述べられているように、そうして見るということは『視線で「触れる」こ とになる。あるいは、見ることと触れることとは、「同じ」ことになる。もっといえば、見ることは、全身がそれに「向かう」ことであり、それに全身で「応じ る」ことである 』。

すでに皆がそこに「竜」を見ている、「竜」に視線で「触れて」いる中、竹内さんが「わっ、りゅ、竜だ!」と叫んで、傍らに立たせた佐伯さんを掴んでその後 ろに隠れながら震える。全身がそれに「向かい」かつ「応じて」いる。その竹内さんのからだに「ふれる」佐伯さんも、場の皆も、全身で「竜」に「向かい」か つ「応じ」、感じる。「見る」「向かう」「応じる」は、同時に相互に関係し合い、それぞれの行為を深くして行く。

これは先の「表象主義的」な「竜を見ているフリ」ではない。まず「見る」ということが、こちらから対象を客観的に眺めることではなく、直観、看取るという ことばに現れる みる≠ノも通じる、からだに直に伝わるもの、「働きかけ」「働きかけられる」行為としてすでにそこにある。「見る」ことすなわち、「全身で向かう」ことな のだ。

特殊なことばの使い方だと思う方もいるかもしれないが、たとえば、親子の間で子どもが「お父さん(お母さん)はあたしを見ていない」とか、夫婦や恋人の間 で「あなたはわたしを見ていない」などのことばが出されることを経験したことはないだろうか。これは眼で見ているとか見ていないということではなく、「あ なたはわたしに全身で向かっていない」ということを訴えているのだ。いうなれば「表象主義的知識観」で相手に対し、「○○はこういう性格で、こういう奴だ から」という、過去の相手の像(知識)を基に人に向い、「それにはこうすればいい」という「頭の中で操作する対象」としてしかこちらを見て来ない者、その 視線に傷ついた子どもやパートナーが『あなたは、いま、ここに、あなたの目の前に生きているわたしを見ていないじゃないか、見ているフリだけで、全身でわ たしに向かっていないじゃないか!』という悲痛な訴えとして、日常でも「見る」ということばを「わたしを(本当に)見てよ!」という形で発している。


竹内さんの「わっ、りゅ、竜だ!」という叫びは、『前後の文脈から、「ここはこういう文脈だから、こういう声でこういういい方をするのが適切だ」という前 処理のもとに(略)決定』された「発声」ではない。その「場」にいる全員が見ている視線の先に向かって、「竜だ!」ということばを発し、名づけることに よって、そこに「竜」を現出させる。あらかじめ頭の中に用意した架空のイメージなどではなく、「り」「ゅ」「う」という声で「外に、他者と共有するこの目 の前の空間にくっきりと、存在しないものを創り出す」。
これが、「ことばにふれる」ということだ。

佐伯さんが述べている『私たちが実在の認識から、「あたらしいコト」を発見したり、学んだりするのとまったく同様に、イメージを明確にしていくプロセスを 通して、私たちはやはり「あたらしいコト」を(略)発見し、学ぶのである。この点こそ(略)「イメージの創造的作用」である。』の中の、「イメージを明確 にしていくプロセス」の中核をなすのが、この、声によってことばにふれ、そのものの存在をそこに現す、という行為である。
くり返しになるが、この場合の「イメージ」とは、頭の中にあらかじめ用意された内的な映像などではない。たとえば、「夕焼け」なら「ゆ」「う」「や」 「け」という、一つ一つの音(おん)を押し、つなげる、その発声において、ことばに潜在するイメー ジがそこ(空間)にくっきりと現れ、 その姿が「他者と共有」される。それは過去の記憶の残像を投影しているのでもない。いまここで、声が生まれるその瞬間に、イメージも新しくそこに生まれる のだ。だからこそ、佐伯さんのいうように『 実在の認識から、「あたらしいコト」を発見したり、学んだりするのとまったく同様に 』そのイメージから『「あたらしいコト」を発見し、学ぶ 』という、『 「イメージの創造的作用」』が起きる。それはすなわち、竹内さんがいうところの「表現するという行為」を意味する。

ふたたび佐伯さんのことばを借りると、『 (前略)かくして、「演じること( ─ 表現するという行為 ─)」が「認識すること」であり、さらに「イメージすること」が外界に「向かう」ことであり、さらに、それがまた、外界の実在(リアリティ)を的確に、ま た新たに「知る」ことになる 』。


『 外界の実在(リアリティ)』ということばは、前章で取り上げた竹内さんの対談の中で話された「“ リアリティ ” っていうのは何だ」という問いにつながるものだ。

佐伯さんが指摘するように、わたしたちは幼い頃から『「映像」メディアにかこまれて、イメージをつくる以前に、視覚だけの疑似イメージを外界の実在と切り 離して享受することに慣れ親しんできている』。したがって「イメージ」というものを、もはや無意識に 頭の中に思い浮かべられる過去に見た映像≠セと思い込んでいる。そうした過去の知識を頭の中で呼び出し操作するという『 表象主義的な考え方 』が『伝統的な「学校教育」でつくられる考え方と共通しており、それがいつのまにか教師の知識観、理解観に浸透しているし、また、それを通して育った私た ちにも浸透している 』ので、「もっと ─ 過去の映像を思い浮かべ、そこで予定されるはずの ─ 感情をこめて言いなさい」という言い方がなされ、そのことに誰も疑問を持たなくなってしまっている。

佐伯さんが参加した「国語教育を学ぶ会」におけるカンファレンスの実践を記した本、『子どもが生きる ことばが生きる 詩の授業(谷川俊太郎 ,竹内敏晴 , 稲垣忠彦 , 国語教育を学ぶ会)』の、「おわりに」に、国語教育を学ぶ会会長 石井順治さんが、自分たちが教師として子どもたちにしてきた詩の授業を次のように記している。

─ 『 「詩がわかる」「詩を理解する」という言葉自体に誤りがある。そうではなくて、ふだん明瞭だと思っていたことが、もっとあいまいになってくる。もっと一種 の深みとか複雑さを増してくるというのが詩なんじゃないか。 』
  この谷川さんの言葉を耳にしたときの衝撃は、今も忘れられない。それまで「詩を読むとは詩を理解すること」だと信じて疑うことがなかったからである。
それまでに私達がしてきた詩の授業、それはまさに詩を理解させるためのものであった。その詩はどういう状況を描き出したものなのか、そして、そういう状況 の中で作者はどういう心情に浸っているのか、また、この詩にどういう思いを込めているのか。(略)そこでは、いかにして子どもたちに詩を楽しませるかとい うことではなく、どんな方法で教師が読み取ったことを「わからせるか」ということが主眼となる。(略)そうして、教師の読み取った詩人の心を子どもたちが 最後にとらえることができたらよしということになる。─

勇気ある、率直な告白だが、これは何よりも佐伯さんの『表象主義的な考え方が伝統的な「学校教育」でつくられる考え方と共通しており、それがいつのまにか 教師の知識観、理解観に浸透している』という仮説を裏書きするものだろう。これに先の「もっと ─ 過去の映像を思い浮かべ、そこで予定されるはずの ─ 感情をこめて言いなさい」という言い方をあてはめてみると「もっと ─(先生が読み取った)詩の作者の心情を思い浮かべ、(先生が読み取った)作者の思いを ─ 感情をこめて言いなさい」ということになる。詩人の谷川(俊太郎)さんのいう「一種の深みとか複雑さを増してくるというのが詩」とは正反対の、一つの解 釈、一つの知識観に子どもを押し込めようとする「学校教育」の在り方がそこにありありと示されている。

そうした 教育≠ェ、一人一人の人間がいまここで自分が感じているものを外にあることばにふれ、託し、他者に手渡す、つまり「表現するという行為」に至ることを大き く阻害している。一つの解釈、一つの知識観のみが正解である、という思いこみ、いわばソクラテスのいうドクサをからだに植えつけられた結果、自分の実感、 つまり自分の中にあることばだけに固執し、反芻し、その想いが “ リアリティ ”であると信じこんでしまう。「イメージすること」における『外界の実在(リアリティ)』、つまり “ リアリティ ”は「外界」、「外の世界」に、声とことばによって現れ伝わるものであることなど、思いも寄らない。そうした在り方を当然とする「学校教育」の中で育った 多くの人が、いつのまにか自らの想いや考えを、他者のからだには届かないただの「意味することば」しか話していない「実感への閉じこもり」を常とするから だに追い込まれ、追い込まれていることにさえ気づいていないのではないだろうか。


日本には裸の自然がない≠ニ、哲学者の森 有正(もり・ありまさ)は言う。

「日本にある自然は、もう全部、性格と役割 ─ 内的性質がきまっている。富士山・江ノ島・三保の松原・九十九里浜(略)  ─ つまり日本の自然というのは、すべてが名所の集まりです」「それはもう、完全に人間の「知覚」(感覚ではなく)によって、おおいつくされた自然です。人間 の過去の知覚が全部、日本の自然をピッタリおおっている」

ここで述べられている「人間の過去の知覚」とは、あらかじめ記憶された頭の中の映像(皆がそれをイメージだと思い込んでいるもの)を指すものだと言ってい いだろう。
森は、日本人は画家に書かれた、歌に詠まれた富士(山)を見に行くのであって、日本 の自然は全部「体験」の 対象でしかない、と言う。また、「日本人は体験的に自然に接する」ので「外国も全部体験の対象にしている」。「出かけるまえに、観光案内書や写真などで もって知っているのと同じ姿を見つけ出せば、それで満足して帰ってくる」。こうした傾向が『「映像」メディアにかこまれて、(略)視覚だけの疑似イメージ を外界の実在と切り離して享受することに慣れ親しんで』いる現在のわたしたちにも延々と受け継がれていることに、誰も異論はないだろう。『表象主義的な考 え方が伝統的な「学校教育」でつくられる考え方と共通して』いる根源は、自然に接するときのみならず、何に対してもつねに「体験的」に向い、それを至上の ものとしてしまう日本人の在り方にあるのではないだろうか。

子どもの頃から『 視覚だけの疑似イメージを外界の実在と切り離して享受する 』認識の仕方をからだに植えつけられ、染み込ませてきたわたしたちは、『 ごく自然に「外界にひらかれた」認識ができ 』ないのみならず、『 それは至難のわざになっている 』。
佐伯さんが最後に述べている『外界の「本当にそこにアルもの」に全身を向かわせ、そこからアフォーダンスを的確に抽出するという能力を殺し(略)「頭の中 だけで」表象をいじくりまわし、「それらしい」世界をつくって満足する 』傾向は、いつからか日本人に抜き難く染みつき、それこそ『 伝統的 』にさえなっていて、現代のあらゆる分野に、無検討、無反省なまま、無制限に拡散されている。「学校教育」を検証、解体し、人間一人一人が、他の誰のでも ない、その人自身の表現をする、という行為の多様性を阻害する「表象主義的な考え方」から脱却していくためには、わたしたち日本人の文化の底に棲みつき、 深く根を張っているこうした 伝統 ≠ノついて、見つめ直し、考え直していかなくてはならないだろう。

竹内さんは、佐伯さんが言うように『 擬似的表象の操作という活動に焦点化し、そういう情報の抽出に「向かわされて」いる』わたしたちが、まず、自身のからだを通してそのことに気づき、もうす でに忘れ去られてしまったといってもいいかもしれない『 本来の認識』を持ったからだ、つまり ─ 人間であること ─ を取りもどすために、レッスンという場をひらき、苦闘していた。それは、ひとりひとりのからだを劈くことによって、何を経験してもそれをすぐ過去の出来事 として固定(体験化)し、情報化し、新しい経験へと変貌させることをしない、できない日本人の在り方、その社会の在り方を変えて行くことをも見据えた、終 わりのない、たった独りの、気の遠くなるような挑戦だったのではないだろうか。

人のからだからいつのまにか生気を奪い、支配し、服従させようとする実体の見えない何ものか。それが自身のからだにも孕まれていることを覚悟し、それと対 峙しながら、決まった答えなどないことを知りつつ、それでも ─ 人間であること ─ を生涯問い続けた彼の営みそのものが、おそらく ─ 人間になる ─ ための遥かな道のりだった、と、わたしはいま、ようやく気づく。


注1 )〔イメージがそこ(空間)にくっきりと現れ〕誤解のないよう念のため言っておくが、これはくっきりとした映像(たとえば幻覚のようなもの)がそこに現れ る、といったことではない。そんなものが「まざまざと見えたら、その人はちょっと、病院に行った方がいい」と、竹内さんも笑いながら言っていた。

注2 )〔日本には裸の自然がない=l森 有正(もり・ありまさ)著 講談社現代新書『生きることと考えること』 W ─ 経験と体験 〈6〉自然と人間

注3 )〔画家に書かれた、歌に詠まれた富士(山)〕浮世絵師 葛飾北斎(かつしか ほくさい)の「冨嶽三十六景」「富嶽百景」、万葉集で詠まれている山部赤人(やまべの あかひと)の「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」、など。森さんが本(『生きることと考えること』)で引いている山部赤人の歌は、改編され、小倉百人一首に出てくる 「田子の浦にうち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ」の下の句。

注4 )〔「体験」〕当ホーム・ページ「★ 体験と経験」参照

   

 
★  今ここからスタートするということ

─ 病院というものがありますね。(略)入院した患者さんは社会にいるのがほんとうで、ここには仮に来てるんだと思っている。(略)お医者さんも看護婦さんも だいたいみんなそう思っている。収容所だから当り前だと言えばそれまでだが、ここは仮の場所で、ここにいる俺はほんとうの俺ではないと思っていたら、いっ たいどこから、人間は生きてゆくスタートの点をきれるんだろう。あっちの世界がほんとうで、そこにほんとうの俺がいると考えていたら、ここにいる自分は全 部嘘になるわけです。いま自分がいるこの場から生きはじめなくてはしょうがない。いま生きている自分を自分で知覚して、どう受けとめるかということをはっ きりさせないとどうにもならない。なんにもはじまらない。─
竹内敏晴著『子どものからだとことば』 存在のしかたを知るということ より

「 いま生きている自分を自分で知覚して、どう受けとめるかということをはっきりさせる」ために、レッスンという場で自分を試してみる。「自分 がいるこの場」から目をそらさず、今ここからスタートするために。

 ついでながら言わせてもらうと、わたしは『社会復帰』ということばが嫌いだ。よく社会に出る、とかいう言い方もされるが、もともと社会とは、 すべての人々をふくむものではなかったのか。子どもだろうが、学生だろうが、老人だろうが、専業主婦(主夫)だろうが、病院に入院中の人だろうが、刑務所 にいる犯罪者だろうが、家に引きこもっている人だろうが、すべて社会の一員ではないのか。そう考えれば、『社会復帰』などということばは成り立たないはず だ。だから、「早く病気を直して、社会復帰したい」なんて言うこと自体がおかしい。そんな観念を持つから、病院を仮の場所と思い、いま自分がいるこの場か ら生きる、ということから目をそらすことにつながっている気がする。
  なのに、このことばがいつまでも横行しているのは、家の外で金銭を得る労働をしてい る者を必要以上に中心に据えた価値観が のさばったままで、それ以外の者は社会を成(な)していないかのような視線にさらされているからだろう。『社会復帰』ということばの存在は、その温床に、 社会人(わたしの視線からすれば、このことば自体が成り立たないが)と、それ以外の人々「非社会人」というふうな区別・差別意識が隠れていることばがあ る。
 ほかにも、社会という名称は企業社会とか地域社会とかいうように、何かと分割・分類するように使われているが、わたしはそれらの実態はすべて 『世間』ではないかと思っている。企業世間、地域世間、と言い換えてみるとしっくりする。『世間』には人を排斥・排除・差別・区別する(簡単に言うと仲間 外れにする)面があるので、『世間復帰』したい、という言い方なら、腑に落ちる。

 竹内さんは病院を例に取り、今を置き去りにして未来へ逃げ込むからだを指摘していたが、これはわたしたちが子どもの頃から長年かけて教えこま れてきたからだだと思う。
つまり、理想や目標(それらは時によって「夢」や「希望」といったことばで語られる)を設定し、そのために今の在り方をすべて規定する、という行動規範。 一番簡単な例は、受験だろう。受験のさらにその先には、いい学校を出て、いい会社に就職し、いい暮らしを手に入れ…と、延々と未来へ逃げていく道のりが示 され、いつのまにか誰もがそこへ追い立てられている。
 一見、順当な思考方法のようだが、いま、ここに生きているその人のからだにとって、本当は何が一番大切なことなのか、という視線がたやすく抜 け落ちてしまう大きな危険がありはしないか。すべての人がそうだというつもりはないが、志望校に受かる、勝負事に勝つ、本人も周りも、望ましい結果を追い 求めるあまり、いま、ここに生きていることを置き去りにし、からだをせき立て、追い立て、それを無理やり充実だと思いこもうとしてからだがついてゆけずに つまずくと、挫折者、落伍者扱いされ、それこそ夢も希望もないダメな奴と言われかねない。実はからだが、もうこれ以上せき立てられていては、生きていけな い、というサインを発しているだけなのだが、本人も自分はダメな人間だ、と思い、鬱病になったり、自分に深く閉じこもり、人と交わることができなくなった りする。

病院においては、健康が目標で、今は不健康(病気)なのだから、一刻も早く病気を直さなければ、ここを脱出しなければ、ということになる。
わたしも以前はたとえば風邪を引くと、節々が痛い、苦しい、早く直りたい、元のからだに戻りたい、と、その時の自分のからだから逃れようとして全身に力が 入り、ふだん、ほぐして柔らかくなっていたからだが、風邪が去った後、すっかり固くなってしまった、ということをくり返していた。
しかし、ある時から、風邪を引いても、他のことで体調が悪くても、その悪い状態の自分を受けとめ、そのからだのままで力を抜いていることができるように なった。今の自分のからだから逃げ出さないことを覚えた(いつでもそうできるかどうかはわからないが)。すると、体調が回復した後、多少からだが固くは なっていても、以前のようにガチガチになってしまう、ということも無くなった。受け入れるか、拒否するか、の間に、受けとめる、ということばがあること を、レッスンの中で徐々にからだが覚えていったのだと思う。

今の自分のからだから逃げ出し、未来から現在を規定・評価するということは、時間が一定の方向にだけ流れることを最上とする基準が設けられ、つねに “前向き ”であることを求められる。しかし、後ろ向きだろうが、立ち止まっていようが、うずくまっていようが、それはその人が今そこに生きている時間なのであっ て、他人がその時間を見下したり、その人を非難する根拠にするものではないはずだ。
病院の患者本人だけではなく、医療者も、看護者も、見舞いに来る人も、また、子どもを育てる親も、教師も、患者や子どもを未来へとせき立てず、今そこにい る、そこにあるその人のからだを感じ、受けとめ続けることが、「見守る」ということなのではないかと思うし、その人の時間をせき立てず、同じ時間を生きる ということが、「共に生きる」ということばにつながるのではないだろうか。


注1 )〔家の外で金銭を得る労働をしている者を必要以上に中心に据えた価値観〕
シンボリックな言い方を挙げると、「働かざる者、食うべからず」。もともとは働けるのに働かない者を戒める諺だったのだろうが、いつのまにか、無意識にで はあるかもしれないが、とにかく直接金銭を得る労働をする者が偉くて、それ以外の者は食わせてもらっている、いわばお荷物だ、というような感覚で口にする 人が多くなっているようにわたしには感じられる。

   

 
★ やる気がない、やりたくない、したくない

「やる気がないんなら、取るべき行動は二つしかない。やめてしまうか、でなければ、やる気をおこすようなモメントをみつけるかだ。仕方ないから、そとづら だけ合わせてヤル、というのは、人間としての行動を殺すことだ。… どうする?やめるか?」
─ ちくま学芸文庫『教師のためのからだとことば考』 より

「やりたくないんなら、やりたくないと、はっきり言え。そうしたらオレはあんたの言うことを尊重する。ただすねているだけなら、オレは認めない。まっすぐ 言ってみろ」。(中略)「じゃあ、やりたくない」。「じゃあ、じゃダメだ。はっきり選べ、やらないんならやらない、と」。(中略)「やりたくない」。「わ かった。じゃあ、自由にしてろ」
─ 岩波新書『からだ・演劇・教育』 より

「ここではしたくないことはしなくてもいいんですね」というやつが出てきた。そんなことはわたしは絶対に言わない。「やろう」と言う。「したくないことは しないと選ぶのはあなたであって、したくないことはしなくてもいいなんていういい加減な場ではない」というのがわたしの返事だった。その場に来た人には 「こういうレッスンをやってみないか」としか言わない。しかし「やらない」と言ったときには、だれもそのことについて何も言わない。見捨てるのでもなけれ ば、受け入れるのでもない。ただその人が選んだということだけだ。   
─ 藤原書店『「出会う」ということ』 より

 この最後の「そんなことはわたしは絶対に言わない」とか「したくないことはしなくてもいいなんていういい加減な場ではない」という言い方は、 少なくとも本に書かれている竹内さんの以前の言い方と矛盾するように見える。『「からだ」と「ことば」のレッスン』の最後、「むすびに代えて」の中の、 「場」について、というところで

─ 私のレッスンは(略)ひとつだけ、約束事のようなものが生まれた。それは「この場では、したくないことはしない」ということである。(略)私は、たとえば 研究所の半年間のレッスンの一ばん初めに、このことを言うようになった。─

と竹内さんは言っている。

しかし、よくことばを比べてみると、「したくないことはしなくてもいい」と、「したくないことはしない」は、違うのだ。
「しなくてもいい」というのは、誰かから許可を与えられていて、自分には責任がないという意味になる。対して「したくないことはしない」というのはあくま で自分の責任において“ 選ぶ ”ということばである。
その、「しない」とその人の責任において「選んだ」ことに対しては、「だれもそのことについて何も言わない。見捨てるのでもなければ、受け入れるのでもな い。ただその人が選んだということだけだ。」と、竹内さんは言っているのだ。
 「したくなくても、しなくてはいけない」「やりたくなくても、やらなくてはいけない」という押しつけはしないが、「したくない」「やりたくな い」と選んだのはあなたなのだから、選んだ自分に責任を持つこと、という、言われてみれば当り前のことを課している。ことばに敏感な竹内さ んならではとも言えるが、逆に、世間ではことばが安易に無自覚に使われ過ぎていることに気づかされる。
 『からだ・演劇・教育』で、「じゃあ、やりたくない」。「じゃあ、じゃダメだ。はっきり選べ、やらないんならやらない、と」。と、迫るのも、「じゃ あ、」ということばが、実は、『あなたがそう言うのなら』という逃げ口上であり、無意識に自分のことばの責任を放棄し、相手に押しつけてしまおうとしてい るのを感覚的に見抜いているからだろう。
 その向こうには「人に言われたから」とか「やらされている」という言い訳に慣れきったからだを許さず、自分で自分の行動を選ぶのが『人間であ る』し、『人間になる』ことだ、という、竹内さんの無言の信念があるような気がする。


 
 

★  人 と 人 と が 出 会う     ─ 竹内 敏晴 ─

「人と人とが出会うとはどういうことなのだろうかということを、私はここ数年考え続けています。立っている次元が違っていたら、人は絶対に出会うことはな い(中略)こういう意味での「次元」とは、心理学で言えば、どのような問題として把えるのか、教えていただきたいというのが私の願いなのです。」
─ 晶文社『子どものからだとことば』 (1983年)より

「立っている次元が違っていたら、人は絶対に出会うことはない」
レッスンの場でも、竹内さんはそう言い切っていた。

同じく晶文社の『思想する「からだ」』(2001年)でも、「重層」「出会う次元」として、表層中層下層そして深層ということばにふれながら、「これらの 次元の違いは、長いことわたしが考え続けて来たことの一つ(後略)」と、「次元と出会い」について言及している。

が、それから数年を経て書かれた著作では ─

「わたしは人と人とが出会う地平を確かめたいと考えたことからここまで歩いてきたわけだが、しかしわたしがある人に向かいあって、ある心理学的に定義され うる同じレベルに立つことができれば、「出会う」という共通の体験と理解が成立するのではないかと無意識に想定していたのではなかったか。
出会うとはそういうことではない。(中略)どのような地平にあろうがある瞬間、二人の間に火花が散って、あっと思ったときに世界が変わってしまうというこ とだ(後略)」
─ 藤原書店『「出会う」ということ』(2009年)より

  ここには何かをかなぐり捨てたような断定がある。この数年のうちに、竹内さんは何を見たのか
─ もはや、たしかめようがない。
わたしたち各々が、自分のからだで探って行くよりほかはない。
 


★  か ら だ こ と ば 考

竹内さんは意識的な行為と無意識のからだの動きの違いとして「手を出す」と「手が出る」や、「目を遣(や)る」と「目が行く」などのことばの違いをよく挙 げ、

─ このうちどちらが本源的かはあきらかで、私たちが生きることは呼吸から歩くまで無意識の行動に充ちている。感じるままにからだが動き出すことなくし て、人は率直にジカに他者とふれあい心を通じることはできない(後略)─

と、無意識のからだの動きの重要性を指摘し、さらに

─ だが現代社会は挙げてこれを抑え、意識が身体各部をコントロールすることのみを「教育」として青少年に押しつけている。「手が出る」からだ、が回復さ れ、両者の統合が図られない限り子どものからだは「荒れ」、「閉じ」、やがて「死ぬ」であろう。─
『子どものからだとことば』 より

と、警鐘を鳴らしている。

もともと日本語には自らのからだの感じ方や、周りの者から見たその人のからだの様子の描写による人間の表現がたくさんある。現在、その多くが、心理的な解 釈や譬喩(ひゆ)表現と思われてしまっているが、竹内さんが再三指摘しているように、からだとことばとこころは一つのものであり、からだことばは余すとこ ろなく、人間そのものを表している。

ある事件で逮捕されて有罪判決を受け、刑務所に収監され刑期を終えて出てきた方が、冤罪を訴え続けた結果、ようやく再審理が行われて、最終的に無罪になっ た時に「これで肩の荷が下りました。いや〜、本当に肩が軽くなったんですよ。」と、おっしゃっていた。
結婚式を終えた新婦や新郎の両親なども、時に同様のことばを述べていることがある。子どもを生み育て、ずうっと見守り背負ってきた責任から解放されたと感 じた時、からだも解放され、本当に肩が軽くなっているのだ。両者は同時に起こり、そこに時間差はない。

こうしたからだを精緻に感じとることばを、絶やしてはいけないと思う。びっくりした、驚いた、怒った、切なかった、などのことばばかりで済ませていると、 自らのからだを感じとる力そのものが衰えていってしまうのではないか。
腰を抜かした、目が飛び出た、腹が立った、胸が痛んだ、など、こころが動く時、からだも同時に動いているはずで、かつてはみんなが頻繁(ひんぱん)にそう いう言い方をしていたはずなのだ。もしかしたら、自分のからださえも客観的なモノとして見たり、扱おうとしたりする傾向が、からだことばの衰えを加速させ ているのかもしれない。

いくつかのからだことばと思われるものを挙げておくので、それぞれ、あらためてどういうからだの感覚なのか、何人かでお互いにからだで表現し合ったり、話 し合ったりし、たしかめ、感じ直してみてほしい。もっと他にもあれば、それも試してみてほしい。

《 頭 》 頭にくる 頭を抱える 頭を冷やす 頭(かぶり)を振る 

《 目 》 目がくらむ 目が回る 目に浮かぶ 目を見張る 目をむく 目を遣(や)る
目を奪われる 目が行く

《 鼻 》 鼻高々 鼻息が荒い 鼻につく 鼻の穴をふくらます 鼻の下が延(の)びる

《 口 》 口が重い 口が軽い 口が堅い 口が過ぎる 口が滑る 口籠もる
口を出す 口走る 口をつぐむ 口を濁す 口を割る 開いた口が塞がらない 

《 歯 》 歯が立たない 歯噛みする 歯痒い 歯軋り 歯止めがきかない 歯向かう 歯を食いしばる 歯をむく

《 顎 》  顎が出る  顎で使う

《 耳 》 聞き耳立てる 聞く耳持たぬ 耳が痛い 耳に入らない 耳を蔽(おお)う 耳を貸す 耳を傾ける 耳を澄ます 耳をそばだてる 耳を塞ぐ

《 首 》  首が回らない  首ったけ  首を傾げる  首を突っ込む  首を長くして待つ

《 肩 》  肩書き  肩代わり  肩で息をする  肩で風を切る  肩の荷が下りる  肩肘張る  肩身が狭い  肩を落とす  肩をそびやかす  肩を持つ

《 腕 》 腕が鳴る  腕試し  腕を上げる  腕を奮う  腕ずく  腕組み

《 胸 》胸が騒ぐ  胸糞が悪い  胸が一杯になる  胸が熱くなる  胸が痛む  胸がうずく  胸が踊る  胸が(張り)裂ける  胸を衝(つ)かれる 胸が高鳴る 胸がつかえる  胸が詰まる  胸がはやる  胸が晴れる  胸をふくらます  胸が塞ぐ  胸がむかつく  胸が悪くなる  胸にあふれる  胸に落ちる  胸にこたえる  胸の思い  胸の内  胸を撫で下ろす  胸を張る  胸を開く  胸を満たす  胸に響く  胸に届く  胸に沁みる

《 背 》  背負う 背負いこむ   背筋を伸ばす  背を向ける

《 足 》 足が地に着かない  浮き足立つ  二の足を踏む  抜き足 差し足 忍び足
揚げ足をとる  足を引っぱる 逃げ足 足掻(あが)く

《 腰 》 及び腰  けんか腰  腰が重い(軽い)  腰抜け  腰が低い  腰が弱い  腰高
腰つき  腰砕け  腰を入れる  腰を据える  腰掛け  腰を伸ばす(休む・休憩する)
逃げ腰  二枚腰  粘り腰  へっぴり腰  本腰を入れる  物腰
 
《 腹・肚 》 裏腹  片腹痛い  業腹  腹いせ  腹が決まる(を決める)  腹が腐る
腹が座る  腹が立つ  腹ができている  腹が無い  肚が据わる  肚を据える  腹黒い  腹立たしい  腹に収める  腹の虫が収まらぬ  腹を合わす  腹を抱えて笑う  腹を割る腹を決める  腹を読む

《 腸(はらわた) 》 腸が腐る  腸がちぎれる  腸が煮えくり返る  腸が捩じれる  腸が見え透く

《 肝(きも) 》 肝を冷やす  肝が座る  肝を潰す  度肝(どぎも)を抜かれる  肝が太い  肝に銘じる

《 腑 》  腑に落ちる(落ちない) 腑抜け

《 骨 》 骨身に沁みる 骨を折る

《 身 》 受け身  捨て身  半身  肩身  変わり身  細身  骨身   身が入る(身を入れる)  身勝手  身構える  身構え  身が持てない(持たない) 身代わり 身のこなし  身にしむ身にこたえる   身に着く(着かない)  身につまされる  身の毛がよだつ  身の丈
身の程知らず  身震い  身悶え  身を切られる  身を削る  身を焦がす  身を粉にする

《 息 》息が合う  息が上がる  息が荒い  息が通う  息が切れる  息が詰まる  息遣い息が弾む  息苦しい  息せき切る   息抜き   息を抜く 息を呑む  息をつく
ため息をつく  一息入れる  一息つく  一息にやる  息を潜(ひそ)める  息を殺す

《 声 》声が上擦る  声が枯れる  声が曇る  声が凍る  声が湿る  声が抜ける
声を張る 声が弾む  声が震える  声が割れる  声も出ない  声を立てる  声を聴く    声を潜(ひそ)める  声を震わす

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★    挙げてみて気づいたのが、「顔」と「面(めん)」の違いである。「顔」は「素顔を見せる」というように、気持がそのまま露(あら)わになるからだことば (だから露(あら)わにしたくないときは「顔を隠す」)だが、「面」はあきらかに素顔の上に何か一枚乗っている何か公式の顔、といったものを感じさせ、ほ とんど外から見たからだのことばだ。だが、「面(めん)」も、読み方が「面(つら)」や「面(おも)」になってくると、「顔」に近い感じがしてくる。「顔 面」ということばもあるが、わたしたちは時によって「顔面」から、「顔」と「面」を使い分け、その「面」にもいくつかの種類があるということなのであろう か。

《 顔 》 甘い顔をする いい顔をする いやな顔をする 顔色が変わる 顔色を失う  顔色をうかがう 顔色を見る 顔から火が出る 顔に出る 顔を隠す 顔をそむける

《 面(おもて) 》 矢面に立つ

《 面(めん) 》臆面(おくめん) 赤面  対面 初対面 体面  直面  面子 得意満面 面識
面倒(臭い・になる・を起こす・を見る) 両面 面と向かう 面談
面目(が立たない・次第もない・無い・丸潰れ・を失う)

《 面(つら) 》上っ面(つら) 外面(そとづら) 面構(つらがま)え 面の皮 面汚(つらよご)し どの面(つら)提(さ)げて  仏頂面(ぶっちょうづら)  脹(ふく)れっ面

《 面(おも) 》  面映(おもは)ゆい 面影



   


★  対 話 に 向 か う こ と ば

─ はじめに … 物語と悲劇 のあらすじ ─
宮澤 賢治 作『鹿(しし)踊りのはじまり』
「そのとき西のぎらぎらのちぢれた雲のあいだから、夕陽は赤くななめに苔の野原に注ぎ、すすきはみんな白い火のようにゆれて光りました。わたくしが疲れて そこに睡(ねむ)りますと、ざあざあ吹いていた風が、だんだん人のことばにきこえ、やがてそれは、いま北上の山の方や、野原に行われていた鹿踊りの、ほん とうの精神を語りました。」
湯治のために温泉に出向いた百姓の嘉十は、その途上、持参した団子を食べ始めたが、なんだかお腹がいっぱいで、「こいづば鹿さ呉でやべか。それ、鹿、来て 喰。」と団子を残し立ち去った。が、手拭いを忘れたことに気づいて元のところへ戻ってみると、五六疋(ごろっぴき)の鹿が、団子を食べたいが、そばにある 見慣れない手拭いを警戒し、遠巻きに囲んでいた。
そのとき嘉十に耳鳴りがして、鹿たちのことばが聞こえてくる。鹿たちは話し合いながら、手拭いに近づいたり離れたり、ちょっと触ってみたりして、最後には 払いのけ、嘉十の残した団子にありつく。喜びに沸き、歌いながら輪になって踊る鹿たちを見ている内に、自分と鹿との違いを忘れた嘉十が「ホウ、やれ、やれ い。」と言いながら飛び出すと、驚いた鹿たちはあっという間に逃げ去ってしまう。すすき野原に一人残された嘉十は苦笑いをし、立ち去る。

ジョン・ミリントン・シング(アイルランドの劇作家)作 『海へ騎(の)りゆく人々』
絶海の孤島のある田舎家。牧師が持ってきてくれた北の方で溺れ死んだ男からはがした靴下が、海に出たまま還(かえ)らない兄のものかどうかと、娘が二人、 休んでいる母に悟られないようにとひそひそと話し合っている。その家ではすでに祖父、父、四人の息子が海で亡くなっている。五人目の息子の生死が不明のま ま、最後の息子が母の止めるのも聞かず、海を渡り馬市に行くために馬に乗って出かけて行く。母はその後、出かけた井戸の近くで、五人目の息子の幻を目撃 し、出かけてしまった最後の息子も死んでしまったに違いないと娘たちに告げる。母の予感通り、馬に海へ蹴落とされて亡くなった最後の息子が家へ運ばれてく る。母はもう、いくら海が荒れようが、夜通し起きて泣きながら(男たちの無事を)祈る必要も無くなったとつぶやき、女たちの「泣き唄」が聞こえる中、「誰 だっていつまでも生きてく人なんて、ありゃしねえだし、おらたちみんな、そんでも生きて行かにゃなんねえだ。」と言い残す。
アイルランドの北西ゴールウェイ湾に浮かぶ、美しいが厳しい自然に囲まれたアラン諸島が舞台と思われる戯曲。

※   以下で取り上げる舞台公演で、上記の二つの話のすべての場面が演じられたわけではありません。さまざまな切り取り 方や、役のアレンジなどが行われた、ある意味まったくオリジナルな舞台であり、ただ下敷きとなった話のあらすじを、あらかじめ参考として提示しただけです ので、誤解なきようご注意ください。
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  1996年8月31日、北沢タウンホールにて行われた〈 からだ ’96 〉の公演
『 芽がでてふくらんで 』─ 構成・演出  竹内 敏晴 / 二部構成・昼夜二回公演 ─
(上記の宮澤賢治とシングの話、その他を題材に竹内氏によって独自に構成・演出されたもの)を見た時、それまでまったく知らなかったことばの新たな姿に出 くわし、「ことば」や「話す」ということの奥深さについて、あらためて考えるきっかけとなった。未整理ながら、その時のこと、その後考えたことを、ここに 書き留めておきたい。

構成・演出の竹内氏がことばについて語った著書に次のような部分がある。

云いたいことを云うんだ  どなりたいことをどなるんだ
ペットもサックスも俺の友だち俺の言葉が俺の楽器(中略)
黙っているのは竜安寺の石庭  叫ぶのは俺だ
俺はのどだ  舌だ  歯だ  唇だのどちんこだ  声なんだ(後略)
 谷川俊太郎「スキャットまで」

─ 話しことばとしてこれを発声してみるとき、「云いたいことを云うんだ」という叫びは、まず相手あるいは聴衆に向かって話しかける働きとなる。いわば、こえ で相手を「つかみ」こちらを向かせ、その内的イメージと感情を変え、衝動を喚起しようとする。(中略)こうして話しかけというからだの動き=行動が実現し てゆく時、(中略)こえは空間に劈かれてゆく。語るものと語りかけられるものは、働きかけるものと働きかけられるものとして、両者を距(へだ)てる空間は 消え、一つのこえの内に同化し共生する。からだとしてのことばが実現 されるのだ。─ 『からだが語ることば』評論社より

 公演の一部で取り上げられていた『鹿踊りのはじまり』の中で鹿たちを隠れて見ている子どもたち(原作では百姓一人)を演じた二人の女性のこと ば
「まっ白だぁ」「すすき、燃えてるみてえだな」が、まさしくこのように私に響いてきた。
 ほんの短いひと言、ふた言の台詞だったのだが、ことばによって観客のからだに働きかけ、というより彼女たちのことば=からだが空間に拡がり、 一瞬の内に私を一つの世界に投げこんだ。さらに言えばその時、観客と演技者、見る者と見られる者という境はなくなり、一つの空間を一緒になって生き、向か い合っているからだがまるで位置を入れ換えたように彼女たちの見ている世界がこちらからも見えたのだった。
  ことばが本当に届いてくるとき、眠っていたからだが揺り起こされ、人と人の距離が消えるような瞬く間の幸福な時間が訪れる。舞台の上からこうも見事に話し かけられたのは初めてで、なんとも言いようのない、素晴らしい瞬間だった。
 私は彼女らから竹内氏のいう「からだとしてのことば」による働きかけを受けたように感じた。話しかけられたことばが届くとき、からだとこえと ことばは一つのものとしてこちらのからだに働きかけている。話しかけ手のからだそのものが届いてきているというわけだ。

 けれども公演の二部、『海へ騎りゆく人々』での別のある女性(三人の違う人が場面ごとに入れ替わり演じていた母親役のうちの一人)のことば は、先の『鹿踊りのはじまり』の女性たちのことばとはまったく違うものだった。
 彼女が台詞を話し始めたとき、そこに現れたことばそのものが私を捉えて離さなかった。しわがれた、呻くような、ときにつぶやくような声なのだ が、声量が変化し、いかに小さな声になろうとも、会場の一番後ろの席にいた私の耳にはっきりとことばがやってくる。それはただ音として届くのではなく、か といって話しかけられているのでもない。そのようなからだと未分化な音や声というものではなく、まさしく《ことば》としかいいようがないもの、《ことば》 そのもの、それ自体がそこに立ち続けていた。ことばはそれを発している演技者からも私からも独立してただそれ自身として舞台にあった。
  これがことばなのか、ことばとはこういうものなのか。ことばはもはや一つの〈もの〉と化して、私の見知らぬ姿でそこに存在していた。
「ことばがからだの外にある」思わず知らず心の中でつぶやいていた。

  私は先に挙げた竹内氏の同じ著書の中で、谷川俊太郎の詩との比較で書かれている以前からよくわからなかった以下の部分を思い出していた。

花であることでしか
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま
おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である(後略)
石原吉郎「花であること」

─ かれの詩の(中略)つねに主体としてのからだの動きが、肉感的なまでに私を打つ。だが、この「動き」は「おしかぶさる重みを」その「かたちのまま」「おし かえす」動きである。内には激しく力が張りつめ拮抗しているが、外にはついに微動だにせぬ「動き」である。むしろそれは一つの姿勢である。からだの動きを 拒絶したからだである。前にあげた谷川の詩を、「からだとしての ことば」を指向するものとすれば、石原のそれは「からだの拒絶としてのことば」だと言えようか。─

  竹内氏はこれを谷川の詩で試みたように、話しことばとして発声してみるには、と述べた後、次のように結んでいる。

─ ここでは、こえ=ことばは、それ自体自立し、からだの動きを吸収する。たとえば舞台でこれを見、これを聞くとすれば、語る肉体のなまなましい存在感は消 え、ただ、こえ=ことばばかりがそこに屹立しているのを見るだろう。こえ=ことばのみが生き動き、聞くものに働きかけて来るのだ。─

  私が遭遇したのは竹内氏のこの予言だったのだろうか。未だにしかとは言えないが、
竹内氏が谷川と石原の詩を対比させ、そのことばの違いを見たように、この公演の一部と二部、それぞれの舞台で演技者に求められることばの違いを、宮澤とシ ングの世界の対比から見ることができるのではないかと、後日私は思った。

 宮澤の『鹿踊りのはじまり』は、野原、川、山、動物、人が一体となって作り出している世界だ。舞台は語り手(ナレーター)、子どもたち、鹿た ちで構成されていたが、各々が語りと動きとことばによって、観客を物語の世界へ誘う。演技者の働きかけが届いてくるとき、観客は百姓や子ども、鹿、あるい は夕陽や風、すすき野原になって、先の竹内氏の言うように「一つのこえ(=物語)の内に同化し共生する」。演技者のことばは「からだとしてのことば」にな る。
 シングの『海へ騎りゆく人々』には筋らしい筋などなく、これはあきらかに物語ではない。また、主人公が何らかの障害にぶつかって、それを乗り 越えたり破滅したりするというようなドラマでもない。ひと言で言えば、みんな死んでしまった、ということで足りるだろう。では、この戯曲のことばを成り立 たせるためには、何が必要とされるのか。
先ほど引いた竹内氏の文章の一部を再びくり返す。

─ かれ(石原)の詩の(中略)つねに主体としてのからだの動きが、肉感的なまでに私を打つ。だが、この「動き」は「おしかぶさる重みを」その「かたちのま ま」「おしかえす」動きである。内には激しく力が張りつめ拮抗しているが、外にはついに微動だにせぬ「動き」である。むしろそれは一つの姿勢である。から だの動きを拒絶したからだである。─

 宮澤の世界で人は主体としてのからだを保持しない。鹿のことばを聞き、鹿の歌、鹿の踊りに聞き惚れ、見惚れているうちに、そのからだの動きが 自分にも移ってきて、人は人と動物の境を失くして飛び出して行く。山や野原や風に同化し共生する。ことばはそうしたからだとからだの働きかけ合いの交錯す る中から、その動きの一部として生まれてくる。

 シングの世界では人はつねに「人間」としてそこにおり、彼らは彼らを取り囲む海と同化も共生もしない。石原の詩にならって言えば、むしろそう した自然から「おしかぶさる重みを」その「かたちのまま」「おしかえす」。人はあくまで人間として他の人間とも自然とも対立、対峙し続けているのだ。
  ことばを発するにはまず、「そのとき人間であること」が「もはや一つの宣言である」ような「一つの姿勢」、からだの動きを拒絶したからだがそこになければ ならないだろう。

 公演の二部で見た母親役の女性のからだはしっかりとした一つの姿勢を保持する方向にあったと思う。一部の物語でわたしが称賛した見事なことばを交わして いた二人の女性も二部に娘役で出演していたのだが、そのかなりの声量にも関わらず、何を話しているのか、私にはまったく伝わってこなかった。彼女たちは 『鹿踊りのはじまり』と同じ「からだとしてのことば」、からだの動きをもってして話そうとしてしまい、そのためにことばが成り立たなかったのではないかと 私には思われた。
 気がついてみると、何も彼女たちだけでなく、母親役を除く他の多くの演技者のことばが、ことば自身によって語られるのではなく、何か内的なリアリティと いったようなものに支えられて出てきているように見えてきた。

 自分自身の衝動や実感が、叫びやため息などと同じ「からだとしてのことば」として話される。それは物語の世界ではある感染力を持ち、コミュニケーション を媒介する大きな力を持つのかもしれない。しかし、それは同化と共生に向かうものであって、語りかけられた者が、語った者に対して応えることを前提としな い、いわば〈対話〉=ダイアローグのない、〈独話〉=モノローグの世界ではないだろうか。
 ただし、〈独話〉=モノローグと言っても、この場合、完全ないわゆる〈独り言〉を指しているのではない。そこには対象に向かう気持もあるし、相手に話し かけてもいる。しかし、基本的に一人一人が物語を〈カタッテ〉いるのであり、その〈カタリ〉の中にいかに相手を取り込むか、包み込むか、ということばだ。 舞台上の人物同士でも、観客との間にも、互いのことば=〈モノローグ〉に互いに入り込んでいってコミュニケーションを成り立たせようとしている。

 けれどもこの『海へ騎りゆく人々』という戯曲では、まず演技者がことばにどう向き合うのかが問われる。そこで現れてくる〈自己〉と〈他者〉がどう〈対 話〉をするかによって舞台が成り立っていくのだ。ここでは対話者同士、観客との間においてさえ、コミュニケーションが第一義ではない。〈対話〉によって くっきりとした断絶が浮かび上がってくる、ということもありうるのだ。
 この場合、まず自分自身と向き合ってことばの内的リアリティを探るというような自己対話はすでに〈独話〉=モノローグに落ちこんでしまってい て、用をなさない。演技者がまず向き合わなければならないのは、自分の外にあることばである。内語化されたことばをいくら音声にしてみたところで、それは 〈対話〉には届かない。なぜなら語り手と聞き手が同じ自己であることばには、他者がいないからだ。ことば自体がまず異物、他者でなければならない。そのこ とばにふれるとき、初めて〈対話〉に耐えうる自己もまた現れる。

 この戯曲では、人と人とが親子であろうと兄弟であろうと支えあう「人」ではなく、「人間」として「間」をあけて向き合い、対峙している。そしてさらにそ の一人一人がもっと大きなもの、遥かなものと向き合って立っている。からだの動きを拒絶したからだがそこにある。そのからだはことばに対しても自らの内に 取り込むことなく向き合い、ことばの上に、他者に向かって不断に自己を劈いてゆく。
 そして戯曲に書かれていた「からだの拒絶としてのことば」が、演技者によって再び声とことばとして〈独話〉ではなく〈対話〉として舞台で語られるとき、 そのことばは観客にも語りかえすことを求めるだろう。〈対話〉とはそれを行う者自身の開示によって、それを聞くものにも自己への閉じこもりを許さないもの であるはずだ。

「からだとしてのことば」がなければ、人は世界と交わることができない。人を受け入れることもできない。つまり『人間である』ことができない。しかし、そ のことばによってもたらされる同化と共生にいつまでも安住しているわけにはいかない。宮澤の世界の中でさえ、嘉十はすすき野原に一人取り残され、苦笑いを して立ち去ることになる。
『人間である』ことを経て、人は一人である、ということをほんとうに身に引き受け、人間として独り立つ、つまり『人間になる』ためには、からだの動きを拒 絶したからだに耐え、そうして向き合える「からだの拒絶としてのことば」を通り、真の他者に向かって自己を開示し続ける「対話に向かうことば」を見つけて 行くことが、求められるもののひとつなのではないだろうか。


《 お断り》以上は、公演を見たわたしのただの覚え書き、いわば感想文のようなものですので、さまざまなことばの使い方や定義等が間違っている部分があるかも しれませんが、何かの論文でもなく、学説でもありませんので、どうかご容赦ください。


付記:「対話に向かうことば」への手がかり

《 お断り 》にて言い訳をしておいて、その舌の根も乾かぬうちに、またもや不確かなことを書くのもどうかとは思いますが、いくつか。

『思想する「からだ」』〜 定義への試み  3 離陸することば 〜 で、竹内さんは

─ 私は随分以前に「からだとしてのことばとからだの拒絶としてのことば」と題する、
一つの予感の粗描を文にしたことがある。─

  と、書き出し

─ じかな働きかけから離れ、状況から「離陸」し、普遍性へとことばは「自立」してゆく。
「からだを拒絶する」ということはこの一(いち)プロセスとして考えることができる。─

  と、述べている部分がある。
その後のつながりを読むと、「からだを拒絶する」あるいは「からだの拒絶としてのことば」は、「からだとしてのことば」から離れ、それを否定・圧殺するも ののように定義しようとしているように思える。しかし、同じ本の中の「からだと ことば 〜 六 呼びかけることば」に書かれている、

─ 表層の言語によって言語自身を越え、からだとのかかわりの下層次元へひき返し、そこへ呼びかける「ことば」がありうるだろう。言わばからだとことばの「上 層」が。─

 という部分が、わたしには「からだの拒絶としてのことば」を通った「対話に向かうことば」なのではないかと予感される。あくまで感覚的なもの に過ぎないのだが。

  また、上記の次の文章で竹内さんは、キリスト教徒でなくとも耳にした人が多いだろう、イエスの有名なことばについて書いている。

─ (前略)姦通の現場から女を引き立てて来た人々は、律法通り石で打ち殺していいだろうな、とイエスに確かめる。(略)
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」
 イエスは「まず」という一言で、いきり立った群れに埋没していたひとりひとりを呼び覚(さ)ました。(略)群れの行為に混じっているもの、は 一挙に行為の主体としてそこに立たされた自分を発見する。匿名性に逃げこむことはもはや不可能だ。(略)言語以前の世界か、言語を超えた次元でか、人は行 動をただひとり選ばなくてはならない。(略)血相を変えて石をふりかざす人々に、一言を発することは、たちまちかれ自身が叩きつけられる石の雨で血にまみ れるだろうことを意味した。イエスは人間としてのからだの、死を賭けて振り向く。(略)これが、人間として、人間を呼び出す行為だった。(後略)─

 死を賭けて振り向いたイエスのからだは、身じろぎもしない、文字通りからだの動きを拒絶したからだであったであろう。人々に向かって放たれた そのことばは、同化と共生を促すからだとしてのことばではない。からだの外にあり、それのみで屹立し、人々の中にいるひとりの人間 ─ 人間の独り ─を呼び覚まし問いかける、からだを拒絶したことばであったはずだ。
人々は神の威光に従ったのではない。律法を楯にした群れの正義に閉じこもり、女を断罪しようとしていた己の前に、一人の「他者」として立ちはだかったイエ スの、対話に向かうことばそのものにさらされたとき、そのからだは己を劈かざるを得なかった。群れが消え、独りの場に立たされた人々は、イエスのことばと の無言の対話を抱え、立ち去って行ったのだろう。そうわたしは想像する。


   


★ 体 験 と 経 験

「体験」と「経験」という事柄を、竹内さんのことばと、竹内さんもよく引用する哲学者、森 有正(もり・ありまさ) 氏の著作『生きることと考えること』を元に考えてみたい。

─(前略)わたしはレッスンをとにかく体験してもらうこと、気づいてもらうこと、そこから先は自分で歩いていってほしい、という立場をずっと守り続けてき た。
  わたしの考えでは ─体験とは一つのモノ、オブジェのようなものだ。あるとき、それに意識の光があたると、ある方向からの形や文様がくっきりと現れ、そうかこんなに美しく、 充実した姿をしているのか、と思う。ところが、しばらく経つと、この前と別の方から光があたるときがくる。と、思いもかけない姿が現れる。体験してはいた のだが、意識に上がってきていなかったことが浮かび上がってきたのだ。しばらく経つとまた別の「気づき」が浮かび上がる。やがて巨きな全体像がおぼろに見 えてくる。言いかえれば、体験が成長して「経験」になる。(略)ところが、そうはいかないことも多いのだ(略)
  ある体験 ─ いわば一つの形が印象に強く刻まれると、これがあれの全てなのだ!と思いこんでしまう ─。体験は、一つの表徴(ひょうちょう)に収斂(しゅうれん)され固定化してしまう。それは体験ではない。一つの解釈だけが意識を占領してしまったわけ だ。ひとごとではない。わたしたちにいつでも起こりうることだ。
  では、どうすればいいだろう?
 一つの気づきがあったとき、自分の出発点としてのまぎれなきリアリティを見定めるとともに、それは今ここでのこと、であり、成長の一ステップ であることをも感じておくこと、感じたまま、体験したままにしておかずに、ことばにしてみること、吟味へと自分を開いておくこと。これを仮に自覚と呼んで おこうか。(後略)─
『竹内レッスン ―ライブ・アット大阪』 より

  竹内さんは、『 体験が成長して「経験」になる』と言い、印象に強く刻まれ、固定化して一つの解釈だけが意識を占領しまったものは体験ではない、と言う。
  一方、森さんは「この経験と体験との区別は、まったく私の用語法です」と断りながら、
「 体験とは経験の過去化 」だと言う。(以下、『生きることと 考えること』より)

─人間はだれも「経験」をはなれては存在しない。人間はすべて、「経験を持っている」わけですが、ある人にとって、その経験の中にある一部分が、特に貴重 なものとして固定し、その後の、その人のすべての行動を支配するようになってくる、すなわち経験の中にあるものが過去的なものになったままで、現在に働き かけてくる。そのようなとき、私は体験というのです。─
─たとえば、戦争に行ったことが、ある一つの記憶になって残り、何度も何度も繰り返して同じことをしゃべる人のばあい、それは戦争経験ではなくて、私は戦 争体験だと思うのです。あるいは、老人が昔のことばかりしゃべる。それはその人の経験全体が過去化してしまって、そのままの形で絶えず繰り返されていく。 これもやはり、経験ではなくて体験、と私はよぶわけです。─

  つまり、人は誰でも何らかの経験をしながら生きているが、その経験が過去に固定化してしまっているもの ─ 竹内さんが「それは体験ではない」と言うもの ─ を、森さんは「体験」と呼ぶ。
竹内さんは「体験」とは、それに時間の経過とともにさまざまな方向から光が当たることによって、今まで知らなかった姿が浮かび上がってきて、巨きな全体像 がおぼろに見えてくる。それを言いかえれば、体験が成長して「経験」になる、という言い方をしていた。が、森さんは、「経験」ということばにより深い意味 をこめて使われているようだ。

─ (前略)けれども、ほんとうの経験というのはそうではない。(略)絶えず、そこに新しい出来事が起こり、それを絶えず虚心坦懐(きょしんたんかい)に認め て、自分の中にその成果が蓄積されていく。そこに「経験」というものがあるので、経験というのは、あくまで未来へ向かって開かれる。すべてが未来、あるい は将来へ向かって開かれていく。
というのは、つまりまったく新しいものを絶えず受け入れる用意ができているということです。それが経験ということのほんとうの深い意味だと思うのです。─

  たんに「体験」と「経験」ということばの使い方の違いで、言っていることはそう変わらないとも思えるが、「体験」に対して、「やがて巨きな全体像がおぼろ に見えてくる」という竹内さんの言い方には、やはりどこか「体験」を固定化してしまう危うさが残されているようにわたしには感じられる。
  『 体験が成長して「経験」になる』としても、森さんの言うように、それはつねに未来に向かって開かれ、新しいものを絶えず受け入れる用意ができているもので なければ、
「やがて巨きな全体像がおぼろに見えて」きたと思った次の瞬間に、それが新たな「体験(森さんが言う固定化したもの)」に堕するおそれがある、と言った ら、揚げ足の取り過ぎだろうか。

竹内さんは、体験の固定化(竹内さんはそれはもはや体験ではない、という言い方をしているが)を避けるためには、「一つの気づきがあったとき(中略)感じ たまま、体験したままにしておかずに、ことばにしてみること、吟味へと自分を開いておくこと。これを仮に自覚と呼んでおこうか。」と、述べている。
その“ 自覚 ” を促すのは、森さんが示す、
『生きることと 考えること』への、各自の向かい方なのではないかと思う。

─ われわれは絶えず「体験」を「経験」に転化させるように努力しなくてはいけない。
というのも、どんな「経験」も「体験」になる傾向を持っており、また、どんな
「体験」でも「経験」に向かって開くようにすることができるからです。─



    


─ さ い ご に ─

 たどたどしい手記から始まり、根拠の乏しい不確かなことを色々と書き綴ってしまったような気がしますが、学識もなく、思考訓練も乏しい者が、それでもこ れまで自分が感じ考えたことの精一杯を吐露したものとして、どうか寛大に見てください。

 今年(2015年)は戦後70年とかで、さかんに『戦争体験を語りつがなければ』というようなことばが流れてきています。しかし、たんなる「体験」は、 必ず風化する。恐れられているように、それを語る人がいなくなれば、次第に忘れ去られて行くでしょう。
しかし「経験」として深められたものは、必ず誰かが次に伝えて行く。固定化した「体験」は、それがどれほど凄まじいものであっても、すぐさま古く なり、形骸化していってしまいますが、「経験」は人から人へ伝えられて行く間にも、なぜ、どうして、そこに何があるのか、と考えられ、掘り下げられ、深め られていくことによって、つねに新しいからです。ですから、大切なのは“ 体験談”を残すことではなくて、過去化・固定化してしまっている「体験」を、いかに「経験」へと開いて行けるか、ということではないでしょうか。
わたしがこのような文章を書き綴ったのも、微力ながら、竹内さんや竹内レッスンを「体験」に終わらせずに、「経験」として伝えていければとの想いからで す。しかし、力不足で、それこそたんなる“ 体験談”に終わっている面も多々あるかもしれません。それでも、未来に向かって、何かを開こうとする姿勢だけは持ち続けて書いたつもりです。

現代社会批判めいたことも調子に乗って書きつらねてしまいましたが、わたし自身は、冷暖房の恩恵を受け、人ごみを嫌い携帯音楽プレーヤーで耳を塞いで自分 に閉じこもり、時にはテレビゲームで無為な時間を過ごすこともある、市井のただの一凡人にすぎません。
それでも、凡人は凡人なりに「人間である」こと、「人間になる」こととは何か、という竹内さんが残した
一つの「経験」と言えるであろう問いに向き合いながら、残りの人生を生きて行きたいと思います。


   


竹内 敏晴  著作一覧

劇へ ─ からだのバイエル』 青雲書房 1975年7月(昭和50年)
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ことばが劈かれるとき思想の科学社 1975年8月(昭和50年)
『 ことばが劈かれるとき 』 ちくま文庫 1988年(昭和63年)
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話すということ(ドラマ) ─朗読源論への試み ─ 国土社〔教授学叢書9〕 1981年(昭和56年)
________________________________________
からだが語ることば α+教師のための身ぶりとことば学 評論社〔評論社の教育選書16〕 1982年(昭和57年)
『教師のためのからだとことば考』 ちくま学芸文庫1999年(平成11年)
________________________________________
『 子どものからだとことば 』 晶文社1983年(昭和58年)9月
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ドラマとしての授業 評論社〔評論社の教育選書18〕1983年(昭和58年)12月
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時満ちくれば  愛へと至らんとする15の歩み 筑摩書房 1988年(昭和63年)
ことばとからだの戦後史 ちくま学芸文庫 1997年(平成9年)
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『 からだ・演劇・教育 』 岩波新書 1989年(平成元年)
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『 「からだ」と「ことば」のレッスン 』 講談社現代新書1990年(平成2年)
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愛の侵略 マザー・テレサとシスターたち 筑摩書房 1993年(平成5年)
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老いのイニシエーション 岩波書店 1995年(平成7年)
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日本語のレッスン 講談社現代新書 1998年(平成10年)
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『 癒える力 』 晶文社 1999年(平成11年)6月
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『 ドラマの中の人間 』 晶文社 1999年(平成11年)10月
動くことば 動かすことば ─ドラマ による対話のレッスン ちくま学芸文庫 2005年
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『 思想する「からだ」 』 晶文社 2001年(平成13年)
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『 待つしかない、か。 二十一世紀身体と哲学 』共著者 木田元  春風社 2003年(平成15年)
『〔新版〕待つしかない、か。 身体と哲学をめぐって 』 春風社 2014年(平成26年)
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『 からだ = 魂のドラマ 「生きる力」がめざめるために』 藤原書店 2003年(平成15年)
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『 竹内レッスン ─ ライブ・アット大阪 』 春風社 2006年(平成18年)
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『 声が生まれる  聞く力・話す力』 中公新書 2007年(平成19年)1月
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『 生きることのレッスン …内発するからだ、目覚めるいのち…』
トランスビュー 2007年(平成19年)6月
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『 「出会う」ということ 』 藤原書店 2009年(平成21年)
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『 竹内敏晴語り下ろし自伝 レッスンする人 』 藤原書店 2010年(平成22年)
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『 セレクション 竹内敏晴の「からだと思想」全4巻 』
 藤原書店 2013〜14年(平成25〜26年)
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  そ の 他

子どもが生きる ことばが生きる 詩の授業 国土社〔国土社の教育選書18〕
1988年(昭和63年)
谷川俊太郎 , 竹内敏晴 , 稲垣忠彦 , 国語教育を学ぶ会

「にほんご」の授業  』 国土社 〔国土社の教育選書21〕
1989年6月10日(平成元年)
谷川俊太郎 , 稲垣忠彦 , 竹内敏晴 , 佐藤 学 , 国語教育を学ぶ会

 

 
参 考 図 書

林 竹二 (はやし たけじ)
問いつづけて ─教育とは何だろうか 径(こみち)書房 1981年(昭和56年)
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決定版 教育の根底にあるもの 』 径(こみち)書房 1991年(平成3年)
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教育亡国筑摩書房1983年(昭和58年), ちくま学芸文庫 1995年(平成7年)

石原 吉郎 (いしはら よしろう)
望郷と海筑摩書房1972年(昭和47年)
『 望郷と海 』みすず書房 2012年(平成24年)
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『 シベリア抑留とは何だったのか  ―詩人・石原吉郎のみちのり―  』 畑谷史代 著
岩波ジュニア新書  2009年(平成21年)

森 有正 (もり ありまさ)
『 生きることと 考えること 』  講談社現代新書 1970年(昭和45年)

★ 年代・年号表記は第一刷(初版)発行。同年発行のものについてだけ、月まで記した。
表題等が変更されていても、同内容、またはほぼ同じ内容のものは、発行年を無視して並列表記した。その際、「=」は、あとがきや目次などを除いた本文が同 じもの。「≒」は、以前発行されていた同内容の本から、本文の一部が削除・省略、または加筆・訂正されているもの。赤色表記は、出版社長期品切れ、または 廃刊のもの。( 2015年4月現在 )


 
 

竹内 敏晴  著作内容紹介
 ★ 赤色表記は出版社長期品切れまたは廃刊 ( 2015年4月現在 )

劇へ ─ からだのバイエル 青雲書房
─(前略)他者との触れ合いを失い、ことばは通ぜず、信じず、むしろそれらを拒み自閉してゆく傾向は、現代社会でますます多く生産されてくるといわざるを えない。(略)
日常の自分がいつのまにか作り上げていた「自我」というか、「性格」というか、その厚い壁が破られねば演技は生き生きとすることはない。逆にその〈日常の 自我の厚い壁〉を攻撃し、破るためにこそ演技のレッスンは人間としての意味をもつといえるでしょう。(略)一種の通過儀礼として私は演技のレッスンと上演 を扱いたい。 ─

★演技レッスンの本として非常に具体的で、レッスン一つ一つもその合間の講義の文章も曖昧さがなく、上記の宣言のような文章にあるように、すでに竹内さん の姿勢は明確だ。アマチュアでもプロでも、演劇を志す人は目を通しておくべきものだろう。上演を目的としない人でも、自分を見つめ直し突破して行くため に、数々のレッスンを試みる良いテキストとなるだろう。1975年発刊の本だが、書かれている「現代社会」の様相に今もまったく変わりがないように思うの はわたしだけだろうか。

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ことばが劈かれるとき思想の科学社 = 『 ことばが劈かれるとき 』ちくま文庫
★ 竹内さんの出発点の一つになった自伝的名著。必読書である。
生い立ちから、戦争経験、魯迅との出会い、演出家修行、演技レッスンへの傾倒まで、率直に綴られている。思索の変遷など、難しく感じる部分もあるかとは思 うが、とにかく読んでもらいたい。
魯迅との出会い … 竹内好(たけうち・よしみ)の講演を聞いた後の帰り道、道端で遊ぶ子どもたちを見て、その後の生き方を決心することばは壮絶だが、一つの“光景 ”として美しく、いつまでも新しい。

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話すということ(ドラマ) ─朗読源論への試み ─ 国土社〔教授学叢書9〕
─(前略)ある文学関係の講座で話をした時に、聞き手の一人から質問が出て、竹内さんは話しことばを重視するけれども、十分に話ができるようになったら文 章は書かなくなるのじゃないのか、というのです。私は、それこそ私の願っているところであると答えました。一般の人々が一生の間にいったい何回文章を書く か、それに比べていったい何億何兆回しゃべるか。それを考えただけで、人間が生きることにとって、どちらが根本的に大切かはわかり切っているではないか、 と。するとかれはさらに、しかし文学という問題を考えるとやはり文字を書くということが基本だろうというのです。私は、話しことばによる文学というものが どれほどたくさんあるか、考えてみたことはないのですか ─と反問しました。人類は古来から、神話、伝説に始まり、唱えごと、子守唄、仕事唄、恋歌、わらべ唄あるいは浄瑠璃やごぜ唄まで、千差万別の話しことばに よる文学を持ってきた。文字による文学だけが文学であるかのようなせまい思いこみは、ひょっとすると世界でも近代日本のみに特有の偏見ではないかとさえ思 われるのです。たとえば、どこの国でも、詩人は自分の詩を 誦(しょう)して聞かせます。本に印刷さ れた数行だけが詩だなどと思いこんでいるのは、近代日本人だけではなかろうか。(中略)日本人の場合には、朗読とは、本来黙読すべき文章を、音声化すると いう、場違いな作業である、ということです。これは(略)極めて重大な、無意識の前提であって、(略)私は、まずこの既成概念をこわさなければ朗読の問題 は出発できないと考えています。
話すこと、すべてここから始まる。─    (注:誦(しょう)する…声を出して謡(うた)うように読む)

★    いくつかの目次を以下に
□    すべては話すことから始まる ─ ことばに触れること
□    マザー・グースのうた ─ くたばれ句読点
□    イメージの喚起力 ─ 教科書の文章
□    詩のはじまり ─ ことばにふれる・ひとにふれる
□    深く生き生きとすること ─ 教師にとってレッスンとは何か
□    本から目を離すのがこわい ─ K小学校の教師たちの話し合いから

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からだが語ることば α+教師のための身ぶりとことば学 評論社〔評論社の教育選書16〕
『 教師のためのからだとことば考 』ちくま学芸文庫

★『 からだが語ることば』と『 教師のためのからだとことば考』は主な内容は同じだが、後者ではところどころ加筆修正されていたり、各文の配置が変わっていたりする。
また、後者では前書きの前書きや、最後に対談など新しい文章も加えられている。
一方、前者にあった「からだとしてのことばとからだの拒絶としてのことば ─ こえを基軸として考える ─ 」という章が後者では削除されている。おそらく、竹内さん自身も後年「粗描(そびょう)」ということばで述べているように、論の運びにあ いまいさがあるのと、誤植ではないかと思われる部分もあり、筋道の立たないところを残した文が含まれていたからだと推測される。

  とりあえず、現在(2015年4月)まだ刊行されている後者の目次(小項目)のいくつかを以下に。
□    むかつく少年 ─ 近代身心二元論終焉の風景
□    からだには重さがある
□    姿勢について 2 ─ 毛・周・三木・角栄
□    自分の声を取りもどすということ
□    ことばへ向かって劈かれてゆくからだ
□    ドラマとアクション
□    ひとりひとりを「生かす」というコトバ
□    からだを「見取る」こと
□    対談・働きかけとしてのことば

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『 子どものからだとことば 』 晶文社
★ わたし自身が最初に手にとったからだけではなく、竹内さんの本を一冊も読んだことがない人が最初に読むなら、この本が最適だと思う。文章も平明で読みやす く、第 V 部では、竹内さんがインタビューされる形でレッスンのエッセンスが語られる。
 前半は竹内さんがいろいろなところで書いた文章を寄せ集めてあるので、統一感がないかもしれないが、「あとがき」によれば、「モチーフを (略)言えば、人間の成長と治癒をめぐって(後略)」というものである。さらに「後半の(略)内容は今後数年かかって探り考え続けなければならぬ課題ばか りである。その意味ではこの本は私のスターティング・ブロックとなるだろう。」ということば通りの重要な位置にある本だと思われる。

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ドラマとしての授業 評論社〔評論社の教育選書18〕
─子どもたちの〈からだ〉は、ゆっくりと死へ向かって押しやられつつあります。背筋が弱り、垂れ下がってきた背骨が彎曲(わんきょく)し、あごが出、のど は狭く詰められ、てのひらはものをつかむ力を失い、股関節が固まります。つまり言語障害や自閉へと少しずつ追い込まれているのです。子どもたちは教師や親 たちの従順なロボットとなるか、でなければ無気力な、なにもしたくない〈 からだ 〉に自らを閉じていく。(略)
だが、別のタイプの子どもたちもいます。(略)かれらは管理社会の締めつけを、全身で拒否しています。かれらはつつましく〈追い込まれ〉てはいない。かれ らは荒れる。叩き返す。(略)かれらは〈からだ〉を閉じない。むしろむき出しの裸のまま不器用に立っている。かれらに要るものは、そのからだをだれかが まっすぐに受け入れ、感情の激発という形でしか表出できぬかれらのエネルギーを、思考を深める方向に集中することを、授業によって助けること。こう言える でしょうか。(略)〈からだ〉をそだてるとは、全人格が成長してゆくことにほかならないのだ、ということを私は見たのでした。─

★ 林竹二氏の授業にふれたこと、湊川(みなとがわ)高校で芝居をやったこと、湊川の生徒たちが見せる顔に林さんと自分(竹内さん)との追求しているものの違 いを感じたこと、など。
残念ながらとうの昔に廃刊だが、入手できれば読みごたえのある本だと思う。

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時満ちくれば  愛へと至らんとする15の歩み 筑摩書房
ことばとからだの戦後史ちくま学芸文庫
★ 『 ことばが劈かれるとき』に続く、竹内さんの第二の自伝といっていいと思う。雑誌「言語生活」に1986年から88年まで隔月で連載した文章に書き下ろしを いくつかつけ加えたもの。残念ながら二冊ともに廃刊になってしまっている。

冒頭では「 プロローグ 六十一歳の越え方 ─ 死へのイニシエーション」と題して、竹内さんが不思議な交通事故に遇ったことが語られる。そこから土方巽(ひじかた・たつみ)、沖正弘、野口晴哉(のぐ ち・はるや)の死にふれ、
─ この一年、あるいは一年半を、どのような形になるか知りようもないが、きちんと越えることに失敗すれば、六十四歳の死がやって来るのであろう ─
と自らを見つめる。
中程には、竹内さんがレッスンを主宰する側ではなく、フランスの俳優学校の主宰者であるルコックさんの仮面のレッスンとクラウンのレッスンを受講した話が あり、興味深い。

全体としてまとまりがないように見えて、実際は前者のタイトルと副題がしっくりくる内容である。本の帯には「私は意志を信じない。」とある。文庫化すると きにどうして本のタイトル自体を変えてしまったのかわからない。竹内さん自身が面映かったのだろうか。

─「愛」ということばが、おそらく、生れて初めて、今、わたしの前に立っている。いやむしろ、私の「からだ」の中に入り込もうとしている。(中略)人が人 を傷つける─その次元でしか私には「罪」というものが見えぬ。だが、「傷つけた」と悩むこと自体、みずからに閉じこもる行為である、とは、ようやくに気づ く。(略)おのれを責めることが、おのれを甘えさせ、自己満足させることである(中略)根底から新しくなること、それはなんと難しいことか。(中略)ブー バーも言う。

  対話なき愛、真に他者へと出てゆき、他者に達し、交わることなく、つねに自己自身に留まっている愛は、悪魔(ルシファー)と呼ばれる。(『対話』植田重雄 訳  )

  「私」を超えて「他者」に至るのに道はあるのだろうか。自己否定とは可能なことであるか。(後略)─

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『 からだ・演劇・教育 』 岩波新書
★東京都南葛飾高校定時制、通称、南葛(なんかつ)。「名うての不良」というレッテルを貼られた「荒れた」青年たちが集まり、被差別部落や、在日の人など も通う夜間学校。そこの教師たちが、竹内さんに演劇の講師として来てくれ、と頼みにくる。当時、仙台の宮城教育大学の教授であった竹内さんにとって、スケ ジュール的にとても無理な頼みだった。が、教師たちの生徒を想う熱意に押され、また『ドラマとしての授業』にすでに書いた湊川高校(こちらもいわゆる「荒 れた」生徒たちの集まる学校だった)での経験もあり、無茶を承知で引き受ける。その苦闘の記録。
生徒たちとじかに向き合い、自分自身とも苦闘する竹内さんの姿が率直に生々しく書かれている。竹内さんが自身の演劇スタジオの人たちの芝居を南葛で上演し たときの生徒の感想文のことばが重く、心に残る。

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『 「からだ」と「ことば」のレッスン 』 講談社現代新書
★当時行っていた竹内レッスンの基本的な「話しかけ」「並ぶ」「触れる」「押す」「緊張と身構えをほどく」「声とことば」「出会い」などについて、写真も 添え、その意義と手順などを文章化したもの。後に竹内さんは「のせられてあんなものを書いてしまった」みたいなことを言って多少後悔していたようだった が、唯一、レッスンの具体的・実際的な全体像が書かれているとても貴重な本である。ここでは後に「ゆらし」とか「呼びかけ」と言われるレッスンが、まだ 「脱力」ないしほぐし、「話しかけ」という言い方をされている。

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愛の侵略 マザー・テレサとシスターたち 筑摩書房
★竹内さんが南山短期大学人間関係科の教授だったとき、教員全員で芝居をやりたい、との提案を受け、竹内さんが創り上演した劇の舞台脚本(戯曲)。内容は マザー・テレサをテーマに、カメラマン沖守弘氏の写真を主にスライド投映に使い、あとは朗読と数人による演技を組み合わせたもの。(沖氏の写真も本には掲 載されている)

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老いのイニシエーション 岩波書店
★ 竹内さんの第三の自伝的著書。パートナーとの出会い、暮らし、子育てなど、どこか
ハラハラするほど赤裸々に書き記されている。その暮らしのやりとりの中で、竹内さんが「ことば」について、自身について、思いもかけない気づきを手にし、 今まで生きてきたこと、考えてきたことの根本を揺るがされ、省察し直さざるを得ないさまが記されている。

─ ふと、ゆりの声がした。
「ワカンナイナア。そんなケンカしてなんになるのか、ちっともわからないなあ。」
笙子がぱっと振り向いた。
「なぜ?」
「自分がこう思うってことは言えばいいけど、なぜ、もうひとりが、ソーダネ、って言わなくちゃいけないの? ひとりはひとり、でしょ?」
笙子は黙っていた。長いこと。ふっとからだが弛んで、にやっとした。
「まこと、そのとおり」
私は黙ったままだった。─

─ ゆりが家に帰ってきて笙子に言うには、「ねえお母さん、おとなの言うことを全部きかなくちゃいけないってことはないよね。」
  笙子は返事に困って「もしお母さんが『そうだよ』と言ったら、あなたはおとなの言ったことをきいたことになるでしょう」と逃げたそうな。
  するとゆりはこう言ったと言う。「わたしのお母さんじゃなくて言って」。え?と、
笙子が思わず顔を見ると、「ゆりちゃんはまだ小さくて一人で考えられないから、おかあさんはわたしのおかあさんじゃなくて、言って。」
 私は驚いた。(略)母親に向かって、私のおかあさんなんだからちゃんと親身になって話して、という言い方はよく聞くが、(略)目の前に今こと ばを交わして いる相手に向かって、自分との関係を一ぺん断ち切って考えてみてくれ、と要求するということは、めったにあることでない、と思ったからだ。かの女は自分の 考えの支持を求めているわけでも、思いやりや慰めを欲しがっているわけでもない。自分の行動原則を立てるために、自分の考えを吟味することを求めている。 その吟味の基盤として母子の関係でない、人間としての普遍性を求めているわけだ。(略)私は目を開かれる思いを味わった。─

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日本語のレッスン 講談社現代新書
★    歌と詩による、声とことばのレッスンについて詳しく述べた本。竹内さんによると
─ 歌、詩は、今生まれ出ることば、呼びかけと表現のことばであって、(略)散文は本質的にセツメイのことば(後略)─ なので、散文は取り上げない。
いくつかの目次を以下に
□    声と「わたし」
□    自分の声に出会う
□    声を育てる
□    歌を遊ぼう ─ ことばはアクションだ
□    詩 ─ 表現へと立ち上がる声

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『 癒える力 』 晶文社
★「看護実践の科学」という看護の専門誌に連載した文章を、より広く一般の人々に向け順序を組みかえ、新しく章を立て、加筆したもの。『子どものからだと ことば』のように、ひとつひとつの文章が短くまとまっているので読みやすく、奥行きの深いエピソードも記されている。

─ わたしたちは、いつも相手のからだを、モノ化しようとする思考の姿勢のなかにいる。(略)だが、これに自分で気づくことは容易でない。人が相手のからだと 「人」として向かい合うためには、常に「人」を呼びさます努力が要るのだろう。相手のからだにも、自分の身がまえのなかにも。─

─ (前略)以前、大学生のクループから抗議を受けたことがある。いったい、この授業の狙いはなんですか。はっきり言ってください。そうすれば、わたしたちは それにちゃんと合わせてみせます。それがなくては、なにをなすべきか分からないじゃないですか。(略)わたしは、今、ここで、生きて体験してほしい、体験 から自分で考え歩き出してほしいので、なにかを教え込んだり訓練したいのではない。「……のために」ということは、未来のために行為することで、今、をゼ ロにすることです(略)─

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『 ドラマの中の人間 』 晶文社
動くことば 動かすことば ─ドラマによる対話のレッスン ちくま学芸文庫
★ 「これから世界の戯曲の名作のいくつかをみなさんと一緒に読みながら、女主人公の生き方について考えてゆきたい。」という竹内さんのことばで始まる。
「戯曲(ぎきょく)」というものが、演劇に興味のない方にはそもそも耳慣れないことばだろう。正確な定義ではないかもしれないが、わたしなりに説明させて いただくと、小説などの連続した散文と違い、劇のことば=台詞、登場人物や各場面の様子が描写してある文=ト書(が)き、舞台設定などの説明文、主にこれ らが書かれている、いわば舞台脚本の形の作品を指す。
 まずは登場人物の名が並べて書かれているが、劇によってはそれ以外に、その話が始まる前までのいきさつや、状況などが書かれている場合もあ る。たとえばギリシャ悲劇として有名な『アンティゴネー』では、アンティゴネー(妹)の戦死した兄の遺体が、反逆者なので埋葬してはならぬ、という王の命 令により野ざらしにされているという状況が冒頭書かれ、それを踏まえての直後から劇が始まる。

戯曲をまったく目にしたことのない方の参考までに、木下順二の名作『夕鶴』の冒頭を少し記すと …

(登場人物)つう  与ひょう  惣(そう)ど  運(うん)ず  子供たち

一面の雪の中に、ぽつんと一軒、小さなあばらや。家のうしろには、赤い赤い夕やけ空がいっぱいに。遠くから わらべ唄
(わらべ唄、略)
家の中ではいろりのはたに眠りこけている与ひょう。
唄がやんで子供たちが駆けてくる。

子供たち (声をそろえて、うたうように)おばさん、おばさん、うた唄うとけれ。(略)

… と、いうふうに続いてゆく。

  このように、ただ文字面(もじづら)を追って見ただけではなかなかわかりにくい戯曲というものを、どう読み解いてゆくのか、“戯曲を読む”ということは、 どういうことなのかがわかってくると同時に、各戯曲に登場する女主人公が、何と対峙し、何と闘っているのか、小説によくある心情説明ではなく、台詞、状 況、ドラマの構造などを読み取り、感じとってゆく道筋が示されている。また、その女主人公の在り方の照り返しとして、男たちのあられもない在り方もあぶり 出されてくる。
あとがきに「これはここ十数年来、(略)さまざまな市民のグループやいわゆる市民講座や大学の講義などで行って来たレッスンの一部をまとめるつもりで『演 劇と教育』誌上に(略)連載した文章に加筆したものです。」とあるように、読み取り、といっても、黙読し、台詞の文言(もんごん)を研究したりすることで はなく、上演を目的とはしないが、皆で役を割り振って声に出して台詞を読み合ったり、動いてみたりしながら、からだで感じるレッスンを、竹内さんが独自の 視点や解説も含めて文章化したものだ。だからむしろ演劇に興味がない人の方がより新鮮で、おもしろいかもしれない。取り上げられている戯曲は以下の通り

  夕鶴(ゆうづる) ………………………………… 木下 順二
  アンティゴネー ………………………………… ソフォクレス
  人形の家 ………………………………………… イプセン
  三人姉妹 ………………………………………… チェーホフ
  セチュアンの善人(寓話(ぐうわ)劇) ……… ブレヒト

前者と後者は基本的に同一の本だが、後者は前者にあった「夕鶴の舞台裏」という章が省略されている。だが、後者にある文庫版のあとがきは短いながらも興味 深く、田口ランディさんの解説も付加されている。
※    注: 本に戯曲のすべての台詞等が書かれているわけではないので、誤解なきよう。

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『 思想する「からだ」 』 晶文社
★あとがきに「この本は、ここ十年ばかりの間に、それぞれは関連なく書いた文を(略)構成して(略)成り立った。」とあるように、取り上げられている内容 はそれぞれ興味深いが、文のテーマはだいぶバラバラなものが集められている。「ここ十年ばかり」というのは竹内さんの年齢から推測すると六十半ばから七十 半ばといったところだろうか。
  現時点では、わたしにこの本全体、あるいは各章を伝えることばが見つからないので、目次のいくつか(任意に選んだもの)を提示しますので、それを参考にし てください。

□    からだとことば   コミュニケーションの層
□    身土不二(しんどふに)
□    立つ力、生きる志   腰について
□    生きている足
□    リラックスの対位法
□    「武術」の伝承   からだを見出すこと、からだを捨てること
□    いろを生むこえ   無に働くからだ
□    指輪物語ものがたり
□    銀の老人の面   私とユング
□    言語教育としての演劇
□    〔安らぎ〕の充実の中で〔気づき〕は目覚める

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『 待つしかない、か。 二十一世紀身体 と哲学 』共著者 木田元    春風社
『〔新版〕待つしかない、か。 身体と哲学をめぐって』共著者 木田元   春風社
★この本は2002年5月に竹内さんと木田元さんが二日間に渡り対談したものをまとめ、2003年に刊行されたものだ。2014年に再刊行された〔新版〕 の内容は以前のものとまったく同じで、ハード・カバーからソフト・カバーへ、掲載されていた写真の省略など、ひらたく言えば廉価版だ。木田元(きだ げ ん)さんは哲学者で、ハイデガーなど、哲学についての多くの著書があるが、それ以外に、竹内さんがよく引用するフランスの哲学者 メルロ=ポン ティの本の共訳者でもある。メルロ=ポンティの本について竹内さんが、
「(前略)日本語だとことばのかたいところもあるから … 。」と言うと、木田さんが   「すいません、僕が訳したんです(笑)。」と応えるところなど、ご愛嬌だ。

 肝心の本の内容だが、まず同年代(木田さんは竹内さんの三つ年下)のお二人それぞれの戦後の生き方の模索について語られる。章が進んで《から だの文体》の最初で竹内さんは「(前略)ここ数年で、何かがものすごく変わった、みんなのからだが変わってきたという感じがします。(略)一つは子どもの 声が出なくなった(略)二つ目は若者の姿勢の固まり(略)それからこれは大人もふくめての話ですが(略)相手に触れない、相手の視線の中に入りたがらな い。相手にじかに触れていくことを避ける。拒絶反応じゃない。拒絶反応ならパッと、イヤだって感じではっきりしているわけですよね。もっと微妙に距離をと る。(略)他者を見ない、というか …。(後略)」と語り、「(前略)敗戦のとき、日本のニヒリズムを自覚してゼロから出発しなおすべきだった。ところが(略)応急処置としていろいろな思想 的代用品でなんとかごまかしつづけてきた。結局いまになってぜんぶそのツケが回ってきているという気がするんです。(中略)あれだけ凝り固まっているみん なのからだに突破口を開くとしたら、表現行動しかないのではないか。(後略)」と続ける。
《待つしかない、か。》という章では「(前略)ヒューマニズムだろうと、キリスト教であろうとマルキシズムであろうと、私にとって自分の生活の外から持ち 込まれてきた価値、いわば超越的な価値として提示されたものを拝跪(はいき)して受け入れることだけは絶対に拒否するという気持が強くありました。(後 略)」と、再び戦後の生き方の模索に戻り、「結局浮かび上がってくるのは、近代的自我が日本人にはまだ成り立っていなくて、自分で判断し行動する力が備 わっていなかったから、こういうふうに天皇制とか軍国主義にひきずりまわされたんじゃないか。(略)では自分というものをどこで見つけたらいいか、その根 拠を一所懸命探す。(後略)」と、ここまではこれまでの竹内さんの著書でも何度もふれられてきた問題意識の確認になるが、最終章では普遍性・主体性の問題 から「まったくの他者」と生きるには何がいるのか、という話に収斂して行く。
 ハイデガーやニーチェやメルロ=ポンティ、さまざまな哲学の話など、難しい会話がされるところもあるが、生きた人間同士の対談なので思わぬこぼれ話もあ り、良い企画の本だと思う。木田さんには学者風の構えた態度がまったくなく、お二人とも対談を心から楽しまれた様子が伝わってくる。
まえがきで木田さんは「(前略)満州(中国の東北部)で幼少期を過ごし、敗戦を前に日本に渡ってきて海軍兵学校に入学、敗戦後しばらくは放浪の日を送り、 一年後に(略)山形県に住みつき、代用教員や闇屋をやったりしたあげく農林専門学校に入り、そこを卒業してから東北大学に入りなおして哲学の勉強をはじめ たという、まったくのはぐれ者(後略)」とご自身を言い、対談の始めの発言は、広島に原爆が落ちたとき、近くの江田島にいて見ていた、という証言だった。
そんな同年代の者同士だからこそ、戦後抱えてきた疑問、反問についても、すぐにおたがいの話が通ずるところもあったのだろう。読みごたえのある本です。

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『 からだ = 魂のドラマ 「生きる力」がめざめるために 』 藤原書店
★演出家修行時代の師、岡倉士朗氏に次ぐ竹内さんの第二の師、林竹二氏との三つの対話(対談)をまとめた本。(この本の初版は2003年、林さんは 1985年歿(ぼつ)。)
あとがきに「三つの対話は林先生とわたしの交わりの初めと終わりに位置する。わたしは芝居者であって、まとまった文章によるよりもじかにことばを交わし疑 問と体験をぶつけあった経過を改めて生きて、ことばより深い層でなにを探っていたかを、みずからも、また読む人にも体感してほしかったのである。」と記さ れている。
巻末には2003年までの林さんと竹内さんの年表と著作一覧が付記されている。三つの対話は、以下の本からの再録である。

『林竹二・授業の中の子どもたち』日本放送出版協会(1976年)
『学ぶこと変わること ─ 写真集・教育の再生を求めて』筑摩書房(1978年)
季刊『いま、人間として』6   径(こみち)書房(1983年)

 これら三冊は現在入手困難なので、竹内さんが編んだこの本は林竹二氏の資料としてもとても貴重なものになる。対話のほかに、第四部「人間であ ること、人間になること ─ 竹内敏晴」として、主に林さんの授業について竹内さんが文章を綴っている。
林竹二と竹内敏晴の関わりを知る上で、必読の書。

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『 竹内レッスン ─ ライブ・アット大阪 』 春風社
★竹内さんが大阪で毎月行っていたレッスンは、吃音者の方たちの集まりから始まったものだったらしい。この本のほとんどの文章は、そこで十数年出してきた 「たけうち通信」(日本吃音臨床研究会発行)なる冊子の連載に加筆改稿をほどこしたもので、竹内さん曰く「レッスンに来る人やその周辺の人々にあてて話し かけて来たいわば内輪の文」である。したがって、まったく知らない人(レッスン参加者)の名前も次々と出てくるし、レッスンを体験したことのない人にとっ ては、何を言っているのかよくわからない部分も多いだろう。いくつかの部分を引用させてもらっているのに、こんなことを言うのは申し訳ないのだが、竹内さ んや竹内レッスンを知らない人が最初に読むには不適当な本だと思う。
しかし、竹内さんがオープン(公開)レッスンや、劇の上演、大学院での集中講義など、さまざまな試みの中で日々感じていたことを知る上で、レッスン参加者 ひとりひとりの苦闘が伺われる話や、竹内さんが参加者へ向ける視線 ─ 喜びも落胆も含めて ─ や、竹内さん自身の新たな気づきなどが率直に書き留められているこれらの文は貴重なものだ。

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『 声が生まれる  聞く力・話す力 』 中公新書
★ 『ことばが劈かれるとき』で語られていた、竹内さんが独力でことばを習得してゆく過程が丁寧に語り直され、年月を経た声やことばへの深い考察も記されてい る隠れた名著。

─ これはいわば声の履歴書だ。ただし「わたしの」ではない。声そのものが生れ、
「ことば」として立ち上がり「話す人」が生れ出るまでのステップを一つ一つはっきり
させてゆくことをめざした。─

─ この中にはわたしが別の機会に書いてきた体験についてもふれている箇所がある。
しかし、今回は別の方向から見たつもりである。過去の体験は、今生きている地点から
射る光によって、新しい姿を現わす。─

  あとがきの中のこの二つの文が、本の内容を十分に言い表している。

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『 生きることのレッスン …内発するからだ、目覚めるいのち… 』 ト ランスビュー
★この本で語られていることの多くは、これまでの竹内さんの著書でもふれられてきた。にもかかわらずこの本がすぐれているのは、あとがきにもあるように企 画・編集し、インタビューされた今野哲男さんと出版者の中嶋廣さんが、竹内さんに「このお二人と取り組むのは、まことに手応えがあった。」と言わしめるほ どの鋭く真剣な向き合い方をしたからだろう。お二人にあらためて語るという形で話されたことばは、『声が生まれる』で言われているように、過去の体験も今 生きている地点から射る光によって、新しい姿を現わしている。

 本全体の中から、わたしが引っかかったことばをいくつか挙げさせていただきます。

「(略)ことばにされていない体験をどうやってことばにするか、ことばにならない体験にどうやって表現を与えるか(中略)ことばにすることによって初め て、人は自分が生きている形を知るのだから。」

「(前略)現在から未来への行動を起こすにあたって、良心の声が聞こえてくる体験を持っている人は、どのくらいいるのだろう。日本においては、すべては 「自然に」過ぎていくことが重んじられて、善も悪も起こるに従う、仕方のないこととして抗わないのが習性なのではないか。そこには責任という観念など、起 こってきようがない。」

「(略)その人が好きだから愛するのではなく、他人そのものとして尊重し愛することが、ほんとうにできるか。」

「(略)ことばは、話す人一人ひとりが定義しなくてはいけない、自分にとっての定義を。それが個人の責任ということだと思うんです。」

「(略)したくないことをしないために何かをしなければならないと決めて、はじめて
目標が屹立する。」

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『 「出会う」ということ 』 藤原書店
★ ─人が、ただ生きているということではなくて、これがなければ本当に人間とは言えない、というものはなにか。(略)第二次大戦による日本の敗戦に打ちのめ されたわたしたち青年がぶち当たったのはこの問いに他ならなかった。大日本帝国臣民、天皇陛下の赤子という世俗の身分ではなく、国家権力を超え「人格」と 呼ばれ「人権」をもつ存在を成り立たせるものはなにか。この問いは地下の伏流水の如く今も動いている。─

  この本の核心は、後半部分「第4章 神の受肉の延長 イバン・イリイチの信仰のからだ」と、「第5章 出会うということ」にあると思う。

第4章 ─竹内さんは特定の宗教の信者ではなかったが、宗教者の生き方、その信仰や祈り、なかでも、キリスト教(プロテスタント、カトリック問わず)と仏教(とく に禅宗)にはつねに関心を寄せていた。
イバン・イリイチはカトリックの神父を務めていたが、カトリックの元締めであるバチカンを批判し、神父を辞した後は鋭い文明批判に立つ思想家となった人 だ。冒頭に掲げた竹内さんのことばは、イリイチによって語られたいくつかのことばを追い、たどりついた「キリスト信仰の核心であろう」ものに続いて語られ たことばである。

  第5章 ─四つんばいの姿勢を取ったとき背中がぶら下がらず、持ち上がっている人についての話がある。力が抜けていればぶら下がるはずの背中が持ち上がっている、 つまりある姿勢や身構えが固定化していて、ゆるめることができないからだなのだ。竹内さんは三十年ほど前にある大学でそういうからだを発見してから、ず うっと気にして見ていた。すると、最初は二十人ぐらいいると、その中の四、五人だったのが、十年くらいたつと、半数に、さらに驚いたことに全員が、という ふうに進んでいったという。それが、近年はまた半数はぶら下がるようになっていた。しかし、その意味するものは … 。
 そのあと語られる、〈対象を手なずける西洋の自我〉や〈マイナスの自我としての東洋の自我〉は、レッスンという実践から見えてきたもの、そこ で培われた感性からの視線が、平明で具体的なことばでわたしたちに伝えられる。

 あとがきで竹内さんは「自分は体験を言葉にしていくしか表現の方法を持たない」と言い、西田幾太郎(哲学者)の弟子が西田の考えを体系的にま とめようとした本の序文に、西田が「哲学者は体系を生み出すものであるだろうけれども、自分はそういう余裕がない」「自分は常に坑夫である」と書いたのを 見て共感したという。

─ わたしもまた、どこに掘りあてるか突き抜けるか判らない冥(くら)い道を、鉱脈の予感に 従って手探りして掘ってゆく一人の坑夫だ、と。─

  このあとがきの日付は亡くなる二日前。病床にあることが記されている。

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竹内敏晴語り下ろし自伝  レッスンする人 』 藤原書店
★ 文字通り竹内さんの生涯が、本人により生まれたときのことから詳細に語られる、
最後の自伝。本の帯によると、亡くなる直前の約三カ月間に語り下ろしたそうだ。
『ことばが劈かれるとき』等と違い、レッスンの話は出てこない。純粋に、自身の生涯の出来事が語られている。その生活体験の話から、戦前・戦中・戦後の様 相も窺える。
最後の章は「 最期の章 間近に死を控えて 」と題され、亡くなる三日前、病院の病床にある竹内さんへの生前最後のインタビューが記載されている。

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『 セレクション 竹内敏晴の「からだと思想」全4巻 』 藤原書店
1  主体としての「からだ」
2 「したくない」という自由
3 「出会う」ことと「生きる」こと
4 「じか」の思想

★セレクション、とタイトルにあるように、生前出された本 の一部を 出版社の枠を超え再録したものと、竹内さんが芝居のパンフレットや学会の会報や専門誌、その他、叢書や教養講座の本などに書いた文章を再録したもの。前者 は入手できれば、その本そのものを読んだ方が良いと思われるので、後者の文章が集められている(すべてではないだろうが)ところが貴重である。他に、竹内 さんの周囲の人々 ─多くの著書の写真を撮ったカメラマン、昔の芝居仲間、レッスンを受けた人、そのスタッフ的な仕事をしていた人、また、竹内さんに関心を寄せていた評論 家、思想家、哲学者などの文章も、本やその付属の冊子などに書かれている。

※ 〔本の一部〕生前出版された本の中の、いくつかの文章という意味です。つまり、本の文章がまるごと再録されているわけではないので、ご注意を。しかしなが ら、長期品切れ廃刊などにより、現在は入手困難な本の一部抜粋も含まれていて、それは貴重なものです。

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子どもが生きる ことばが生きる 詩の授業 国土社〔国土社の教育選書18〕
  谷川俊太郎 , 竹内敏晴 , 稲垣忠彦 , 国語教育を学ぶ会
「にほんご」の授業  』 国土社 〔国土社の教育選書21〕
  谷川俊太郎 , 稲垣忠彦 , 竹内敏晴 , 佐藤 学 , 国語教育を学ぶ会

★ 二冊とも「国語教育を学ぶ会」の研究会の記録である。企画と運営(司会等)にあたった佐藤学さんは、前者の本の表記にはないが、どちらにも参加され、冒頭 の解説「はじめに」を書かれている。次の内容紹介も、そこからのものです。本文の中のものを任意に提示しているので、引用の文章の順番は前後が変わったり しています。

─ 「国語教育を学ぶ会」においてビデオ記録による授業の検討が開始されたのは、(略)稲垣忠彦さんから「カンファレンス」の方法(同一教材の二つの授業のビ デオ記録の比較研究により授業の診断を行う方法)が提案されてからのことである。(後略)─

─本書の研究会は、谷川さんの作品を教材とした授業における教師の働きかけの事実、子どもの事実をビデオ記録で提供して、谷川さん、竹内さん、稲垣さん、 授業者、参加者が自由に見え方や意見を交流する方法をとっている。(後略)─

─ビデオによる授業研究は、教師と子どもの「からだ」と「ことば」の問題を問い直すものとなった。語りかけているつもりでも一向に子どもには届いてゆかな い教師の声、子どもの想像力を触発するにはあまりにも力を失った教師の言葉、子どものからだから発せられるさまざまな信号に共振しえない閉ざされた教師の からだ、子どもたちのしなやかな感覚や感情の動きが交流し躍動することを許さない硬直した教室空間の問題などである。─
いずれも『 子どもが生きる ことばが生きる 詩の授業 』「はじめに」より

次に引用する文章は、国語教育を学ぶ会会長 石井順治さんの「おわりに」からのもの。

─ 『「詩がわかる」「詩を理解する」という言葉自体に誤りがある。そうではなくて、ふだん明瞭だと思っていたことが、もっとあいまいになってくる。もっと一 種の深みとか複雑さを増してくるというのが詩なんじゃないか。 』
 この谷川さんの言葉を耳にしたときの衝撃は、今も忘れられない。それまで「詩を読むとは詩を理解すること」だと信じて疑うことがなかったから である。
それまでに私達がしてきた詩の授業、それはまさに詩を理解させるためのものであった。(略)そこでは、いかにして子どもたちに詩を楽しませるかということ ではなく、どんな方法で教師が読み取ったことを「わからせるか」ということが主眼となる。(略)そうして、教師の読み取った詩人の心を子どもたちが最後に とらえることができたらよしということになる。─
『 子どもが生きる ことばが生きる 詩の授業 』「おわりに」より

─ 竹内さんは、本書の討論の中で、「体験が先にあって、それが悲しみなのか喜びなのか驚きなのか、どういう言葉をあててよいのかわからない、これはやはり悲 しみなのかというふうにはっきりさせていったときに言葉というものが成り立つ」と述べておられる。わたしたちは、これを聞いて愕然とした。わたしたちは、 言葉をそういうふうには使っていなかったと思ったからである。体験など先になく、記号化された言葉だけが踊っていたのだ。そんな自分が子どもたちに、モノ やコトやヒトの心の動きとつながった実体のある言葉を指導しなければならない。おそろしいことである。─
『 「にほんご」の授業  』「おわりに」より

自らの至らなさを率直に認め、子どもにとってよい授業をする、ということはどういうことなのか探って行こうとする、勇気ある貴重な試みだと思う。この会の 方たちは、こうしたビデオによる授業研究だけでなく、竹内さんのレッスンにも参加して、「からだ」と「ことば」について身をもって考えようとしていたらし い。後者の本の最後の章のタイトルは「からだとことばのレッスン」の記録、であり、その終わりに竹内さんに
「今まで私は、レッスンは各自の体験としてもち帰ってもらえばいい、その省察は、時と共に、体験が蘇り、変容する時に、各自で行うこと、として考えてき た。だが、今は少し考えを改めようかと思う。本年度からは、もしレッスンするなら、これも「授業」としてカンファレンスの対象にしてもらうことをお願いし たいと思っている。」
と、言わしめている。

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─ 著作内容紹介のおわりに ─

 竹内さんの本には、精神医学からの引用やレッスンでのエピソードなど、重複する話がかなり多く出てくる。おそらくは、さまざまな雑誌・専門誌などに寄 稿・連載などをした文章を、後にまとめた本が多いからだろう。
 レッスンでのエピソードに関しては、その一場面に居合わせた者からすると、くり返し書かれる後になればなるほど、大切なところは同じだが、情景の描写が だんだん大げさになっていっていると思うこともある。誰にでもある記憶の変形ないし美化とも言えるが、竹内さんにとってそのエピソードの意味の深さが次第 に変わっていったということなのかもしれない。

『 「出会う」ということ 』のあとがきにある
─ どこに掘りあてるか突き抜けるか判らない冥(くら)い道を
鉱脈の予感に従って手探りして掘ってゆく一人の坑夫だ ─
と、自らをたとえて言ったことば通り、竹内さんの著作は、からだひとつで手探りしながら、どこまでも深く掘り進んでいった独りの人の無数の痕跡だ。読者は その不器用なでこぼこの穴を覗き込み、その道筋に想いを馳せることはできるが、つまるところ、立ち去るか、己のつるはしに手をかけるか、いずれにしても、 自分で選ぶ、ということを選べ、と言われていることに、やがて気づかざるを得ないだろう。





 


★ お 知 ら せ

□    このホーム・ページは、2015年5月2日に開設しました。

□    リンク・フリーです。

□  「★イメージとは何か」を追加しました。(2015/8/7)

□  このHPを作成した目的は、竹内敏晴という人の闘いの軌跡を残す他に、できることなら “ 竹内レッスン ” で行なわれていた人間的可能性を劈く試みのさまざまな形も伝え残して行きたい、というわたしの想いもあります。竹内さんがやっていたようなレッスンを実際 に体験してみたい、試みてみたいという方はご連絡ください。


 


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